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カテゴリ:●エッセイ( 487 )

懐かしき『神威岬』

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数日前
私のデスクトップの表紙が突然これに変わった
びっくりしたが嬉しかった
いつまでもこれではないが
これが続く間は
あの忘れがたい「神威岬」の思い出を懐かしむ
2010年の今頃の旅だった
この狭い垣の間を歩いて遠くに見えるあの小さな灯台まで
歩いたのは昨日のことみたいだ


               画面をクリックしてみてね!

その話はここでも書いている
リンクしてみたのでご一読くださればである


               画面をクリックしてみてね!


屈託もない明るさが売りの太平洋に比べて
どこか哲学的な深い碧をした日本海
思わずもの想うひとときでもあった
私をここに案内してくださった摩耶さんは
今も元気に土と向かい合っておいでだ
おおきな目標があっての粘土と戦う日々
事あるごとに何度となく訪れる神威岬
ここは彼女にとって神聖な場所にちがいない


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糸抜き波状紋大皿 自作


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by touseigama696 | 2019-05-17 10:09 | ●エッセイ | Comments(4)

向日葵

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先日 「そら」家のみんながお出でになった時
頂いたのが向日葵の花
夏の前ぶれ 青春の息吹き
遥さん夫妻のままの花だ


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たっぷりと大きな花が
周囲の光を力いっぱい引き寄せ
深々と息をして生命を謳歌している

そして 向日葵は強い意志を持った花だ
言葉は話せなくてもしっかりした意志のあった
「そら」と「桃」
ならば 話せないだけでなく動けない向日葵は
更に強い意志があっても不思議じゃない
不自由は確固とした意志の礎とさえ思えるからだ

誰かが名前を変えようとしても
絶対に承服しないだろう
「わたしは私 いつでも向日葵よ」
そう言ってるようだ


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この花の一番暗示的なのは・・その名前
朝に東に日を追い 夕に西を向く
少し老いて必要が遠のくと
向日葵は姿勢を変えて吸収するのを止める

育つことと学ぶことを知っているのだ
青春・・青い春とはそういう意味じゃなかろうか



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私の「ひまわり鉢」 旧作
頑固風かな?





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by touseigama696 | 2019-05-04 08:14 | ●エッセイ | Comments(4)

憩室

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「憩室」
3年前の今頃 こんな言葉は知らなかった
けいしつと読むが勿論「休憩室」ではなく
ましてや麻雀屋さんの看板でもない

難しいこと書けば
内腔性の食道とか胃・腸などの臓器の壁面にできる
祠みたいな突出物で 基本的には無害だけど
時折り原因不明で出血して
患者をおどかしたりするのだそうだ
「大腸がん」ここら辺が悪役で登場する可能性もあるからだ

一昨日の朝 突然便器が赤く染まって
「今のところ放っておいても問題ないでしょう」
3年前のあの日にはそう言ってもらえた下血も
今回も同じものだと勝手に判断するわけにもゆかず
年初に入院して別の疾患で治療してもらった近所の
大きな病院で外来診察を受けたのが一昨日

「CTの所見なら多分前回と同様の結果だと思うけど
念のため内視鏡の検査しておきましょうか
幸い明後日に空きがあるから来ますか?」
そういうわけで
慌ただしくもでも早いに越したことはない検査が今日だった


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検査前日の昨日から食事が制限され
指定の三食でいささか足らずの不満も我慢した

そして今朝の8時には
昨晩作りおいた2ℓの下剤を2時間で飲みながら
トイレ通いして腸の清掃をしたのだった

考えて見れば
大腸の内視鏡検査は今回で三度目
最初は胆のう切除の手術が目的での内視鏡だったから
入院ベッドからトイレ通い 二度目が外来ロビーで
3人ほどの患者さんと同じことをした

そして今回は何と
過去2回は病院でしたことを自宅でやるように指示された
まぁ自分専用のトイレもあり
誰かと取りっこになることもないから
これはこれで結構なことなのだが
最後にトイレを済ませて病院に駆けつける際
残りの下剤にいたずらされないかを心配する羽目になったが
幸いなことに何事もなくて済んだ
妻の運転する車で10分足らず
こういう時は近いことが一番有難い

2ℓの水分を2時間で飲むのは苦痛だが
やれば何とかなるものだ


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3時半から30分ほど
腹の中の四角いベースみたいな腸を
スケート靴が滑るようにカメラが走った
若いドクターだったが
きっとゲームでも名手じゃなかろうかと思うほど
腸内の景色は高速で移動していった
自分でも眺めることができ 前回を思い出しながら
一緒にモニターを見ていたが
「見つかれば取りますね!」と言われていた
ポリープを見つけたわけでもなさそうで
何事もなく終わり 案の定

「前回同様問題になる所見はありませんでした
きれいだから多分2~3年は大丈夫そうですね」
ご託宣があって幸いなことに難を逃れたのだった

加齢による原因を特定し難い症状は色々あって
そうした劣化とつきあいながらの余生
良いことも悪いことも
何が起きても不思議ではないことが日常だとして
生かされてる時間を精一杯生きるしかないのだ

3年前のこの検査のときは
本気で最悪のシナリオを思い描き
それなりの覚悟を作ったことを思い出す

令和の招来を間近にして
同年輩の昭和が日に日に消えてゆく
それぞれにみんな立派に生きて立派に死んでゆく
成ろうことなら倣うべしである


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木の葉紋の色絵鉢 自作




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by touseigama696 | 2019-04-25 00:42 | ●エッセイ | Comments(20)

上皇陛下と京都

 
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            お借りした写真です


退位された上皇は
京都にある仙洞御所内に造営して
ここにお住まいになさっては如何?

歴史的には仙洞御所は上皇の居所だったが
幕末に焼失して以来再建されずにきたようだ
この際仙洞御所内に現代建築の粋を集め
歴史をつなぐ新御所を建て上皇がお住まいになれば
京都が生きる歴史を取り戻すことにもつながるのではないか
大きな意味がありそうだ

東京の皇居は今上天皇が 京都の仙洞御所は上皇がと
おふたりが新旧の都に住み分けることで
携わる皇室行事にも分かり易さがもたらせよう

上皇の手を煩わせることなく国事行為が行われ
その上で
世界各国の賓客が上皇との会見を望まれたり
またその必要があるときは
新幹線のぞみ常設便に特別車両を接続して運用すれば
日本の新幹線の絶好なパブリシティーにもなるし
京都が日本の古都であることと同時に
国際都市としての機能も併せもつことになる

訪れる各国賓客は京都市民の歓迎を受けながら
京都御所で上皇ご夫妻と会見し
国宝の桂離宮で茶を喫し 修学院離宮を散策する
まさに日本文化の粋をご覧いただく機会になる

日本の優れた良さは東京の現代性だけではなく
京都に代表される古い文化の継承にもある

退位による上皇の規定は
この先にも生かされて
今上天皇に過剰な負担を強いずに
先端科学技術の国でありながら
世界に無二の古い文化を大事にする国としての
象徴となっていただけるように思うのだ

調べたらこうした意見も既にあるらしい
時間をかけて考えてみたらどうだろうか?


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鉄釉四方鉢 旧作





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by touseigama696 | 2019-04-21 09:16 | ●エッセイ | Comments(0)

繋がらなかった絆

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新元号「令和」のニュースでもちきりだった昨日
それにもいささか飽き
いつものように何気なくyou tubeを見ていて驚いた
2016年のできごと 3年も経っているが
「式場壮吉氏 死去」とあった 享年77歳の由

令和の喧騒の最中
また昭和のヒーローがひとり遠くへ旅立っていた

それにしても
人生には不思議なつながりがある
つながらないままに終わってしまったという「つながり」である

 転居する前 彼の自宅と私のそれは近隣のうちだった
互いに通った学校は別だったが
通学の道筋やバスの中では 
数えきれないほどすれ違っていたし

その上彼のご母堂は私の母と同じ薬学で大学が一緒 
一つ二つどちらかが上だったが
親しい友達だったから 普段のおつきあいもあった

なのに
その息子同士は とうとう生涯をかけて
一度も言葉を交わすこともなく終わってしまった
何も邪魔するものはなかったが それでいて
きっかけになりそうなことも起こらなかった

彼は子供のころから
すらっとしたスリムでハンサムで
淡い印象として残るのは寡黙で静かな少年だった

彼の家は大きな病院で
あの山下清画伯を育てた式場隆三郎氏が院長で叔父
広大な敷地に自宅があり テニスコートもあって
俗な言い方で恐縮だが所謂名家の御曹司
とても品の好い少年で
下町育ちのガラッパチの私とは育ちが大違い
こちらからは近寄りにくかったかもしれない
それが式場壮吉氏だった

やがて彼は持てる才能を十分に発揮して
黎明期の日本のカーレースのヒーローになった
第一回の鈴鹿グランプリをトヨタコロナで優勝し
翌年東京オリンピックの年には日本で初めて
欧州の名車ポルシェGTSを導入して優勝している
スター性もカリスマも持ち合わせ一躍ヒーローだった

ポルシェを買うだけなら富豪には大したことなくても
それを乗りこなして優勝するスキルはやはり非凡
あの華奢な美青年のどこに?とも思えたが
時代に先駆けた才能を発揮し
更には欧陽菲菲さんを妻にしての華麗な人生
つながらないままに終わったつながりも
分らぬではない気もするのだ

定かな記憶ではないが ご自宅のテニスコートで独り
壁テニスに興じていた彼の姿が目に浮かぶ
何事につけ
ひとりでじっくり研鑽するタイプのようであり
また別の意味では
物静かな孤高の人であったのかもしれない
もしかしたらレーサーには必須の資質だったろうか

決して行きずりではないのに
「つながらないままに終わってしまったつながり」
今もこころに残っている


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余談だが
壮吉氏の実家 式場病院には広大なバラ園があった
病院の患者さんが作業療法に使っていたバラ園
毎年季節には広く一般に解放され
近在の人々が鑑賞に訪れたものだった

これも遥かなる遠い日
かつて一世を風靡したフランスのアイドル
ダニエル・ビダルが来日した折り
彼女の歌を収録する仕事を受けたことがある

ふと思いついて
壮吉さんの母堂に相談し許可をとって
このバラ園で収録したのだったが
雑誌メディアの記者たちが押しかけ
グラビアの撮影も重なってしまった

「そのお嬢さん 撮影にお借りできませんか?」
黄色のドレスの幼子がそうだが
「そんなことなら もっときれいな洋服にしたのに」
そう言ったのは私の妻

ダニエル・ビダルさんが日本食がダメで
急遽サンドウィッチを届けに
ひとりで留守番させるわけにもゆかず
慌てて乳母車に乗せて連れてきた1歳の頃の娘だった

今になれば
「つながるはずもないのにつながってしまったつながり」とでも





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by touseigama696 | 2019-04-02 09:17 | ●エッセイ | Comments(4)
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40年ぶりに書いた月山で芥川賞を受賞した作家
森敦さんに番組でインタビューしたことがある
遠い昔のこと あれからだって40年
既に異郷のひとになられた

事前にスタジオで
話しの内容を打合せしていた時のこと
かなり内容の核心に触れたあたりで
森さんはそれに蓋をするかのように

「もう打合せはお終いにしよう そうでないと
本番で喋るときに気持ちが乗らなくなってしまうんだよ
新鮮な話にしたいからね」 そう言った

森さんは
インタビューでもまるで作品を話して聞かせるように
言葉を選んで淀みなく思いのこもった口調で話されるから
仰るように本番に賭け その通りに収録できたのを覚えている

リハーサルは大事な準備ではあっても
やり過ぎれば予定原稿の朗読みたいで
新鮮味に欠けることもあるから
森さんはそれを嫌った
さすが熟達の語り部だと思ったものだった

こんなことを思い出したのは
久しぶりに同じ台詞を聞いたからだ
大関昇進を手にした貴景勝関の口上の話の折
「口上で話すことは練習したんですか?」と聞かれ

「言いたいことは決まっていたから
余り練習しない方がいいと思って
一応口の中で何度か言って終わりにしました」

この意見は 森さんと同じ意味で
口上に限らず非常にプロらしいものの考え方だと思う
プロはやればいくらでも練習するのが当たり前だが
しかしそれでいて
気持の中の新鮮さを失っては試合に負ける
プロを目指す練習と
プロを続けるための練習は違うのだ
試合直前になると練習を軽めにするのは
身体のこともあるが むしろ
闘争心に新鮮さを維持したいからのように思う

その若さでこう言えるのは
既に会得しているかと思わせた貴景勝
インタビューの答えを聞いていると
とても賢い青年である
自分なりの根拠があっての言い分
それを借り物ではなく自分の言葉で語っているのがいい

小よく大を制す
立派な大関 横綱を目指してほしいものである


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天目鉢 旧作




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by touseigama696 | 2019-04-01 02:18 | ●エッセイ | Comments(2)

ロストshall 症候群

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戦後初めて日本に上陸した時のマッカーサー元帥
毀誉褒貶いろいろあるが 恰好いい軍人だった

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I shall rerturn は
かつてマッカーサー元帥が 日本軍の侵攻で
陥落したマニラを撤退するときに残した言葉

これが I will returnでなかったから
後世歴史に残った
shallに秘めた強い決意が「必ず戻ってみせる」と言わしめ
 それが3年後の I have returned となって
マニラに凱旋したのだった

中学時代だったろうか
英語の授業でwillとshallの違いを学んだとき
この史実を教えられた

I will return が I will be back とほぼ同じで
戻ってくるつもりだよ 程度だとすれば
I shall rreturnはもっと強い意志を示す言葉で
「必ず戻ってみせる」は「私をして戻らしむる」であり
戻らしむる主体は 私ではなく「神」だというのだ
その結果 I have returnedは
「戻れた」ではなく神の加護のもとに「戻った」となり
幸運ではなく必至として強い説得力をもったのだ

英語も生きもの 60年も経てば変化もしていて
今ではwillとshallにそれほどの強い区別はないとも聞く
それも無理ない長い時の流れだと思うが
言葉の問題であるよりは 責任ある者の生き方として
shallを言えない指導者たちが増えているのが気になる

希望的観測のwillですり抜けようとする信念不在が
当然の如く「地位ある者の特別な責任」
ノブレスオブリッジをも阻害する
卑近でこれを正しく実行したのはNZ首相しかいない
彼女のメッセージは明らかにshallだ
だから世界の世論は彼女を讃え支持した

彼女に倣う指導者たちが増えてほしい
結果だけが全てではない
強固な信念と決意ある者にもたらされるもの
それをみんなで支えることが大事なのだ

政治は 政治家を育てることでしか実現しない
ロストshall症候群の指導者たちに
willだけでは生きていけないぞと指し示すのは
サイレントマジョリティーの
これまた大事なshallだと思うのだ


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糸抜き茄子紺麦藁手鉢 自作




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by touseigama696 | 2019-03-30 08:41 | ●エッセイ | Comments(2)

彫刻の鼻

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タム9の「しずく」 遠い日に  

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ある誇り高き彫刻家のはなし

功成り名を遂げたさる人物の依頼で
その胸像の制作を依頼された

暫くして制作途中を見たいという申し出で
粘土の原型を見せることになった
暫く凝視していた依頼主は

「実に見事です 我が身のことといえ
よく似て作られています ただ一点 
私の鼻はこんなに高いでしょうか?」
と感想を述べた
その物言いは恐縮しつつも言外に削ってほしいと
言わんばかりだった

束の間の沈黙が流れ やがて
作品の前に立った彫刻家は
手にしたヘラでスーッと鼻を削った
粘土の粉がパラりと下に落ちていった

「こんなもんでしょうか?」
「そうそうこんなもんですよ 私の鼻は」
依頼主は満面に笑みを浮かべた

これだけの話だが
これだけの意味ではなかった

彫刻家は 
暗に鼻を削ってほしいと言われた瞬間
こんなことを考えていたという
「作品に対する自分の芸術的良心に従えば
これっポッチも削りたくはない しかし
毎日これを眺めて暮らす依頼主にとっては
鼻の高さが気になって仕方ないのも気の毒である
削っても削らなくても両者の満足を満たすことは出来ない
さてどうしたものか?

咄嗟に彫刻家は身近にあった粘土の削りカスをそっとつまみ
鼻先を削る素振りでパラリと落としたのだ
その様子を見ていて 
低くなったように思える我が鼻の高さに満足し
依頼主に笑みが戻ったという
「そうそうこんなもんですよ 私の鼻は」

信念は人間にとって大事なもの
もの作りにとっても同じ
しかし この世の中を
たった一人で生きているわけじゃないから
人とひとの関わりの中で 時に
現実的な解決に迫られることもある
自分のためだけでなく さりながら
他者のためばかりでもない解決

このエピソードが物言う裏面では
そうした機転を教えてはいないだろうか
芸術的良心 思えば深くて難しいものがある


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黒天目鉢 旧作




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by touseigama696 | 2019-03-26 15:59 | ●エッセイ | Comments(0)

アーダンNZ首相


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「私が彼の名前を口にするのを
皆さんが聞くことは決してないだろう
彼はテロリストであり犯罪者であり過激主義者だが
私が話すときは名前では呼ばない
皆さんも命を奪った者ではなく
奪われた人々の名前を語ってほしい
あの男は悪名をはせようとしたのかもしれないが
我々ニュージーランド人は彼になにひとつ与えない
名前さえも・・」

十日ほど前の銃乱射事件の直後
ニュージーランドのアーダン首相はこう述べた
このメッセージには
難しい法律用語も条約からの引用も一切ない
極く普通の平易な言葉で語られているが
それでいて一国の最高責任者の
国と国民を守る為の毅然とした決意が伝わってくる

不法な銃乱射が多発する昨今
これほど端的で これほど簡明に
国の意志を言葉にした指導者を他には知らない
「名前さえ与えない」は 極めて鮮烈に
彼らの誤りに満ちたヒロイズムを拒否すると
世界に向かって示唆している

騒ぎたてることは犯罪者の思う壷
苦渋の忍耐を忍ぶ「無視」こそ最強の意志
そう聞こえて深く共感したのだった




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by touseigama696 | 2019-03-25 11:21 | ●エッセイ | Comments(6)

それも時代

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子どもの頃 親父から譲り受けて使った古いカメラ
小学校の卒業旅行の時はこれで写真撮った
それでも子どもには贅沢な玩具だった
幸いなことに親父の医局には暗室があって
そっと現像してもらったり それも時代だった

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いつだったか
若い女性カメラマンへのインタビューを見た
ファッションのポートレイトが主戦場のカメラマン
インタビューの中でこんな話をしていた

「今のデジタルカメラは相当に高速で連続撮影ができます
あるモデルさんのあるワンカットが欲しければ
ポーズしながら動いてゆく流れを連写します
そして撮影後ビューアーで一枚一枚丁寧に見て
一番いい瞬間を決めます」

これは彼女に限ったことではなく
報道のカメラだって連写して選ぶのはルーチンかもしれない
それが時代なのだ

一方 私が映像の世界に入ったころ
まだ戦前に大きな新聞社で修行したカメラマンさんが健在だった
もうお名前も覚えていないが
そんなひとりのカメラマンに聞いた話
これも時代だったと思ったものだ


「新米のころは
朝出勤すると手入れの済んだ35のカメラに精々10枚
千切って作ったフィルム1ロールを詰める
社を出たら一日掛かりで歩き回り
これなら使えるって写真を撮って帰るのが日課の稽古
幾ら撮ったって使えなきゃ つまり
新聞に載らなきゃ肩身が狭いってもんだ
じゃどういうのが使えるかっていうと
構図やピントじゃないのさ
シャッターチャンスってやつがズバリなら
写真が勝手にものを言ってくれる
見出しの要らない写真・・って奴だな
一瞬で何を見せたかったかを撮らなきゃだめってこと
それがドンピシャなら構図が悪いとか
ピンがきてないとかは大したことじゃない
35㎜位のレンズだとビビってたら
被写体は画面の真ん中に大豆一粒みたいなもん
人でも物でも思いっ切り接近して撮る
度胸がないと務まらない商売だったね」

「ファインダーから見てる分には
崖っぷちも怖くないのに
カメラから目を離したらビビるよ」

カメラ持ってない時はとっても大人しいのに
一度カメラを持たせると猪突猛進
私の周囲にもいたっけ

記録が主軸だった写真 表現を求められる写真
どっちも時代 どっちもきっと正しい訓練法だ

写真はいつでも時代と深く関わってきたから・・
私にはそう思える


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糸抜き線紋皿 自作



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by touseigama696 | 2019-03-20 06:15 | ●エッセイ | Comments(0)

50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・


by touseigama696