桃青窯696:〇わたしの流儀
2022-02-07T00:48:01+09:00
touseigama696
50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・
Excite Blog
ひと欠片の職人かたぎ
http://touseigama.exblog.jp/29081908/
2022-02-07T00:48:00+09:00
2022-02-07T00:48:01+09:00
2022-02-07T00:48:01+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
好天続きの季節的な乾燥暖房器具フル回転の乾燥作りの悪さのせいで歪む不規則な器面近ごろややぶり返す古傷の肩腱板断裂がもたらす結構きつい筋肉の痛み
並べれば幾つかの不都合の挙句思い通りにならない土の抵抗に虐められ悪戦苦闘の朝を過した一昨日
投げ出して誤魔化せばそのままそこで潰える職人の意地受け入れるはずもなく思いっ切り息を吐きだして素焼きの器面に立ち向かいどうやら言うことを聞いてもらえるところまで立ち戻ることができた
そこまでで一段落もありだろうが私は間髪を入れずようようマスキングの済んだ皿に紋様の糸を貼り始めたこのまま土との戦いを続けると宣言したようなものだ
午後は一心不乱で貼った意地みたいなものだこの局面では思い通りの結果を得るためにどうしても土に勝たねばならないそれが職人の意地だと思うのだ
更にマスキングで言うことを聞かせた4枚に紋様本体の糸を貼りその上に更にもうひとつ意地を重ねた
茄子紺の顔料を筆差しで塗布したのだ後ろの4枚がそれである糸を外し駄目を詰めて補筆を終わらせたら午後の9時を過ぎていた
言うまでもないがここまでの一日土には何一つ落ち度はない全ては作り手の不始末なのだ
だから午後一杯投げずに戦った相手は土ではない云ってみれば自分との戦い それに尽きるここで勝っておかないと失うものは器ではない風呂に入りながらそんなことを考えていた
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我流の一碗一服
http://touseigama.exblog.jp/28919535/
2021-10-14T00:50:00+09:00
2021-10-14T01:15:13+09:00
2021-10-14T00:50:53+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
工房に居ての夕方 いつになく眠気を覚え久しぶりに茶を点て独服に及んだ
きちんと茶を学んだことはない後にあさはかな偏見と知るに至るが
若い頃は拒んでいたりもした
井伊直弼の「茶の湯一会集」に出会ったせいもあるがそれよりも我が身の老いの知らしむる帰結だろうか茶は茶 自ら茶筅を振って泡立てる束の間に様々な一期一会が走馬燈のように走る
未だに作法は知らない足と腰に不足があって今では正座は到底覚束ない正座が出来ずに稽古もないもんだと我流立礼に籠るのもやむなしなのだしかし茶筅は振れるようになり茶が美味くなった自作の茶碗での一服にささやかな寛ぎを感じる夕方だった
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サボる言いわけみっかんねぇし!
http://touseigama.exblog.jp/28616789/
2021-05-26T11:49:00+09:00
2021-05-26T11:49:44+09:00
2021-05-26T11:49:44+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
「サボる言いわけみっかんねぇし!」「しゃんめい 歩くとすっかぁ!」明け方寝起きにそう決めたほぼ毎日似たようなもんだでも掟はこんなもんがいいサボっても誰に迷惑かけるわけじゃなし大した罪悪感もなくて済む
9年前の3月25日前立腺で受診したはずだったが「それどこじゃないな!これ立派な境界型糖尿病だ」まさしく驚天動地前立腺を脇に置いて糖尿との戦闘開始を決意その夜から歩き始めた これがその初日の記録である
昨夜歩いた距離を翌日車で測定したらなんとピッタリ4㌔糖尿からの復帰なら何でもする気で
歩き始めたのを覚えている
その年の夏4㌔×4ヶ月=480㌔超を記録8月4日に546㌔を記念して独りでイベントを実施した東京⇔京都500㌔つまり東海道五十三次を模して日本橋から京都三条大橋まで新幹線で日帰りし橋の上で500㌔を胸深くに刻み込んだのだった
往復の新幹線の窓から見る時間と距離は日に4㌔とはいえ続ければとんでもない遥けさこれを4ヶ月で歩いたと実感したのは後の継続の大きな力だったと思う
確か1年足らずだったと思うが「糖尿・・治るんだぁ治しちゃったね!」嬉しいよりも少々腹立たしかったこのドクターきっと治せるとは思っていなかったそんな気配を感じたからだその日を期に通院を止めた
今は何もしていないがでも折角の習慣続けることにして4㌔を2㌔に減らして今に至っている
そして今朝も記録し通算5,908㌔と書いた生活歩行は加算せず自分で決めたコースを歩いた分だけ8年間の延べ距離である東海道なら6往復完歩が目の前だチリ積ものお陰で生活習慣病とは距離を置けてるが頭の劣化は免れがたい整形外科的満身創痍の痛みや不自由と同居しながらこのでっかい図体をなるべくならひとの世話にならずにそこそこ狙いで行きたい存念をどう実現できたらいいんだろ
このコース早朝ともなればすれ違う人もいない路面も整備され信号もない実に歩きやすいコースである
簡単に転ぶ筋力の低下は歩くことさえ注意深くが必要であるノルディックスティックを手にしながら30分を頭の運動に振り向けて遥かな遠い昔を思い出しては海馬に再記憶するよう命じている
「ほらほら アレ誰だっけ?そそ名前が浮かんでこないんだよええっと??」30分はあっという間である
彩色水指
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マスクを効果的に
http://touseigama.exblog.jp/28516021/
2021-03-31T13:29:00+09:00
2021-04-01T05:41:27+09:00
2021-03-31T13:29:55+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
マスクを効果的に・・と云ってもここではコロナ禍の必須アイテム あのマスクのことではありません
日々工房で様々なやきものを作る陶芸家にとっても大事な技術のひとつがマスク技法なのです
とは言うもののマスキングはそれ自体が加飾の主力というわけじゃありません加飾が効果的な表現を可能にするために補助的な役目を負うのですがその良し悪しが結果に貢献するためにもマスクが上手くなることは大事だと思ってきました
マスキングをひとことで言えば作業の流れの中で今加飾してる部分は露出しそれ以外を何かで覆い隠して汚さないように進める技法です
その区分けの境が直線ならさほど厄介ではないのですが露出と遮蔽の境界が曲線だったりすると俄然手のかかる作業になります陶芸の場合直線は限られていて殆どの部位で曲がることを求められます初心のころから悩まされましたが糸状のICテープに出会って活路が開けたのでした
これは高台周りの見切り線ですこのテープは2㍉幅のICテープで曲線に対応して自分が曲がることができるものですですから高台周りを曲がりのシルエットで貼れます
ところがこの黄色い紙テープの領域をICテープで貼るには細すぎて広すぎます
極く一般的な紙素材のマスキングテープを使いますがこれは曲がりません紙テープできれいな曲線のシルエットを描くのは無理
他の手段となると撥水剤で避けるかラテックスというゴムで必要な部位をカバーして遮蔽するか或いは彫るか描くかぐらいかもしれません
上の高台周りの写真同様ここでも1~2㌢間隔ほどで紙テープが規則的に皺を寄せています実はこれで紙テープは2㍉のICテープの上ではみ出ることなしに貼れるようになりシルエットのきれいなマスク線をすっきり表すことができるのです
1本だけICテープでシルエットを出せばあとは紙テープを皺寄せて貼り回せば済みますコストにも影響するし何より時間の節約は大きいです
マスキングは様々な技法の完成度を上げるにもあるいはそれらの複合化にも極めて有効な技術です
わたし流のテープの持ち方貼り方です紙テープもICテープの曲がりに合わせて短いスパンでテープを動かします
右手で曲がる方向と僅かな角度を決めたら左手は持ち上がった皺の頭を押さえますICテープの巾をはみ出してはいけません
この動きを1~2㌢の間隔で繰り返し曲がらない紙テープが曲線シルエットに添ってICテープの上で納まります
実際の皿に貼ったらこんな感じです内側の窮屈さを考えながら皺寄せたり離したりで加減します
外側はうっかりするとICテープから離れて隙間を作ってしまうので気をつけます
このICテープは使用する量で考えると決して安価なものではありませんがその分どう工夫してコストパフォーマンスを計るかそれも仕事の内じゃないでしょうか
作業中のパスタ皿マスクしながら全て貼ってこうなりました
その上に白化粧をガンで吹きつけました
丁寧に糸をはずしたらそのままマット系の3号釉をやや薄目に吹きつけます
マスクされている部分は黑絵具を筆差しで塗るのですがそこに石灰釉が掛かると光沢が出て漆黒が失われるので3号釉は糸の上だけにしてここではマスクを外していません
釉掛けを済ませてからそれ以外のマスクを外してhus10の黑絵具を筆で差します
黒を塗り終えて作業完了後は窯に入れるだけです2㍉の見切りは素地の焼き締めになり白と漆黒の狭間をきっちりと仕分けてくれる筈です
裏も同様のコンセプトです
完成した旧作の一枚 同じ作りですマスキングの良し悪しは作品の上がりの美しさにつながります
この項目で書いてみたいと思いながら実際に手がけたら大きなミスをしてしまいかなりの写真が使えなくなってしまいました
そこで同じものを二枚つくろうとしていましたから両方の写真を混ぜて構成しましたために上手く解説できないところもあってさぞや分かり難かったに違いありませんお詫びしてお許しを・・です
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清く正しく美しく
http://touseigama.exblog.jp/28441290/
2021-02-13T11:42:00+09:00
2021-02-14T18:18:58+09:00
2021-02-13T11:42:05+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
自宅自室のドア傍に置いた消毒三品「除菌ウェットティッシュ」「消毒アルコールジェル」そして「マスク」
戦争どまん中に生まれ終戦直後の混乱不潔の中で育った昭和二桁直後世代としてはおよそ縁の薄い清潔保持感性「清く正しく美しく」思い出すのはむしろあの宝塚です
いきなり余談ですが大昔一度だけタカラジェンヌにお目にかかったことがあります勿論清く正しく美しくですそれが往年の大スター上月昇さん通称ゴンちゃんでした
細かいことは何も覚えていませんが待ち合わせのためのどこかのロビーで向うから歩いてくる彼女の容姿と実に魅力的な笑顔さすがでしたWikiでチェック入れたら20年も前に58歳でお亡くなりになっていたんですね映像で見れば「佳人薄命」 この言葉のままです
=閑話休題=
コロナ禍と同居するようになって1年どこか場違いな出会いみたいで馴染めない日々を過しながらそれでも次第に打ち解けるしかない・・とそれなりにつき合い方を模索してきました
私流のやり方は最も自然に理に叶った手順で良い習慣を編み出しそれを迷わず例外なしに続けるそうすると時間が経てば仕種として身に着き流れるような日課に変貌して苦もなくなるそんな目論見で1年を過してきたみたいです
あと3カ月もして令和1年に戻れるならこんな習慣に馴染む必要はないのでしょうがきっとそうはならないでしょうコロナと同居しつつも最小限の被害で済ますには
ライフスタイルの中に良き習慣を植えつけるしかないそう思うようになってきたのです
むかし仕事でつき合ったプロゴルファーさんが教えてくれた一言がとても良いヒントになっています
「正しいスウィングフォームを教えてあげるとねアマゴルファーは苦しくて打てないのが普通だからいつの間にか自分で楽に打てるフォームに変えてしまうもんだそこで終わりさ
ところが上手くなる奴は諦めない苦しくてもそのフォームで練習を続けるのさどうなるかというと今まで苦しかったフォームがいつの間にか一番楽に打てるフォームになってることに気づくよ
こうなりゃいつでも安定して良いショットが打てるというわけだプロはみなそうしてきた連中なんだよ」
苦しいフォームで始める朝一番のショットは洗面適当にやるはダメと決めてこうしています
ハンドソープを手にとって丁寧に手洗いをします汚れた手で新しい汚れを作らない一歩がこれそしてきれいな手で歯ブラを持って歯を磨きます髭剃りとか義歯の手入が必要な方はこれに続き最後にそのままきれいな手で洗顔
顔を洗ったら左の山から洗濯済みのタオルをとって顔を拭き昨晩使った使用済みタオルを鏡前から外して洗面台を掃除します空いたタオルハンガーにいま使った顔拭きタオルをかけて夜までの間は顔以外に使います
洗顔の一番最後はうがいです終日在宅で余人無接触の日は省略しますうがいクスリの多用は少し不安なので外出から戻った時を限定して実行します
これらはあくまでも私の流儀それぞれに自分流でいいのですが大事なことは合理的な手順を決めてその通りに繰り返して体に覚え込ませることです考えずとも予定通り手が動けばそれが習慣であり日課として定着するのです
こうしたことは陶芸でも同じで「決めて守る」鉄則だと思ってきたことです
洗面を済ませて自室に戻ったら次の日課がこれ体重と体脂肪率の測定ができます着替え直前の薄着のタイミングでなるべく実体に近い計量にします
続いて血圧 脈拍を計測してノートに記録します朝の計測は目覚めてすぐと30分後では大分違いますどちらにすべきか案外迷いますが私の場合 着替えてからで計測していますこの計測は起床時と就寝時2回です
右のノートには体重系 血圧系以外にも一定の定日定時で血糖値測定 ウォーキングの累積記録行動メモ 忘れない限りでの排泄記録なども記録しますそしてこのノートは月に一度の健診日に主治医に見せていますこれが私の朝晩の日課です
こうしてみると結構面倒なことに見えますがノートに関わる記録は8年目のことだし
日課もコロナ禍以来1年になるので大分苦しさは消え楽なフォームで打てているみたいです
「これなら長生き出来ますね!」
時々知人からそう言われますが
79年を振り返ればあっという間のようで
それでいてまたそれなりの長い時間であり
決して過不足を感じる人生ではありません今はむしろ無事に辿り着けるかが大事だと思うのです
宝塚精神「清く」「正しく」「美しく」になぞらえるなら「清潔に」「頭が使えて」「迷惑かけず」
ただただそう願うばかりなのです
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器のサイズとライフスタイル
http://touseigama.exblog.jp/28364396/
2020-12-21T01:16:00+09:00
2020-12-21T06:31:26+09:00
2020-12-21T01:16:44+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
この7個はビアマグのつもりで作っている径はどれもほぼ8㎝前後高さは左端が14㌢で右端が10㌢であるサンプルではなく商品としてひとつのユニットの予定で挽いた
ひとつひとつのサイズも決めずこの近辺という辺りで適当に止めているそれでも形状を屹立風にし口径を似たものにすることでシリーズとしての一貫性は何となくあるその程度のラフな発想の産物である
数日前器の同寸同姿について触れて書いた同じものを数挽けるということはひとつの技術として大事ではあっても同寸同姿を避ける器の在り様もある「選ぶ」をキーワードにすれば同じ用途の器であっても私と彼とは別のサイズが自然でむしろ好みを生かして選ぶのが今の時流と言える
ビアマグを想定していると書いたがそれも想定であって珈琲カップで使いたければそれでもいいそのつもりでハンドルをつける予定はない
形と加飾に一貫性をもたせながらフリーサイズで使い手に選んでもらうその気儘が食器の在り様を様変わりさせつつある
そんなコンセプトでひとつのシリーズをまとめてみたいと思うのだ
前回焼いた作品のひとつがこれ口縁部の僅かな傷ではね自分で使っているスリムだが背の高いビアマグ結構気に入って同じコンセプトでシリーズ化しようとしている
応用と変化に適応する少品種の多目的化人々のライフスタイルは日々に変化していると思う
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ひとの目&むしの目
http://touseigama.exblog.jp/28196955/
2020-08-13T08:34:00+09:00
2020-08-13T09:09:00+09:00
2020-08-13T08:34:54+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
肉眼はワイドで俯瞰を見てるみたい何もかもが広くて遠いだから姿の美しさの陰で虫たちを惹きつける受粉の秘密は見えていない
花の中にレンズを滑りこませて花弁にぶつかりながら一緒に潜ってゆくと花はよそゆきを捨て 我に返って寛いでみせる淡くて穏やかな色合いだが虫たちが見てるのはこの色ではないらしい
風に揺られて膝を崩し
虫のためだけの秘色に染まる
ひとの目に映る華麗な色彩はひとの手を逃れ束の間を安全に咲ききるため
レンズを引けば眠りから覚め また人の目に妖艶である
ひとのために咲くいっときはどこまでもひとに美しい実利を離れどこまでも美しい
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小澤征爾と村上春樹
http://touseigama.exblog.jp/28177783/
2020-07-25T23:13:00+09:00
2020-07-26T10:52:23+09:00
2020-07-25T23:13:52+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
昨日だか一昨日だか定かでないが仕事しながら見るともなく聞いていた番組で日頃耳慣れていながらあまり好きになれない男性アナウンサーの声が聞こえた
何やらスポーツの選手にインタビューをしてたが「最後の質問だけどあなたにとってのサッカーとは何ですか?」と聞いた
これサッカーだったか野球だったか覚えてないがそれはまあどうでもいいことで「あなたにとって○○とは何ですか?」というこの質問結構定番でよく聞くがこれひとつでそのインタビュアーのセンスを限りなく疑いたくなる
つまり一言でいえばそこまでのあいだ愚問を重ねて不勉強を晒しながら最後に核心にふれたみたいな気分で言い出す最愚問がこれだそれを言わせて何が分かるの?
長い間に一、二度だが私もその質問を受けたことがある「あなたにとって陶芸とは何ですか?」
極めて素っ気なくこう答えた「仕事です」その一行は決して紙面にも画面にも使われはしなかったインタビュアーの愚問のつけをインタビュイーに押しつけて「最後に気の利いたこと言えよな!」そりゃないよ!である
今朝も仕事をしながらふと思い出すことがあったこの本のことである
思い立って書斎に戻り探した転居前のこと処分してしまったろうか?自信はなかったが書架を舐めるように見据えた「あったぁ!」滅多にないことである
何故にこの本なのかといえば指揮者の小澤征爾さんとジャズを交えてクラシック音楽の話しだけで
370ページの本にするだけの極めて中身の濃いインタビューを重ねた作家の村上春樹さんのことを思い出したからだったノーベル賞よりノーベル超の賛歌を讃えたいほどの
卓越した音楽対話である
工房で手を休め思わずページを開いた既に初見の折に赤鉛筆でマーキングさえしてある思い入れを懐かしみつつ村上さんの前置きにやっぱり!をみつけた
「そういえば 俺これまでこういう話をきちんとしたことなかったねぇ」この一言を小澤さんから引き出したインタビュアーは他にいなかったのだ
当時 病いに倒れた小澤さんはありきたりに見舞えば済む生き方とは程遠い村上さんはこう感じていた「簡単に言ってしまえば この人はまっとうな考え方を超えた人野生の狼が深い森の奥でしか生きられないのと同じように」
小澤さんにその森の深さを語らせようとすれば村上さんにもまた狂気の音楽論がなければならないそしてそれが異分野の文学者の脳内にあったのだ
小澤さんもあと書きでこう書いている「音楽好きの友人はたくさんいるけど春樹さんはまぁ言ってみれば正気の沙汰をはるかに超えているそして好きなだけでなくよく識ってる」
村上さんのインタビューが持つ磁力の源泉はここにある当然だが読者もまたこの磁力に吸い寄せられるのだ
この本を見つけたのは偶然みたいなもの更に偶然は重なった最初ブラームスから始まってすぐにベートーヴェンのピアノ協奏曲三番に移るがその三番の演奏は若くして夭逝したグレン・グールドその演奏から発展してカラヤン バーンスタイン ゼルキンと話題は限りなく森の奥に踏み込んでゆく
ここでまたふと気づいたのが「待てよ私が持ってるベートーヴェンの三番誰の演奏だっけ?」
雑然としたCD棚を探してみたそして また見つけた
なんとグレン・グールド盤だった
本で話題にしている録音のCDである
同じ三番が別の演奏でもう一枚あったが当然グールドを引っ張り出した
座ったままの作業台のすぐ右まるでふたりの対話とリアルタイムのような錯覚と共にベートーヴェン ピアノ協奏曲三番が工房に響いた彼らも聴きながらの対話なのだ
こんなこともあるんだ見つかる日は何でもみつかるしばらくは手を休め読みながら聴いた
このCD三枚組でベートーヴェンピアノ協奏曲の全5曲盤である
夕方まで仕事しながら結局5曲を二回り聴いたことになる久しぶりのどっぷりだった
該博な知識に裏づけられた村上春樹さんの卓越したインタビューが小澤征爾さんの深い森に一緒させてくれる得難い臨場感である
どんなに喋りのプロだとしても不勉強は駄目だ巧みな質問に誘発されて何かを思い出し 思わず喋りたくなるインタビューの秘訣はきっとそこだ
でも・・・最後になってちょっと心配がひとつまさかのことだがこのインタビューのどこかで村上さん 小澤さんに向って
「小澤さん! あなたにとって音楽とは何ですか?」
なんて訊いてないだろな?
ちと調べとこ!
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ソフィア・ローレンの夏
http://touseigama.exblog.jp/28108693/
2020-05-25T08:20:00+09:00
2020-05-26T08:22:46+09:00
2020-05-25T08:20:55+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
この花を撮ろうとしたらこの一瞬しかなかったのかもしれない完璧なシルエット 無傷な花弁それでいて未完を偲ばせる清かな恥じらい花は花とて冥利に尽きる瞬間だったろうか
帯地にして残せる?ふとそんな気がしてこうなった
独りで夏の全てを生ききる軽やかさどこまでも天に向かって真っすぐだ
赤外線サーモグラフィーに訊いたら同じことを言ってくれたこころの熱い子だって
ほんとは暑い夏にこそ一緒にいてほしいから
リネンの肌触りがほしい清潔で涼し気な純白のリネンがいい
花は自分の美しさをよく知っているだからこそその花の衣装を替えてみようとする試みはいつでも色彩を学ぶ伝手になってくれる
もし花がそれを喜んでくれるとしたらきっとその姿は別の美しさで満たされるはずだ簡単じゃなさそうだけど・・
いつの間にかソフィア・ローレンの夏はすぐそこだもの言いたげな表情が語るのは戦争が引き裂いたあの遠い昔の恋
今新しい混沌の中で大事なものを失わないようにそう言ってるのかもしれない
花を撮るとき できるなら花芯に宿る花のメッセージを撮りたい綺麗なだけが花ではないからだ
ジグソウの駒の裏にきっと書かれているそのメッセージを探してみたいのだ
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一感と六感
http://touseigama.exblog.jp/28099017/
2020-05-16T20:19:00+09:00
2020-05-18T06:12:28+09:00
2020-05-16T20:19:33+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
「なんか気に入らないなぁ・・」この皿を加飾してふと感じたことだった「形が悪い」 そう思ったどう悪いかといえばえらが張ってるようなごつさが嫌だったつまり口縁部の角が丸みに欠け皿全体の柔らかさを邪魔してるのだ
そこで同じ皿でまだ加飾していない一枚をヤスリ掛けで削ったのがこれである角張った角に丸みをつけたらこうなった↑よりは柔らかい
手元を離れた作品にこの皿があったのを覚えている写真は残してあった
作る前にイメージしたのはこれである前2枚とやや違うのは面取りする前の皿の深さが僅かに深く二面をカットした際に少し細身を狙って切ってあることだ 僅かなことのようでもバランスを崩し出来上がりの雰囲気は変わる使い手にも好みがあるからどちらがいいかに正解はないしかし最初に提示するのは作り手の方自分なりの自己ベストを意図すれば気に入ったものに作り直すのが誠意といえよう
第六感という言葉がある五感を越えるデリカシーが感じるものだから六感なのだ
一方で第一感というのもある将棋の世界でよく使う最初に思い浮かんだ一手のこと将棋の手合いを解説しながら「ここでどう指すかと言われれば一感は三4歩かな」時間にすれば2秒 それが第一感とか
この皿へのこだわりは多分一感の方だ五感を越えて吟味するほど時間をかけてはいない見た瞬間の2秒程度の「?」だったような気がする
とはいえものづくりに関われば無神経にここを通り過ぎてはいけないとも思う六感ほどに意識せずとも最初の2秒で何かを感じるクセは大事にすべきである
大きな理屈だけが物事を決めるわけじゃない目下のコロナ騒動でもいかにも一感に欠けた感性のままに金・物・人を右往左往させるトップリーダーの資質は国民の民度として問いただされるべきものだそしてこの機に
世の中は今までとは異質に大きく変化しそうだだが私の一感では決して望ましい変化のようには思えない
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コロナ相手に逆手のご利益
http://touseigama.exblog.jp/28097524/
2020-05-15T13:33:00+09:00
2020-05-15T22:19:57+09:00
2020-05-15T13:33:43+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
コロナウィルス騒動未だ終息とはゆかぬ焦る歳でもないことを有難いと思いつつここでは逆手を取って暮らすしかない何とはなしに気忙しい時間を捨てて「そんな細かいこと構ってられるか!」を棚上げし重箱の隅に虫眼鏡を当てるみたいな一日現役世代のご苦労には恐縮だが老いたる身にはそれも悪くない
昨日は花入れ一本にわざとらしい作為を捨て真面目がぶつかる矛盾が醸してくれる雨後の水たまりみたいな余白を愉しんだ忙しかったらやらない俄雨ごっこだった
茄子紺の顔料を塗って糸を外したちと艶っぽいではないか「忙中閑」では届かぬ境地「閑中閑」ならではと自惚れた
焼けばこんな色合いだがこれよりはましな上がりを期待しよう
慌てぬことをいいことに普段はそっぽ向いてた工房の死角に目を伸ばし「何じゃ?これ?」重ねたスケッチブックの埃を払った
健気にも何冊かのノートに色々と思いつきが描いてある書いてることを見ればアマ時代のものだまだ糸とは出会ってない
だが何となしに糸抜きを予感させる雰囲気もある
上の上は多分ロクロ挽きの花器を想定してる 口もつけてるし 左右シンメトリーだからだだが↑は紐の手作りに違いない妖艶狙いなら当然の視点のはずであるこの頃から色気を大事な課題にしてたんだろうかませた初心陶芸家のオッサンだったみたいだ
でもこの花入れ 立てるかな水入れて花入れたらひっくり返りそうだ
ついでにこんなのも出てきたが 覚えがある
一見「書」に見えるかもしれないがこれは何も考えずに筆に墨を含ませてデタラメに走らせただけそれが絵でも書でもない形になればどうなる?そんなアイデアだった
書と思えば筆は約束事で躊躇うしかしデタラメでいいなら思い切り走って書でも絵でもないが勢いは描けるものづくりに大事なもののひとつはきっとその「勢い」じゃなかろうかおっかなびっくりの包丁で
マグロの柵をすっきりとは落とせまい
私は子供の頃書道を習わせられた嫌いでもなかったしかし筆で絵を描いたことはないやきものでは筆画は結構多用される苦手の克服よりも書みたいな筆さばきで描ける絵はないかそのために一番大事な資質は多分躊躇わないことだ そう仮説をたてた
その挙句描いたのがこの絵鳥二羽の求愛ラブコールであるこれは絵を描くつもりで書いてない穂先にタップリ墨をつけ点を打つつもりで筆を置き離れる時に羽の方向に引いただけだつまり書もどきの筆さばきのつもりになったのだでも結構鳥に見えるではないか仮説は正しかったのかもしれない
これも同じである朝顔を見て写生した覚えはない筆をどう置きどう引いて離すかそこだけを考えたさばきだった筈である
しかし本気で筆画をものにするには程遠いプロ志向に転じた時そんなもんで済む世界でないことは充分思い知っていた
やがて艱難辛苦(?)の果てにトラックにはねられそうになってたどり着いた「糸抜き」技法自分のものにせずにおかりょうか?と
励むことになったのはアマ時代にどうしてもたどり着けそうにない伝統技法の奥行きの深さを知ったからだと思う
コロナウィルス騒動のせいで味わう不快の陰で普段には思いがけない時間の使いようが忘れていたことにめぐり会わせてくれた今していることのルーツに戻ることができたのだ私流に言えば
「予期せざる時なれば予期せぬことを為すべきや」
何が起こるか判らない今「想像力を働かせるなら一点に立つな」そうとも言えはしないだろうか
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籠城の秘策?
http://touseigama.exblog.jp/28069894/
2020-05-08T21:03:00+09:00
2021-12-02T06:56:59+09:00
2020-05-08T21:03:01+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
そもそもは不遇のGW突入寸前に一通の絵葉書を頂いたことから始まった
特段に用件があってのことではなく久しぶりの時を経て「コロナ見舞いだけど元気?」と書いてくれている差出人は地元の旧友で一目も二目も置く建築家の栗生明クンである今や日本の建築の重鎮のひとり平等院の宝物館「鳳翔館」を設計したのが彼で日本芸術院賞を受賞している
多忙な筈の彼が少し年長の私にさり気なくコロナ騒動を気遣ってくれるのがこの上なく嬉しくてそうか籠城を余儀なくされた今だからこそ日頃の無沙汰を詫びて少し思いを込めた手紙を書き送るには絶好の機会ではないかと思い立った最初の一通は勿論栗生クン宛である
毎年の賀状に拘らず風の便りがあったりなかったりアドレス帳をめくりながら気になる友人をみつけて10通ほど書いた顔を思い浮かべながらのよしなしことなどたまにはゆっくりとこれもありだおまけに丁度残っていた大皿の写真などを用いて陶芸家であることを思い出してもらう機会でもある
GWが明けた昨日何通かの返信が届いた籠城は私だけではなさそうだそのせいでいち早くの返信のような気もするそれも嬉しい
その中の一通中高の同級生近藤達也クンの末尾を読んで慌てて裏がえした
何と絵葉書ではなく古い写真を葉書に仕立て直してあり末尾にこう書いてある「これは昭和34年5月の修学旅行高崎山でのスナップで君と私です」
この時のことは今でも覚えているいきなり猿に飛びつかれ餌を強奪された一瞬だったのだ大きい声で言うのは何ですが案外可愛いでしょ(笑)16歳ですもんねあのころ喜寿77歳なんて想像もしませんでしたね
昭和34年 61年前の今頃ふたりは高校2年の春だったやはり時代は隠せない生真面目に学ランと制帽である修学旅行とはいえ汽車バス船を乗り継いで九州・奈良・京都と一週間がかりの旅行きの長崎までは汽車で25時間新幹線だの飛行機だのを使う今どきとは大違いの難行苦行なのだったわざわざ手のかかることをしてくれてやはり少年期からのつきあいは有難い
母校では近藤クンは大秀才のひとりで去年までのおよそ10年を「独立行政法人医薬品医療機器総合機構」とまるでジュゲムみたいな組織の理事長だった通称PMDAをパンダと読ませたのは理事長だと聞いた
名称の柔らかさとはおよそかけ離れて日本の薬事行政の頂点に立つ組織でもしも去年リタイアした彼が今現職だったらこのウィルス騒動にどう対処したか同級生としてはかなり興味深いものがあるが同時に体が無事では済むまいと安堵することでもある
「グチャグチャな組織だから引き受けたのです」近藤は「少し調べて即決した」と言ったPMDAの状況を把握してもなお いや把握したからこそ即決したのだ一体なぜ? 彼は楽しい出来事を思い出すように笑って話を続ける
「強い野球チームの監督より最下位のチームの監督の方が面白いでしょう しかも国内は勿論世界にも影響を与える可能性を持つ組織の立て直しがミッションだと知って血が騒ぎましたマイナスからのスタートだから気も楽です打診はむしろグッドニュースでした」
↓に彼へのインタビュー記事をリンクしてみたがその中で彼はそう言っている今問題になっているトップリーダーの責任論最下位チームを率いて試合をしようとしたら責任を背負わずには一試合も戦えまい血が騒ぐとはそうした強い覚悟あってのことなのだ
それでいて思い出すことがあるクラス会の宴席でのこと医師といえどもオペが必要な病になることもあるその時近藤クンが漏らした一言「怖いよぉ~!」だったとか彼の専門は脳神経外科である
報道によれば近藤クンの理事長就任は当時の舛添要一厚生労働大臣の任命だったとか毀誉褒貶それも色々だが
「次の理事長は現職の医師から選ぶ」厚労大臣はそう言って彼を選んだのだそうだけだし慧眼であったと私は思う
栗生クンがくれた絵葉書のsay helloから思いがけない旧交への水遣りができた自重籠城はまだ簡単には解放されそうにない
ならば夕食後のひととき遠い日の思い出を探ってペンを持って便せんやはがきに向かい忘れた漢字などを思い出しながら初夏の夜更かしなど如何だろうかわざとらしい医療陣賛歌のドンちゃんテレビよりほっとするものがあるように思えるのだ
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こんな時だから・・
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2020-04-23T23:43:00+09:00
2020-04-24T06:22:22+09:00
2020-04-23T23:43:50+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
ミラノの大聖堂 お借りした写真ですがウィルス騒動になってとりわけ北イタリアで激しくなったころしばしばこの建物がテレビに登場してきました
人影の絶えたドゥオーモはここを訪れたことのある人々には想像を絶する異変に見えたはずです
毎日のように報じられた様子をみていて久しぶりに私のドゥオーモをご披露します以前にも書いたことがありますが今夜はちょっと切り口を変えて・・
小池さんから改めて「外出をせずに自宅に籠りジョギングなども控えて社会的露出度20%以下で少なくともGW終わりまでかもう少し先まで」と釘を刺されましたが
そうなりゃどうすりゃいいのか少し長めに生きてきましたから言われるまでもなくアイディアはありますもう既に3カ月近く自粛率90%強は実施済みですもし仮にそれにも飽きたとしたら40年ぶりくらいでこの点描画で西洋の城とか教会を描こうかと古い画帳を引っ張り出してみました
いたずら描きから始まった点描技法最初はこんなところからでこれは当時のままの写真です
0,1㍉のサインペンでコツコツ画紙を叩いていると次第に陰影になって何やら形になってきます
途中を少し省きますが↑の子犬みたいないたずら描きに比べれば大分細かいペン遣いですがこの間は色々工夫していましたルールは一切線をつかわないこと点で叩くだけで線も濃淡も表現するそれだけです(自分で作ったルールです)
これはポルトガルのファティマの聖堂少しもっともらしくなり何か描けそう そんな気がしてきたものですでもまだ陰影が薄くて立体感も質感も不十分です
ローマのコロッセオ 89年の作ペン先で叩く数が大分違いますその分質感も出てきますが石一つ一つの立体感が不充分かなそれでもここに来るまでに数年かかってた筈です
面白くなってきてサクレキュールアゼ・ル・リドー シャンボールローマのコロッセオ あるいはギリシャのアクロポリスなど叩きまくりました
当時は病院勤務で開院早々の1年ほど様子見のために事務長当直をしたのですが夕食後自分の部屋で過ごしながら仕事が済んでいれば寝るまでの間コツコツ叩いて過ごしたものでした
開設直後でしたから暇だったわけじゃないのですが気分転換には頃合いの集中でした
城の写真と画紙数枚0,1㍉のサインペン1㌤それだけでじっとデスクの上でコツコツ叩き点を線から面に成し 白を限りなく灰色から黒まで叩き潰しながら光と陰を置いてゆくのです
段々もっともらしくなると達成感も湧いてきて結構高揚したのを覚えていますし座り続ける長い時間が多忙な日中にない穏かな気持ちにしてくれたものです
油彩 水彩のようないわゆる絵心を必要とする技法というより丁寧に光と影を追うだけの点描は決して特異なものではないから始めればそれなりに愉しい遊びなのでした
閉じ込められたストレスを忘れるには案外都合のいい遊びだと思うのです実際病院開設の慌ただしさの中で息抜きにもなってくれたのでした
これがミラノのドゥオーモの完成原画です今も我が家の玄関を飾っていますがこれ以外の作品は手許を離れてしまいました1992年の作品で同時にこれが最後の一枚病院が多忙になり時間が取れなくなったからです
あれから30年ほど経って今は陶芸があるからこれに手を戻さずとも退屈はしない筈だけどもし退屈して出かけたくなったら点描画 試してみませんかうまく行くと80%の断交率実現かもです
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stop smoking!
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2020-04-01T10:21:00+09:00
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touseigama696
〇わたしの流儀
この煙草 今でも売ってるんだろか?
裏がえすとこう書いてある2006年6月19日 stop Smoking
この日のことはよく覚えている
大学時代の同期が集った妙高から独りになって車を走らせ小諸の懐古園を訪ねた帰り道のこと
その直前に訪ねた掛かりつけの主治医から「際立ってというほどじゃないが少し血圧が高いよお前の場合心臓の既往症があるから用心して軽い薬を飲めよ」と言われていた
中高クラスメイトのこの主治医彼の言うことには全面的に従ってきたから了承の上 更に新しい決断を熟考してたそれが「禁煙」だった血圧降圧剤を服みながらの喫煙は絵に描いた矛盾みたいなものだそれでも酒が飲めない私はこれで煙草がないと何とも口淋しくて間が持てないなと少々躊躇っていたからこの旅の帰り道考え考え走っていた
やがてSAで新しい煙草をひと箱買い増してこれを吸いたいだけ吸って帰宅をけじめにやめようかと思い始めていたとはいえ万全の自信があってのことではなかった
夜の9時半自宅の車庫に着いて深々と名残の一本を吸った決心はついていたその場で車載してたサインペンを使って書いたのがこの煙草だったこれは封を切ってないその前のひと箱を一本残して到着したからだった
あれから14年 たった14年であるもっと遠い日のことのように思えてならないしかしあの最後の一本は本当に最後の一本になったその後戯れにも口にしたことはない今となれば思い出すこともないほどに何の未練も感じない禁断の苦しさとて最早記憶の外であるどんな苦しさも通り過ぎてみれば一本の線香花火の如し我慢する価値はあるというものだ
「こんな美味いもん滅多じゃ止めないよもしガンって言われる日がきたら思いっ切り吸いっぱなしで死にたいさ」そんなことを本気でほざいた覚えもあるだが今なら一口吸えば目が回って卒倒するに違いない二度と口にすることはないと絶対の自信があるそしてどこにいてもどこで吸えるかそればかりが気になっていたあの頃がウソみたいな気がするのである
一昨日 車で代官山に出かけた途中信号待ちの停車で窓の外を見たらバス停らしき場所に大勢の人が群れていたただでさえやや人通りの少ない昨日今日「なんじゃこの密接距離?」
一瞬で理解できた真ん中に大きな灰皿があったのだ全員が談笑するでもなく夢中で煙草を吸っているその表情のなんと険しいことかここを逃せば次はどこで吸える?その真剣な眼差しは志村けんさんの悲報につながって切ないものがある
長いこと煙草好きだった私は喫煙者に好意的なほうだと思っているがそれでも煙草の時代は終わりかけていると思わざるを得ない
平成19年1月までが賞味期限のこの未開封の煙草どうやらこのまま保存していずれの日か私の棺に入れて貰うことにしようか
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我が家の花見
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2020-03-24T08:57:00+09:00
2020-03-24T11:40:09+09:00
2020-03-24T08:57:49+09:00
touseigama696
〇わたしの流儀
上野の山にひとのいない春なんて考えたこともなかった今年の春この地球にまた恐ろしいことが起きてるじっと耐えるしかないと思いつつの昨日
盆栽作家の岸本さんが枝垂桜の盆栽を届けてくださった人混みに紛れずに花を愛でよである
へそ曲がりの私は呑めないせいもあるが群生の桜並木の下には宴だけと思い好んで花見に出向くことはない
生涯で一番の桜はいつだったか福島県の深い山奥で夜中に独り穴窯の窯番をした折り薪の弾ける音の背で窯から漏れて揺れる火に照らされた一木だけの桜のもの言わぬ白さだった
花は密かに咲くがいい食卓に上った一木の枝垂桜何となくあの夜を思い出した
人混みに出ることもせず閑かな夕食金目の煮つけと酢の物でさくらを愛でた言うまでもなく酒はない
子ども達や孫たちの先々を思うと一再ならず不安な日々だが為政者たちの決断に恃むしかない
大きな化膿も小さな傲慢を傷口にする人類は試されているのかもしれない「感染しないこと させないこと」今こころすべきはこれに尽きるはずなのだが・・
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