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カテゴリ:〇忘れ得ぬ「思い出」( 5 )

不思議な記憶

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終戦記念日は毎年必ず巡ってくるが
年々歳々戦争の記憶は薄れてゆく
あれから74年 それも自然なことなのだろう

しかし
私にはどうしても不思議な記憶があって
この記念日が来ると時々思い出すことになる


この写真は父方の祖父である
明治11年に生まれ昭和35年に亡くなっている
82歳 あの頃では長命の方だった
今朝の話はこの祖父にまつわる記憶なのだ

私の頭の中にある記憶の映像を
そのままに書いてみよう

縁側が開け放たれた座敷の角に
火鉢を据えて新聞を読む祖父が見える
それも見上げるような角度の先に祖父がいるのだ

というのも
庭の隅に掘られた防空壕の中に私がいるからである
入り口は狭く地面の高さのままに
ふり返った先が祖父ということになる
多分母親だと思うが
写真の現像で使うあのホーローのバットに
幾つかの握り飯を乗せているのが見える

祖父はというといつもの通りの姿
防空壕に入るのを潔くせぬ老人の意地だろうか
今まさに空襲の気配という緊張はない

こう書けば年寄りたちには判るだろうが
終戦間際の東京空襲のひとコマとしか思えない
しかしその時私は3歳の幼児なのだ
あまり記憶にないのが普通の筈である
どうしてこんなに鮮明な映像が頭にあるのか
実に不思議な気がするのである

よくある話なら写真を見て刷り込まれた記憶だが
後に類似する写真を見た覚えもない
第一空襲を避けて防空壕に入るのを写真で撮るか?
カメラなど持ってる時代ではなかったし
物見遊山のできごとではないのである


昭和17年生まれの三歳児が
こんなに明瞭な画像で記憶に残せるとしたら
そこに居合わせたとしか思えないが
そうした事実を祖父は勿論両親からも聞いたことがなく
今となっては確かめる術もない

実はこれ以外にも
幾つか3歳児未満の時代の光景が私の脳裏にある
生きていた頃母親に訊ねると
「もし覚えているとしたらお前が2歳のころだよ」
そんなこともあって
この防空壕の話は夢と現の狭間で
リアリティーを探し続けてきたことかもしれない

それも74年経って
この写真の頃の祖父の歳を越えた
仲々男前な祖父で
若い頃は歌舞伎役者もどきだったと
祖母が言っていたが
静かで物腰の優しい祖父だった
私をクンづけで呼ぶので恐縮した覚えがある

日がな火鉢の傍に坐して
キセルで煙草を吸いながら新聞将棋を楽しんでいた

「あいつは勿体ないことをする」と言って
親父が火鉢でもみ消した煙草を
ハサミで細かく切ってキセルに詰めていたのが懐かしい

不思議な記憶 不思議な思い出である



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新作のカップです


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by touseigama696 | 2019-08-18 09:36 | 〇忘れ得ぬ「思い出」 | Comments(2)

倉敷珈琲館のこと


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那須紺糸抜き麦藁手cup & saucer  自作


倉敷に倉敷珈琲館というコーヒーの専門店がある
若い頃から知っていて
いっときはこのお店が焙煎した豆ばかり飲んでいた
40年以上も馴染んできた珈琲なのに
それでいてとうとう一度もお訪ねしたことがない

このお店の豆を焙煎していた乗金芳子さんを
紹介してくれたのが今は亡き評論家の犬養智子さんで
一緒に番組を作っていた頃
彼女の自宅で飲む珈琲が乗金さんの豆だった
珈琲豆の焙煎の世界では定評のある方で
選び抜かれた黒褐色に艶々と輝く粒ぞろいの豆が
芳醇な香りとともに定番の箱詰めで送られてきた
その都度 乗金さんの手紙が同封され
この珍しいお名前もしっかりと覚えた
ブルマン系の豆で確か「ハイ・マウンテン」が
私の好きなブレンドだった

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糸抜き線紋cup & saucer 自作


その都度ミルで挽きながら
日に数杯 裏返したネルのフィルターで丁寧に落として飲んだ
3~40代 珈琲が一番美味しいと思える年代だった
あの味覚がもうない
珈琲から遠ざかったのはそれが大きいかもしれない
今も毎朝一杯は飲む でも乗金さんの豆ではない


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那須紺糸抜き線紋cup & saucer 自作


犬養さんが逝き
乗金さんも一線から退かれたとある
香りはまだ嗅脳に残っているが
遥かな思い出になってしまった
倉敷のお店を訪ねることはないかもしれないな




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by touseigama696 | 2019-03-12 06:42 | 〇忘れ得ぬ「思い出」 | Comments(2)
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ほぼ一か月半 入院騒ぎを真ん中に
殆ど外出らしき外出もせずにきた

だからかもしれないが昨日は 午前中の外来で
そもそもの主訴「腹直筋血腫」の全治を告げられ
ちょっとした開放感から
珍しく独り車を走らせて南房総をドライブした
「海が見たい!」 長時間の蟄居を強いられると
ときどき起こる発作みたいなもの
そういう時は外房の遠大な太平洋がいい

高速を降りて
内房姉ケ崎あたりから内陸を安房鴨川へ
懐かしくも走り慣れた道である

13年前に逝った父
それから3年して後を追った母
ふたりとも90歳を越えての長命だった

60代も半ばのころのように思うが
ふたりの望みで南房総の暖かな山間の老人施設に転居し
多分20年以上を時折りの見舞いで
2時間かけて通ったのがこの道だった

ひとに一期があるなら 道にも一会はある
丁度10年前 亡母のミサを済ませ
もしかしたらこの道を走ることも もうないかも
そう思った道だが 10年ぶりに走ったことになる

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小高い丘の上の緑を見下ろすように聳える
結構大きな高層マンション
手前の建物も付帯する施設で敷地は広い
ここが亡父母の終の棲家だった
折角だから訪ねてみた
向こう側の南面の窓からは燦々として陽が溢れ
室内は真冬でもTシャツ一枚で過ごせる
老人には何よりの寒さ知らずだった

写真の右手には更に介護棟があり病院があり
その先には霊安所もある
行き届いた施設で最後まで看取ってくれた
だから兄弟のない長男だが直接介護をすることもないままに
見舞いの数を重ねて増やしただけで見送ったのだった
丁度10年 光陰はまさに矢の如しである

これもまた懐かしい鴨川の海岸には出たものの
折悪しく細かい雨が降り出して 海辺を歩くことは叶わなかった

やむなく館山 木更津を経て
ドライブだけで帰宅したのは夕方だった
 再びあの道を走ることはあるだろうか
「一期一会」
ひとにも道にも想い深くあるものだ



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ぐい吞み  旧作





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by touseigama696 | 2019-02-23 05:35 | 〇忘れ得ぬ「思い出」 | Comments(2)

パニック障害

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昨日の話題でも触れた「機上でひっくり返ってアンカレッジで入院」
とあるのは実は後になって解るが
今なら 機内でパニック障害を起こしたと云えそうだ
当時は「パニック障害」という言葉も
更に関連する「エコノミー症候群」という言葉もなかった
だから専門医から
「あなたに起きたことはパニック障害だよ」とは
一度も診断されたことがない
しかし思い返してみると最も該当している病名に思える

昨夜NHKがその「パニック障害」を特集してた
嬉しい思い出ではないが思わず昔懐かしく見てしまった

なるほど6年ほどにわたって苦しんだ日々が
そっくり再現されていた
他人の三倍仕事のツケではあるが
今となれば無事に通り過ぎてこられてよかった

もうこの話題で書くこともないだろうが
昨日の放映によればこの病い 現代人の罹病は増えているとある
もし思い当たる節がおありだったら
ヒントになればと書いてみることにした
パニック障害からの脱出である

1969年 丁度50年前の今頃の季節
3ヵ月の予定で欧州の取材に向かう機内
羽田を出て4~5時間
飛行機は北太平洋をアラスカに向かって飛んでいた

出発前の1ヶ月 殆ど眠る暇もなく仕事して
流石に音をあげるほどヘトヘトだったが
不在の3ヵ月の放映予定番組の制作準備をあらかた済ませ
後をアシスタント・プロデューサーのKクンに任せ
パリに着いたら1日くらいゆっくりすれば回復と
離陸した飛行機で飯も断わって眠り込んだのだった

ひと眠りして目が覚めたら異変が起きた
やたら息苦しいのである
DC8という飛行機は後のジャンボと比べたら小さな飛行機で
狭い機内が満席ならそんなこともありかと
深呼吸を繰り返してみたがますます苦しくなった

たまりかねてスチュワーデスに
(当時はCAと云わなかった)助けを求めた
事情を話すとすぐに酸素ボンベを持ってきて
私の顔にマスクをかけた
勿論機長にも連絡が入り座席にやってきた
両隣りの乗客はCAの依頼で別の席に移動し
私は3席をつないで横になった

更にCAのドクター・コールがあって
夜中の機内が俄かに緊張した
横になったまま頭も上げられないほどに
全身が無力感に押しつぶされ
酸素マスクのひもを後頭部にまわすこともできなかった

「羽田・アンカレッジとも連絡を取りました
今この機は往路の丁度真ん中あたりにいます
戻るか行くか協議しましたが
アンカレッジでケアできることも分かったので
このまま行くことにしますがご了承ください」
機長がそう言った たまたま乗客にDr.もおらず
この時点では私に何が起きたのかまるで分らない
アンカレッジで医師の診察を受けるしかない

ここからはパニック障害に関わることに話を絞ろう

着陸するころには少し落ち着いてきたが
機長の要請でアンカレッジで降機し
空港JALの係員の世話で病院に向かい そのまま入院になった
担当してくれたDr.シュテルは
「心臓の血管に小さな血栓が詰まったんだろうが
血管の拡張剤を打ったから
血管が広がって血栓が流れれば問題ない」そんな診断だった
後のカテゴリーでは多分これが「エコノミー症候群」で
狭心症とか心筋梗塞とまでは深刻でなかったと想像できる

入院は一ヵ月続いた 息苦しさは取れたが
手術をして解決したという性質の病気でないから
何が起きて何をすればどうなるが明瞭ではなく
心理的な不安は解決したことにはならなかった
つまりこのあたりが当時の医療では明瞭に
「エコノミー症候群」「パニック障害」という
カテゴリーを持っていなかったからなんだろう
帰国して聞いたのは心臓神経症という病名
心臓ノイローゼつまり心の病いということだ

突然息苦しくなって 呼吸困難になる
幾ら息を吸っても肺に空気が入る感じがなくて
このまま死ぬのかなって不安に襲われる
救急車で運ばれても心臓や肺に異常は見つからない
原因不明のまままた突然同じことが起こる
だから毎日暮らしていても
苦しくなったらあそこに駆け込もうという病院を
メモしておかないと不安でたまらない
自然に外出もしたくなくなり鬱にもなりそう
自宅にこもれればまだしも
仕事に行けるだろうかと絶望的な気分になる

昨日の放映で特記されていたことは
当時の私そのままだった

仕事柄不規則な生活は日常のこと
事務所にいて済むことなんて殆どない
どこにいても忙しいし
病院があろうがなかろうが
行かなきゃならないならどこにでも行く
およそ病気対応の生活ではないのだ
更に決定的だったのは
私が海外番組を重点に担当するPだったことだ
飛行機に乗るのが嫌いでは済まない立場だが
飛行機は嫌いになっていた それも新しいストレスになった

復帰後に乗った最初の飛行機がこれまた皮肉にも
トラウマのアンカレッジ経由のパリ行き
その直前にグアム取材でテストして大丈夫だったのに
嫌な記憶がよみがえりアラスカからの8時間
この取材から無事戻れたら二度と飛行機には乗らないから
ここだけはどうか無事に済ませてくれと祈ったほどだった
それでも案の定パリで苦しんだ
多分これがパニック障害なのだ

寝ても覚めてもこの苦痛から逃げられず
仕事からも抜けずに頑張っていたが
(一応大マジ社員で頑張るつもりでしたからね)

決して家庭的な亭主でも親父でもないけれど
生まれたばかりの娘がいて
自分だけ乱暴に生きるのは如何にも身勝手
身体を徹底的に治すことを優先して退職リタイアしたのは
そうした挙句の決断だった

さてまた端折ろう 散々もがいた末に
私はパニック障害から脱出することができた

どうして? 何をしたから?
巣ごもりしてうずくまるような日々に
ある日突然光が射した

たまたま近所の同級生の家で
クラスメイト達が集って麻雀をすることになった
私は当てにならないメンバーだから
誘われたわけじゃなかったが
たまたまひとりが急用で帰ることになり
代わってくれと言ってきたのだ

昨日は麻雀はできないと書いたが
それは会社の人間はプロもどきばかり
手強すぎるからで 全く出来ないわけじゃなかった

決して嬉しいピンチヒッターではないが
 困れば救急車くらい呼んでくれるだろうと
出かける決心をしたのだった
ところが
気心知れた幼ななじみでもあれば
気を許して加わった麻雀
楽しくて気がついたら夜が明けていた

それでいて何も起きていない
気分もいいし苦しくもない
夜食も美味しかったし疲れてもいない
いつもなら夜の8時を過ぎれば
ベッドに潜り込む時間も
とっくに過ぎて朝だ 暫く考え込んだ

出た答えは 何かに夢中になって
不安を忘れていれば不安に襲われることはない
大事なことは不安から遠ざかることではなく
楽しいことに近づくことだと感じたのだ

誰かに
「病気の改善のために 麻雀でもしてみては?」
って言われたら
「冗談よしてよ苦しいんだから」きっと断る
詳しいことを知らない親友たちの思いがけない誘い
正面切った助言でもなかったから
たまには行ってみるかの決断だったが
そのさり気ない偶然が良かったのだろう

その日から地元の友人に頼んで
週末は我が家で徹夜麻雀を重ねた
麻雀が目的ではなく夜更かしが狙いだった
妻に頼んで豪勢な夜食を提供し
徹夜につき合ってもらったのだ
日に日に自信を回復し行動半径が広がった

楽しければ夜更かししても体は参ったりしないのも解った
私感ではあるが もっと極端なことをいうと
死にたくないという思いが強ければ不安も大きいが
いっそ死んでもいいさって開き直ると
不安は遠のいてくれそうな気がしたのだ

パニック障害からの復帰に最も大事なキーワードは
きっと「自信の回復」
それがどうしてもできずにいて苦しんだが
最後の最後に「開き直って」それを手にしたように思う

「あの苦しみが麻雀で? からかうなよ!」
深刻な患者さんから叱られそうだ
 しかし開き直るというのは
常套ではないところで大事なものを見つけるチャンスでもある
溺れれば藁でも助かることがあるのだ

36歳の干支までの6年を経て
パニック障害に関わる色々な恐怖からはすっかり遠のいた
既往のキャリアさえ忘れてる
先日来の「逆説的真理」に従えば

「死を恐れれば死は遠のくのか?」

77歳ともなればほっといても遠からずの「死」
何となく答えが判ってきてる

北太平洋上で経験したことは
半世紀も早く私に人生の究極にある命題に
答えを考えよだったのだろうか

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写真は退院の日の朝
アンカレッジ・コミュニティーホスピタルの前で撮ったもの
白い車の後部に立ってるのが私である 1969

ここに書いた私見
専門家に推敲してもらってるわけではない
断定できるものはないが
苦しみからやっと逃れる時に
正論はひとつとは限るまい
病いに立ち向かう勇気に少しでもヒントになればの
一文と思ってくだされば幸いである






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by touseigama696 | 2019-02-07 14:24 | 〇忘れ得ぬ「思い出」 | Comments(6)

チッコイ会社の伝説

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(本文とは関係なく自作のカップ&ソーサー)


1966年に入社して間もない頃
ベテランのフィルム編集者さんから・・こう言われたことがある

「おい!オマエはさ 呑むのいける方?」
「酒ですか? 自慢じゃないけどまるでダメ下戸です」
「ほぉ~っ・・じゃさ打つのは?」
「博打ならやりません・・麻雀も打ちませんし」
「ありゃ・・それなら小指かぁ?」
「それってあれ?ですか すんません 
ついこのあいだ嫁さんもらったばかりで・・」

「ほぉ~そうなんか そうだとしてさ
じゃオマエ何が楽しくて生きてんの?
この一言は今でも忘れません
よくある男の生き方のひとつでしょうから
もしかしたら私は映像の世界には一番不向きなキャラだろか

「ならこの会社創立以来初めての
大マジ社員になったろ!」
決して先輩編集者さんに盾突いたわけじゃありません
呑めない酒飲んだり 
打てない麻雀打つ方が余ほど面倒で無理なことでした

「デッカイ会社の歯車よりも
チッコイ会社で伝説に~!」

密かにマジナイを唱えながら
ややチャランポラン気味の会社で
唯一のマジ社員に取り組み始めました

大蔵省でマジやろうとしたらえらことです
周りはマジだらけでしょうし
第一頭の出来も違います
でも私がいた会社ならこれ狙い目です
他に見当たらないマジ人間
受けそうだと思ったもんです
どうすればいいかって?
体力まかせにひとの三倍仕事することです

取材に出る機中でひっくり返ってアラスカで入院したり
あのパリのど真ん中で具合悪くして寝込んだり
三倍仕事のツケを払いながら
それでも段々に伝説を作り始めていったのでした
会社からの評判は思の外よかったです
呑み屋の伝票だして経理から「ご苦労さん!」って
云われるの私だけでしたね

しかしやっぱりそのマジがたたって
医者から忠告されるほどに自信を喪失した体が原因で
会社をリタイアして10年くらい後
かつての後輩に会うために会社を訪ねたことがありました
私のあとのプロデューサーになったK君と話していると
近くのデスクに座っていた男性が声をかけてきました

「もしかして三崎さんてあなたのことですか?」
私より先にK君がそそ そうだよと答えました
何やらふたりで苦笑いしてる風でもあります

「実は私今Kさんの下でプロデュースしてますが
やたら仕事が多くて一人じゃできません!って
何度か泣き入れたんですけど・・」

「あのな ひと昔前だけど
ひとりで月間8本の番組担当したプロデューサーがいるんだよ
月~金の週5ベルト3本と週1を5本
オマエ今何本で参ってるの?」

「いっつもこれではぐらかされてきました
あなたの半分にもなってませんでしたからね
でももしどっかで会ったら
すっげぇなとは思いますけど
でもそんなの迷惑ですよ!って言いたくて
ずっと腹にしまってました
Kさんとのやりとり聞いてて もしかしたらって
やっぱりそうだったんですね・・」

云ってる割には顔は笑っていたから
「そかぁ~ゴメンナ!」で済んだ

この話も忘れない 嬉しかった
誰かが記録を作っておく
その記録を越えるためなら
また誰かが躍起になるもんだ
そうした躍起がつながらなければ
越えてゆく者もおらず
面白い会社に育つこともない
ささやかでも伝説とはそうしたものじゃないだろか
とりわけチッコイ会社ならなおのことだ
時間には限度があっても 能力には限りはないからね

他人の三倍仕事 今はそういう時代じゃない
法律で縛られることにもなって
体でつくれる伝説はないのかもしれない
頭と理屈で作るって 大変だろうな!
病みあがりで衰えゆく力を悲観しながら
あの時代で良かった ふとそんなことを思う

「それでも結構楽しんで生きてきましたよ」
今は亡き先輩フィルム編集者さんに
そっとそう言ってみたいものだ




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by touseigama696 | 2019-02-05 09:41 | 〇忘れ得ぬ「思い出」 | Comments(0)

50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・


by touseigama696