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カテゴリ:○陶芸雑感( 200 )

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隣り町の大きな陶芸教室のご依頼で
久しぶりに糸抜き技法のワークショップをしました

日本陶芸展で受賞した折に
笠間にある茨城県陶芸美術館主宰のワークショップ以来
8年ぶりくらいのことです

前日 作業の冒頭を自分で手がけ
マスキングと最初の波を作って持参しました
そこから先を貼りながら解説する予定でしたが
10数人という人数は
全員がご自分で貼って頂くことも出来そうだと
私が暫く貼った後 それぞれ試してもらいました


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その表情と手つきを拝見してると
遥か遠い日々を思い出して懐かしい気分になりました
真剣を促す緊張 ぎごちない手 力の入った指
どんな技術も最初はここからなのです


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次に自分の番のお隣りさんも
私の見本を見比べながら
「ヒヤァ~難しそう!」
慣れてしまった私が忘れていたこの一言が
15年ほどの時間を思い出させてくれました


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初めての経験とおっしゃりながら
この手つきはただ者ではありません
糸の軌跡は僅かに乱れていますが
慣れたらきっと上手になる手さばきです


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通ってらっしゃるみなさんは
既に10選手ばかりとか
色々な技法を学んでおいでのようですが

実技の前に暫らく時間を頂いて
私の持論「趣味なら本気で!」をお話し
「命懸けの陶芸で命を失った方はいませんよ!」
似たような年配のみなさんを煙に巻いて
4時間ほどのワークショップは終ったのでした

これもまた久しぶりに
「口で陶芸をした」ことになりそうです


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糸抜き波状紋大皿 旧作

写真映りの悪い一枚ですが
作った波は気に入っています



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by touseigama696 | 2019-08-31 09:14 | ○陶芸雑感 | Comments(0)

ロクロ技術の右と左

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以下5枚の写真は
生粘土で器をロクロ挽きし 然るべく乾燥させた後に
粗削り 仕上げ削りを行い
 きれいに清拭した素焼き待ちのもの


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「ロクロ技術の右と左」と題した右と左の意味は
こんな切り口のつもりである

ロクロは基本的には
円運動を利用して丸いものを作る道具
言い方を変えれば丸いものしかできないとも言える
真円はロクロの頂点であり同時に限界でもある

そのことを頭に置いて考えるロクロの右は
限りなく真円なものを作ることで
もう一方の左は
その真円を外して歪みを加える作り方である

どちらも技術である
でありながら
ロクロ技術を身に着ける段階では
下手な間は「左」で経験を積んで「右」になる
しかし
上手くなって「右」の領域に近づく頃
無性にそれが嫌になる
真円はつまらない そんな気分に襲われる
俗に云えば「崩した挽き方」
真円を避ける手つきを覚えて
非対称の器を作りたくなるのである

うまくゆけば味があるなどと評判をとることもあるが
下手の言い訳に終わることだってあるのだ


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少し乱暴な言い方かもしれないが
土の性質と釉薬で完成させようとすると「左」に傾き
加飾で作品にしたい場合は「右」を好むとでも云えようか

土と釉薬の場合 掛けた釉が形状に影響され
厚く発色したり流れたり歪みがもたらす変化が生きる
同じ器面に絵や紋様で加飾しようとすれば
紋様のシルエットが綺麗なラインを描けず
いびつな鏡に映った花になってしまう


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そうした経験を沢山積んだ上で
自分のロクロが何を狙うのか
技術以上の必要に迫られて
変貌を遂げてゆくことになり
ロクロに向かう姿勢が変わってくる
右と左の問題ではない
つまり作品全体に関わる形としてのロクロ
そこがど真ん中だと解って来たような気がする

私の場合で言えば
今向かっているロクロは限りなく真円に近く 
シルエットに微塵の破たんを見せず
無傷にすっきりとして軽やかな姿でいてほしい
それが願いのロクロである


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以前のように
日に100個200個を厭わずはもう遠い
5個10個の日々でも
後に貼った糸がすっきりと抜ける表情がほしい

このところの日々を見ていると
実に寡作な作家になってしまったようだ
でも
納得のゆく作品を作るには
最早量産は無理だと思うようにもなったのである


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これもロクロで挽いたものです



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by touseigama696 | 2019-08-13 16:10 | ○陶芸雑感 | Comments(2)

「作り手」と「使い手」

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自作のこの器
数日前のブログで「夏茶碗」としてご紹介した
しかし
その後 色々考えるところがあって
今日はそれを書いてみよう

茶碗の場合
作り手がこれを茶碗と標榜するのは自由ではある
一方で
使い手がこれでは不都合と評するのも自由だ

作るというのは物を作ることではあるが
使うのは物そのものだけではない
その物がもつ「用」に関わる幾つかの付加価値も含まれ
造形とともに茶碗の大事な機能美になる
例えば白い茶碗は機能ではないが
使い手の好みとして尊重されねばならぬこともある

使い手の望みと作り手の気遣いが切磋琢磨して
茶碗はより美しい茶碗に変貌してゆくのだ

写真の夏茶碗は形状の分類でいえば平型 
つまり皿を僅かに深くしたもので
口縁部を少し立たせて茶の流れを制御する
場盥(ばだらい)型と区別される
この方が茶筅を振る際は安全でもある

ただ私的な好みでなら
平型の方が好きでつい口を寝かせ
やや大振りにして見込みに広さを求めることになる
それがこの写真なのである

私は茶人ではない だから
これで点てたときの可否を正確には判断できない
夏茶碗を標榜する限り
そこら辺の推敲が足りてないようで不安がもたげるのだ


こうしたことを考えながら思い出すことがひとつある
若い頃
富士スピードウェイで車のレースを取材したことがある
その時
インサートのドライブ・テクニックで
アクセルとクラッチのつなぎ方を撮ったが
同じことを素人がやろうとしたら
100回やれば100回ともエンストである
レース用の車は公道を走る一般車輛ではない
俗に云うプロ仕様にチューニングすれば
素人には手の出せない高難度の車になる

レースのための
極限のニーズを極限のシーズで応えれば
マシーンは形だけでなく機能の極限を秘めた美しさに変身する
レーシングカーの美しさは
決してシルエットだけではないのだ
コクピットのカットの仕方は
ドライバーに固有のニードを満たし
シフトレバーの位置・角度・深さ
アクセル・ブレーキ・ミッションのそれも
全てはドライバーの神経に直結してる
そうでないと車は動かない
限りなく速く走るための機能と一体化した美しさは
メカニックの技術とドライバーの哲学の調和の中にある
爆発するエグゾーストノイズを聞きながら
それもこの車の美しさなのだと
実感したのを思い出す

好敵手となる使い手のために
好敵手たるべくき技を手にするのは
決して容易ではない


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作り手が使い手に
「こんな感じはいかがでしょうか?」
そう問いかける展覧会が今開かれている

「第4回伝統工芸陶葉会展」
昨日も当番で会場に詰めた
ブログで親しくなったブロガーさんも
おいでいただいたりして
応接しながら陶談に花が咲いた
こうした時間が
作り手と使い手の大事な交流だと思っている
お越しくださった方に心から感謝である



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by touseigama696 | 2019-06-18 08:24 | ○陶芸雑感 | Comments(0)

器用・不器用

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物が何であれ
何をしても勘のいい人はいるものだ
同じことをしていても いつのまにかツボを押さえ
それらしいものに作り上げる
技術だけでは測れない何か まさしく「勘の良さ」である

しかし だからといって
勘がいいだけで精度の高い技術が身につくわけでもない
結局時間をかけて繰り返し
他に比べるもなくある一定の水準まで
上手くなることに努力してこそ上手くなる
上手くなるということは
上手くなる手段が身に着くことなのだ
「どうすれば上手くなる」
それが分れば大抵は何をしても上手くなる
世間で云う「器用」はそこらへんを言うのだ
ひっくり返せば 不器用は
上手くなるまで我慢が出来ず
途中で諦めてしまうことの表れともいえる

器用・不器用を先天的な資質として語ってはならない
器用には重ねた我慢への褒美があり
不器用はその我慢の足りなさの指摘でもある
気持の持ちようを変えれば
不器用はいつでも器用に変貌するのだ

「プロ野球選手はゴルフも上手い」
野球でプロになれるほど上手くなったなら
ゴルフで上手くなる秘訣は判っていて不思議はない
ゴルフが好きならゴルフだって上手くなるってわけだ

「料理が上手なひとは
好きなら陶芸だって上手くなる」
先の例に倣えばこの仮説は正しいのだ
思い込みの「不器用」で怯える必要はない


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今私の工房で助手さんをしてくれている〇井さんは
そろそろ20年になるだろうか
私の教室で全くのビギナーから始めた陶芸である
しかし
その華奢ともいえる痩身の腕力は
10㌔超の粘土をロクロに据えて50㌢強の大皿を挽く

器用・不器用だけでは対応できないサイズだけに
繰り返し挑んでものにする努力を惜しまなかったことが
今日の彼女の礎になった

言うまでもなく
この大皿より小さいものなら
苦も無く挽く 自信をもって挽く
そして何よりも大事だが
もっと良いものを求める意欲で挽く
手段は判っているから
後は自分の環境を合わせるだけだ
やがては自立した自分の道を歩くだろうが
我慢の仕方を知っているから
きっと大成すると思っている



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かつてこうした大皿での搔き落としで
挑んできた公募展だが
今は25㌢強の同寸同姿の組鉢での出品が狙い

週末にはもう一人の〇原さんとふたりで
手持ちの技術の量と質を確かめながら
静かに研鑽を重ねている

教室時代とは違った雰囲気
つまり
「教わる」ではなく「見つける」に力点を置き
不安と拘りがもたらす「やり過ぎ」の壁と戦っている
全ての引き算はこれからなのだ


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糸抜きによる私の大皿 自作




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by touseigama696 | 2019-05-08 10:12 | ○陶芸雑感 | Comments(2)

内部集中と外部集中

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今日は助手の〇原さんのことで一項ですが
話の枕にちょっとしたエピソードを紹介しましょう
以前にも別の切り口で書いた覚えのある話ですが
今日のテーマである集中と関係してきます

かの有名なプロ野球の野村克也さんは
現役時代はキャッチャーでした
頭脳プレーの名手で
「野村の褒め殺し」は当時でも有名でした

その試合当ってる敵方バッターが打席に入ると
野村捕手の作戦が始まります

「いいグリップだねぇ~
今日大当たりなのはそのせいだな
忘れるなよその感じ」

構えたバッターにそっとつぶやくのです
これだけ しかも褒めてます
相手選手も文句は言えません 褒められてるんですから

そして
「俺のグリップってそんないいのかな?
あの野村さんに褒められちゃうと
その気になっちゃうな」

さっきまで無意識だったグリップが
やたら気になってバットが自然に振れなくなります
あえなく凡打 野村捕手の思う壷です

結論的に言えば
バッターの集中の対象がボールから体の構えにずらされて
無意識でバットが振れなくなってしまったのです
つまり
ボールへの集中が高まれば
身体は無意識にボールに合わせ 
グリップは最適な捩じりでそれを捕まえるのです

ここが今日の話題なのですが
運動科学的に言うと
外部集中(ボールへの意識)を
内部集中(グリップへの意識)に変えてしまったのが
野村捕手の褒め殺しボヤキというわけです
内部集中よりも外部集中を意識する方が
前述の通りパフォーマンスは上がります

百足(ムカデ)に
今どの足で歩いてるの?って聞いたら
途端に右左を間違えてつんのめったって例えと似てて
複雑な体の動きは無意識でないと混乱するのです
そこをつっついた野村の心理学
流石に大打者です

グリップのことは忘れてボールに集中しろ
大事な時にこれができるのがプロなんでしょう


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大皿を挽く〇原さんは目下悪戦苦闘中です
集中が皿よりも技術に傾いているからです

陶芸教室の生徒から工房の助手んさんとして
いずれの日か独立してプロを目指す今
今までは趣味の遊びで作ってた大皿を これからは
仕事として確率高く完成させるために
あれこれ技術の細部を確かめる気分に迫られているようです
無意識でしていたことを確かめようとすると
案外細かいことが不正確なことに気づくものです
そして
ろくろの上の皿から意識が離れ
自分の体の動きや手順ばかりが気になるのです
見ているとややいじり過ぎが目につきます
これも避けられない一里塚
やがてはまた皿に集中するようになり
以前よりも完成度が上がることになるはずです


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〇原さんの過去作品ですが
目下この掻き落とし技法による
アラベスク紋大皿がテーマで
この秋の公募展を目指しています
ロクロで失敗した何枚かの皿を乗り越えて
内部集中から外部集中にたどり着いて
出品作が完成することを見守っているところです
彼の実力なら十分可能性のあることです

話は戻りますが
野村克也さんの褒め殺しで
死ななかった選手が一人いました

野村さん曰く
「それが実は長嶋なんだよ 彼にも同じこと言った
いいグリップしてるね!ってね
でもね
その打席であいつまたホームラン打ったのさ

後になって聞いたら
ノムさんに褒められて嬉しかったから
あのグリップのまま打ったんだ
ありがとうございました・・だってさ」

野村さんも流石だが
やはり長嶋さんはただ者ではありません


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糸を貼って波状紋を完成させた大皿
この上に白化粧を吹きつけますが
経験法則で
何ccの化粧泥を何周吹きつけると
決めてあります
でも迷うこともしばしば

「いつもの通り」
そう思える日が一番安定した結果になるのも
集中の仕方なのです




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by touseigama696 | 2019-04-18 06:02 | ○陶芸雑感 | Comments(6)

物原

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物原と書いて「ものはら」と読む
やきものをしていれば
避けようのない失敗作を細かく割って
敷地の隅などに積み上げておく場所のことである

最初は穴を掘るが 
終いには平らを越えてうず高くなり
大きな破片の山ができるわけだ

しかし昨今 街中の狭い敷地では
そんな物原を設けておける場所もなく
少しづつ袋詰めにして
決められた処理場に運び
有料で処分してもらうのが普通
物原などという風情は消え失せてしまった

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10年ほど前 ふらりと訪ねた
岐阜県大萱の牟田洞古窯跡

今は気儘に触れることはできないが
それこそ物原もあって 志野焼のやきものは
瀬戸ではなく美濃で焼かれたものだと
発見されたのは
その物原で見つけた破片からだった

陶工たちの無念を秘めた破片が
日本のやきものの歴史を塗り替えた
物原の残滓は決して失敗そのものではない

現代の陶芸は
窯場であるよりは陶工個人に依存し
物原から辿る秘密は既に遠い昔の話であろう
物原(ものはら)
言い知れぬ哀感を仄めかすこの言葉
好きだが段々に時代からは遠のいてゆく

我が家の旧房時代
多少敷地に余裕もあって
裏庭に物原らしきものができたが 転居の折り 
無情にもシャベルカーの餌食となって
いず方へか持ち去られて終わった

今の工房にその余裕はない
だから少し溜まった破片は
近いうちに処理場に運ばねばならない

「産業廃棄物処理」
どうしても違和感を禁じえない言葉である


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採泥鉄赤鉢 自作





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by touseigama696 | 2019-04-08 06:44 | ○陶芸雑感 | Comments(0)

ろくろ&ピアノ 


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病みあがりともなると
何でもなかったことが何でもありそうで
出来そうだったものも出来そうにない不安にかられる
更に加齢に縛られて身体はいよいよ窮屈である

何でもなかった頃に書いたやれば出来そうなロクロの話
結構今でもそうだな!って思えて
だからここに再掲してみることにした

以下は
2003年 エッセイ集「折々の折り」に
『ろくろ&ピアノ』と題して書いた一文である


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ろくろの高速回転に腕力をぶつけ
大きな力で土を殺している場面

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力には頼らぬが ろくろの回転を利用して
遠心力と求心力で高さを確保しているところ
この高さが皿の大きさの決め手になる

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ろくろの回転を落とし
右手とスポンジのデリケートなタッチで
見込みに綺麗なシルエットを作ろうとしているところ


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ろくろ&ピアノ 「折々の折り」より 2003/5/13


今日は久しぶりに60㌢の大皿を挽いた
ロクロに乗せた15㌔の土は撫でるだけではついてこない
手順に従って力を使い分けるが この加減には大きな幅がある
顔を真っ赤にして土と相撲とる力
馬の背に乗って馬を説得する手綱の力
幼子の頬を撫でる柔らかくて優しい力
この使い分けが大皿の成否を握ってる

土に直接触れてその力を使うのは指だが
だからと言って力の源は必ずしも指ではない
どこで力を生むのかと問われると さてと思うが
しいて言えば臍下丹田の腹だろうか
足腰で支えた腹を踏ん張ることで力を生む
そしてその力を肩 肘 手首の関節を通して指に伝え
身体全部で土に向かうとでも言えばいいのだろう

それは丁度ピアノの発音の仕組みと似ている
ピアノは
鍵盤を叩いた指の力がフェルトのハンマーで弦を叩き音になる
原理は簡単だが 実際にはこの仕組みをアクションといって
複雑な仕掛けになっている 原理で言えば
シーソーの一端を指で叩くと反対側の一端が跳ねて弦を叩き音になるが
これだけでは音が荒々しくてデリケートな音楽表現が叶わない
フォルテッシモはだせてもピアニッシモは無理かもしれないのだ

それを解決するのがハンマーアクションである
鍵盤からハンマーまでの間に幾つかの関節を作って
鍵盤に加えられた指の力をダイナミックで繊細な音に変える仕組みなのだ
だからこのハンマーアクションのためにピアノメーカーは
それぞれに工夫と違いを凝らし個性をアピールすることにもなる

余談だが
ピアノという楽器の名称の語源はイタリア語で
「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」意味は
ピアノからフォルテまで強弱のつけられるチェンバロ
この中のピアノだけを残して詰めたってわけだ

弦を爪でひっかいたチェンバロにはできなかった強弱表現を
ハンマーで叩いて可能にした発明が
後に楽器の王様と言われるピアノを生んだのである

本題に戻れば
ロクロに乗せた土への力は身体を使ったアクションなのである
腹で作った力を肩・肘・手首を通過させて
土にフォルテとピアノにして伝えるアクションと思えばいい
土殺しの荒々しいフォルテッシモも
仕上げのデリケートなピアニッシモも
完全に制御された力であるためには
身体全身を使い意識を集中して向かわねばならない

僅かな力の違いで土が死なず 形になる寸前で崩れる
一見格闘技のように見える大物挽きも
実は極めて音楽的な表現に似て微妙な力の組合せなのである


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物が大きくなればなるほど
パワーとデリカシーの振幅も大きくなる
自在に制御して狙った姿をものにする悦びは
やはり大物の面白さといえる

力のある時代に挑んで損のない技だと思う
大きな物が挽けると 小さなものの質が良くなる
付加価値とでも・・・





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by touseigama696 | 2019-02-01 10:53 | ○陶芸雑感 | Comments(0)
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ロクロで造形するとき
決して本質的な命題ではなくても
それでも
形の美しさをもとめながら
やはり・・そこはかとない色香ってものに
無関心でいいとは思えない

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とりわけ
丸壺のように柔らかな球形を求めれば
たとえ器にせよ・・馥郁とした妖美は
用途とは別の美しさをもたらしてもくれよう


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難しいのは
行き過ぎて下卑ることだ
ほのか・・と例えたいのは
そうした思いからのようだ

一塊の土を・・細い筒に伸ばし
細長柄で胴を膨らませ
何処にも不連続のない柔らかなシルエットを描く
その成り行きに
できれば色気が漂ってくれれば・・と
密かに願ったりするのである


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柿の実にも・・枇杷にも桃にも
僅かに対称を外れ
肩の力の抜けた穏やかな曲線がみえる
それがほしい!

そんなことを願いながら
ロクロ前で悪戦苦闘する日々なのである





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by touseigama696 | 2018-06-03 23:38 | ○陶芸雑感 | Comments(0)

人間味・・って

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もし・・ロクロが下手だったら
丸い壺を挽いても丸くはならない
水平に輪切りにしてみれば・・すぐ判る
真円ならどこでも一致するはずの切り口が
輪切りにした時と同じ位置でしか合致しないはずだ

下手だったらと書いたが・・実はどんなに上手くても
全点で合致する真円を挽けるひとは・・滅多にいない
輪切りにした壺は・・一点でしか合致しない
それが普通なのだ

さて・・とても興味深い言葉に出会った
先日お邪魔した柿傳で
ご店主の安田さんからいただいた・・機関紙「茶の湯」
去年亡くなられた林屋晴三さんの追悼号で
その中に

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これも先日触れた現代志野の第一人者
鈴木蔵さんが・・こう書いておられる

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        写真は「名碗を観る 林屋晴三著」世界文化社刊より 


志野の国宝「卯の花墻」を評して
林屋さんが述べられた所感のようだが

「・・この造形を輪切りにした時に
重なるところは一カ所しかないこと・・」
と賛美しておられる

この言葉の真意や如何に?である
ほっとけば真円に至らず
どの道一点でしか重ならない造形が
この茶碗では正にそうできているでは
賛美に値しそうにない・・とすれば
一点での重なりが美であるには
目指したものが真円であり
限りなく丸く作ろうとして
なお至りがたく僅かにずれた歪みこそが
人間味といえば人間味であり
「見る場所によって表情が変って
いろんな風景を連想させる」・・に帰結する
そうした文脈のように思えるのだ
そう思って見るせいか・・この茶碗
他に見る志野に比べて・・端整な作りに映る

「染めでできる僅かなムラを・・狙ってはいけない
機械のように正確に染めたくて
でも・・どうしても叶わず
僅かに残るムラだけが
かろうじて味として許される限界
最初からひとのすることだ・・仕方ない
それはダレた仕事でしかない」

遠い昔
江戸小紋の職人さんが
そう言っていたのを思い出し
同根ではなかろうかと・・暫らく考え込んだ

もしこの推論が外れてないとしても
丸いものは・・どこまでも丸く
真っすぐなものは・・限りなく真っすぐに
できればそうしたいと願ってきたが
僅かなゆるぎ・ひずみに美が宿る
まだ到底そう思える域にはいない
たっぷりと日暮れて
しかし全く当てのない道は
どこまでも遠いのである





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by touseigama696 | 2018-04-17 09:16 | ○陶芸雑感 | Comments(0)

抹茶碗の存在感

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これもご注文いただいた茶碗
今朝挽いて・・昼には削った
嘘みたいに・・気温は春以上の夏日
うっかりしたら乾き過ぎそうだ

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糸抜きで紋様を施し
茄子紺で染めるつもりでいる
抹茶碗で何より気にかけるのは・・存在感
点てる人と‥服むひとの間に
短い時間で強いつながりをつくるのは
単なる器にできることじゃなさそうだ

点てた茶を移し入れる器ではなく
思いを込めて・・器の中で茶を点てる
ここに抹茶碗の存在感がある
一期一会‥言葉にすればきっとこれだ

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その一期一会に・・作り手も陰で添う
だから
好い茶碗になってくれたらな・・と
願うのだ





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by touseigama696 | 2018-04-05 06:32 | ○陶芸雑感 | Comments(0)

50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・


by touseigama696