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それも時代

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子どもの頃 親父から譲り受けて使った古いカメラ
小学校の卒業旅行の時はこれで写真撮った
それでも子どもには贅沢な玩具だった
幸いなことに親父の医局には暗室があって
そっと現像してもらったり それも時代だった

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いつだったか
若い女性カメラマンへのインタビューを見た
ファッションのポートレイトが主戦場のカメラマン
インタビューの中でこんな話をしていた

「今のデジタルカメラは相当に高速で連続撮影ができます
あるモデルさんのあるワンカットが欲しければ
ポーズしながら動いてゆく流れを連写します
そして撮影後ビューアーで一枚一枚丁寧に見て
一番いい瞬間を決めます」

これは彼女に限ったことではなく
報道のカメラだって連写して選ぶのはルーチンかもしれない
それが時代なのだ

一方 私が映像の世界に入ったころ
まだ戦前に大きな新聞社で修行したカメラマンさんが健在だった
もうお名前も覚えていないが
そんなひとりのカメラマンに聞いた話
これも時代だったと思ったものだ


「新米のころは
朝出勤すると手入れの済んだ35のカメラに精々10枚
千切って作ったフィルム1ロールを詰める
社を出たら一日掛かりで歩き回り
これなら使えるって写真を撮って帰るのが日課の稽古
幾ら撮ったって使えなきゃ つまり
新聞に載らなきゃ肩身が狭いってもんだ
じゃどういうのが使えるかっていうと
構図やピントじゃないのさ
シャッターチャンスってやつがズバリなら
写真が勝手にものを言ってくれる
見出しの要らない写真・・って奴だな
一瞬で何を見せたかったかを撮らなきゃだめってこと
それがドンピシャなら構図が悪いとか
ピンがきてないとかは大したことじゃない
35㎜位のレンズだとビビってたら
被写体は画面の真ん中に大豆一粒みたいなもん
人でも物でも思いっ切り接近して撮る
度胸がないと務まらない商売だったね」

「ファインダーから見てる分には
崖っぷちも怖くないのに
カメラから目を離したらビビるよ」

カメラ持ってない時はとっても大人しいのに
一度カメラを持たせると猪突猛進
私の周囲にもいたっけ

記録が主軸だった写真 表現を求められる写真
どっちも時代 どっちもきっと正しい訓練法だ

写真はいつでも時代と深く関わってきたから・・
私にはそう思える


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糸抜き線紋皿 自作



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by touseigama696 | 2019-03-20 06:15 | ●エッセイ | Comments(0)

写真よもやま

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粉ひきぐい吞み 旧作


私が映像の世界に飛び込んだ最初の日
1966年4月1日だと思う その朝出勤したらデスクから
「今朝はカメラの〇倉について見習い助手やってきて!」

〇倉さんが回すカメラの後ろに立って
被写体に向かってバッテリーライトを当てるのが助手の仕事
広い畳敷きの部屋に大勢の役者がロの字に座って台本読みしていた
東宝の稽古場で真ん中にいたのは若き日の草笛光子さんだった

カメラの〇倉さんは
ファインダーを覗きながらどんどん草笛さんに近づく
それこそ顔から1㍍足らずだった
そのカメラの直上でライトを振るから
私も同じような距離に立つことになった

何も教えられないままの助手仕事
「適当にやってくれよ!」 指示はこれだけだ
焦りまくったが草笛さんの正面に
強からず弱からずのライトを当てようと必死だった
だからでもあるが
何ときれいな女優さんかと心底驚いた
その後に仕事でお目にかかった女優さんの中で
あれほどに肌が透き通るように輝く女性いない
「スター」まさに輝く星だった

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(お借りした写真 
若き日の草笛光子さん
今もご健在で美しい女優さんである)


今では様々な機能のレンズが開発されて
100メートル先からでもアップの顔を撮ることは造作ない
あの頃でも 長焦点のレンズはあった
だから遠くからでも撮れるが
その目前の人込みを透過して撮ることはできない
人込みの最前列 そこがワイドな35㍉レンズの定位置で
額がぶつかる程に寄ってけ! どう撮ってもボケはないのだ

「どうにでもなりそうな距離にカメラを構え
ズームで寄ったり引いたり
左右にパンして動きを追うような心がけじゃ
大成しないよな
自分の足で撮れ! その足で動いて撮れ!」
それが初心の初歩だと教えたのだ

最近テレビのロケ番組を眺めると目が回る映像がしばしばある
大成してないカメラマンが撮ってるのかもしれないな

私はカメラマンではなく
プロデューサーへの道を歩いたが
カメラマンから教えられたことは沢山ある

この先は
別項の「写真よもやま」で幾つか書いてみようと思う

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生まれて初めて土に触れて器にした日
1995年1月12日 52歳の正月だった
わけも分からず手びねりで作ったぐい吞み2個
焼いてもらったらこうなった
右の口縁部が赤いのは
窯の中で隣り合わせた先生の作品から
銅釉が飛んで染まったと教えられた

↑のぐい吞みに比べて見事に下手である
そこから始まった25年だった



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by touseigama696 | 2019-03-15 07:24 | ●エッセイ | Comments(0)

183-178=5って

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ネット向こうの白ユニフォームで
ジャンプしてブロックしてるのが私
高校2年くらいの頃の写真です
昭和34年かな?

(この写真で結果がバレてますが
相手のスパイクを私がブロックしたけど
ボールは敵陣に落ちずに
吸い込みと言って私の胸を伝って自陣に
落ちかけていますから相手のポイントです)

この頃の身長は183㌢でした
何となくデカそうでしょ
それだけが理由で体育の先生から
「オマエは明日からバレー部に移籍!」
中学3年の春のことでそれまではテニス部でした

小学校6年生のときが154㌢
中学に入学して164㌢
中学3年ではもう183㌢でした

今の若い人に混じれば大したことないのですが
当時はやはり相当デカくて嫌なことも色々ありました
電車に乗ろうとして切符売り場に立つと
小窓の向こうの駅員さんから
「キミほんとに子ども料金?」
って疑われもした小学生のころ
 あるいは
着るものも履くものも既製品では小さくて
見た目の好みでは買えないのもそのひとつでした

背が大きいことで
あまり嫌な思いをせずに済むようになったのは
そう遠い昔のことではありません
ノッポっていう侮蔑語もあったんですよ
新宿の伊勢丹が長身者のためのコーナーを新設して
はじめて既製品のジャケットが買え
ピッタリ着られて嬉しがったのは20歳
成人式の日で 翌日から学ランを脱いで
そのジャケットで大学に通ったのも懐かしい話です


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ところでこれはつい去年くらいでしょうか
ロクロ挽きした大皿を裏返してるところです
身長178㌢で 生きてるだけで5㌢目減りしています

たまたま先月入院した際
検査事項のなかに身長体重の項目があって
あの身長計に乗ったら看護師さんに
「ハイ!178㌢ねッ」って言われて判りました

混んだ電車に乗ったとき
周りの若い人たちがやたら大きく見えて
「最近の若者は育ってんだなぁ~」って思ったけど
あれはこっちが縮んだせいでもあると判明しました

183㌢で成長が止まったのは自然なことでも
やがてそれが減ってしまうというのは
やはりちょいと寂しいものはありますが

しかし 考えようでは5㌢も下界に降りれば
酸素量が増え呼吸は楽になりそうだし
雨が降っても濡れるまでに少し時間が稼げます

そして何よりですが
いざという時に既製品の棺桶が使えそうです
180㌢超は脚を折って収納するとか聞いてたもんで
それも痛てぇかなと不安でしたからね

 
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糸抜き波状紋大皿 60㌢×60㌢×9㌢

仕事の上でとなると
縮んだのは背だけでなく筋肉も然りで
皿を裏返すことが出来なくなったら立ち往生
大皿作りのできない陶芸家 これも切ない話です
実際50日間も安静気味に過したら
ホントに自信喪失するほどの筋力劣化で
選手生命の危機は必至です

誰もいない時に そっと挽いてみよっと!




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by touseigama696 | 2019-03-13 02:58 | ●エッセイ | Comments(0)

バイブル

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この革表紙の聖書は 蔵書印によれば1981年6月11日に
銀座の教文館で買い求めたもの
爾来ずっと私のデスク周辺にある
日々に読むわけではないが
だからといって放ったままでもない
微妙な距離感で
しかし 長いこと私の座右を占めてきた

この微妙な距離というのはわけありで
私の祖父母や親類の半分は
お寺のお経で異郷に旅立ったが
一方で
曾祖父母と両親そして半分の親類は
教会のミサで召されていった

さて私はどうしよう?
微妙とはそうした意味があってのこと
よくよく困れば
無宗教の家族葬でいいのだが できれば
どこかで自分の意思を持つべきかもしれない
どちらでもない時間が長かったから
迷いがあるのは隠しようもない

先日かつて両親が通っていた教会の信者さんで
両親とも親しくして頂いた方に偶然お目にかかり
改めてこころの環境に思いが芽生える

亡母の葬儀の折に神父さんから
「そろそろ教会に来ませんか?」と
お誘いがあったことも忘れてはいない

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これまでの人生観をふり返ると
多分キリスト教の方が私には自然な気がする
読んできた本も音楽も芸術美学も
殆どが西洋に傾いてきたせいもあろう

古希も半ばを過ぎ拘束される時間が減って
日曜日の教会に通えなくはない
それも歩けば歩ける距離にある

ただ決めたら守らねばだから
熟考しようと思っている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今朝は
あの東日本の災害のあった日
走馬燈のように蘇る

もし少しでも忘れられるものなら
忘れさせてあげたい人々には
僅かでも忘れられますように
だけど
忘れてはならない人々は
決して忘れてはならない


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糸抜き天衣紋皿 自作




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by touseigama696 | 2019-03-11 06:27 | ●エッセイ | Comments(0)

出会いのドラマ

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かつて在籍した整形外科の専門病院


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社会人になってから53年
長い時間をかけて学んだもののひとつが
「礼儀は大切だが 時に僅かにそれを外すことで
思いがけないドラマが生まれる」であり
「常識を知って常識に捕らわれず」も同じだ

数日前「ファーストコンタクトの10分」を書きながら
私にも思い出すことがあった 時々ふれる病院時代の話
看護婦さんの採用面接のファーストコンタクトである
面接にはドラマがあると言えるが
もっと言えば面接にはドラマが必要であるともいえる
ファーストコンタクトの10分は
そうしたドラマを生むきっかになリ得る


あるとき婦長と2人で看護婦採用の面接をした
いつものように時間をかけて面談したが素晴らしい人材だった
以心伝心 婦長もそう感じたようだ

「それでいつからだったら勤務できるかしら?
ご都合聞かせてくれます?」婦長がそう言った
看護婦さんは手帳を出して都合を計っていた
一寸とした時間の隙間ができた瞬間
「明日からではどう?」
思わず私がそう言ってしまった

「事務長さん! 幾ら何でもかわいそうですよ
彼女にも都合があるはずですからね」
婦長にたしなめられた
勿論それが常識だし礼儀でもある

ただそのとき直感的に私が考えたことは
ここは礼儀よりも
病院はあなたを必要としてるという意志を
真っすぐ伝えたいと思ったのだ

病院マネージメントに関わって
最も大事にしてた持論のひとつは
「機械をはじめ物はなるべく我慢して最新のものを買おう
しかし
人材は巡り合ったと思えたらそれが最初で最後のチャンス」
足りていようがいまいが
この看護婦を採用しなかったら後で悔やむ
そう確信できたら礼とか常識はちょっと脇に置いても
明日から来てほしいと伝えるのが正直だと思った
欠員ができたらではもう遅いのだ

これは想定も予定もできない
一瞬の閃きで決断し申し出てこそ伝わるかもしれないこと
だから失礼を承知で婦長のたしなめを押しのけ
「無理?」と重ねて訊ねた

実はこのとき
これと真反対の看護婦面接の経験を思い出したからでもある
それはいつもの通り同じように面接し
色々質問したり意見を聞いたり30分以上もしたころだった
面接を受けていた看護婦さんが突然こう言いだした

「途中ですが この面接辞退します!」
「どうしたのかな? 何か気に障った?」と訊いたら
「これまでにも何度も面接を受けたことがありますが
こんなに長い時間質問されたのは初めてです
大抵はもっと実務的なことで
いつから勤務できるかとか
希望する部署とかを聞かれることが殆ど
だからこの面接では私は信用されてないのかと
なので辞退させてください」 これが返事だった

分からないではない
当時一般的に看護婦の採用面接は 
大抵は免許証の確認程度で決まるのが普通
何故なら殆どの病院は看護婦が足りなかったからだ
それを30分もかけて面接したのが気に入らなかったらしい
彼女のプライドを傷つけたに違いないが
実はここが本来採用面接の大事な要件であって
もし最初の10分で?だったら面接が30分になることはない

足りないから明日からでもの病院は多くても
ほしいと思う人材でないと採用しない病院もある
時間をかける面接はそれを判断するためで
不快ならどんなに優秀でも私たちの病院では不採用だ
迂闊にもそうしたこの病院に固有の理念に触れずに
始めたファーストコンタクトの失敗だった
申し出の通り中断して別れたが
ドラマではあってもネガティブなドラマで終わってしまった

こうした経験もあって
前述の看護婦さんに「無理?」と聞いた
「おいでよ!」と言ってるつもりだった 

もっと有体に言えば
「迷わずについてこいよ 決して悪いようにはしないから」
ちょい悪おじさんのプロポーズみたいだが本音である
婦長の申し出に手帳を見て考えてたあの一瞬
彼女に僅かな躊躇いを直感して畳みかけたのが
「明日からではどう?」だった
ぶしつけは稀にではあっても力になることがある

結果的に
彼女は翌日から病院に出勤した
「明日からって言われてびっくりしたけど
その分望まれてるということはよく解りました
もし月が変るまで待って色々考えたら
別の面接と比較して迷ったかもしれません
来いと言われて背中を押されたんですね」

後にそう言ってくれたが
私が関わった看護婦さんの中で技術者としても人間としても
やはり出色の逸材だったと言い切れる
忘れられないファーストコンタクトになった

来年には創業35年になる
たった23名のオールスタッフで始めた病院も
今では150名を超えたらしい
単科の専門病院としては小さくない
一緒に仕事した職員はもう少ないが
でもこの看護婦さんは今も在籍してくれている
やはり嬉しいものだ

「型破り」
個人的には好きだが
はた迷惑な事務長だったに違いない

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糸抜き麦藁手水指 自作




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by touseigama696 | 2019-03-06 10:08 | ●エッセイ | Comments(0)

ふたつのtake off


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10年ほど前に逝ってしまった君が
まだ元気で一緒にコンサートをしてた頃
君のこの舞台衣装を
黒のスリップドレス一枚にしろよ!と
注文をつけ実現するまでに5年かかったのを覚えている
「だって・・恥ずかしいよ」
最初それが君のこたえだった

『でもさシャンソンってそういう歌なんじゃないか?
大きな舞台はいらない
煌びやかな照明もいらない
飾りのついたドレスもいらない
歌い手ひとりに小さなスポットひとつあればいい
そのひとりの人生がしみじみ聴ければそれでいい
何も隠さずそのままの君のシルエットの中に
思い切り君の人生を詰めて語ればいい
歌以外で飾るなよ
それがシャンソンだと私は思うよ』

気丈だから舞台怖じすることのない彼女も
その分とてもシャイで
なかなか思い切れなかったのかもしれない


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この写真は彼女の背中ではない
四半世紀も前このカードを書いた
老いを少し感じたころだが
同時に老いがもたらす「自在」に惹かれたりもして
「脱ぐ」ことが「飛び立つ」ことと同義で
どちらも take offでいいことに気づいたのだった

「いま幾つだっけ?」
「知らないっ!何度答えても覚えてないんだから
もう言いません!」 怒られた

口癖のように聞いてその都度忘れた
でもそれでよかった
毎年ひとつづつ重ねれば
やがてふたつのtake offも解ってくれるに違いない
そう思っただけなのだ

だが10年前に彼女は立ち止まってしまった
もう追いかけてこない
むしろ老いさらばえてゆく私からは
どんどん若い女性にたち返り遠のいてゆく
もしかしたらシャイなおんなに戻って
フランス人形みたいなドレスを着てるんだろか

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うめのかずこ  シャンソン 享年?才
時々CDで声に再会し 歌を懐かしんでいる


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糸抜き線紋黒筒茶碗 自作

きみのために作った黑のコスチュームかな





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by touseigama696 | 2019-03-04 08:22 | ●エッセイ | Comments(4)
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早朝BSで放映されていた指揮者佐渡裕さんが
ベルリンフィルでの初演までを収録したドキュメントを見た
多分アーカイブで少し古い記録だと思うが
(調べたら2011年の収録とある)
指揮者とオーケストラのファーストコンタクトのリハーサル
実に面白かった

初めてのオーケストラとの最初のリハーサル
2~3時間かけてする練習が
最初の10分でオケと指揮者の関係は決まってしまう
佐渡さんもオケのメンバーも同じことを言った
しかし
仮にその関係がダメでも本番の演奏が失敗することはない
力のあるオケは指揮者を無視しても無事に終わらせることができるからだ
さりながら二度と客演指揮に招かれることはないという
その決定権はかなりな比率でオケのメンバーにあるのだそうだ

似た話を以前にも聞いたことがある 正確ではないが多分小澤征爾さんだ
ベルリンだったかウィーンだったか忘れた
若い頃の小澤さんがリハーサルで初めて棒を振った
数分して小澤さんは手を止め「もう一度お願いします」と言った
同じところにきて再び止めた
そして3度目にそこにきたとき 小沢さんの棒は止まらなかった

何が起きたのかを小澤さんはこう語った
「止めた瞬間は楽譜にない音が一つ聞こえたからなんだ
で最初からやり直したらまた同じ音だったから止めた
でも三度目にその音はなかった でそのまま先に進めたんだけど
これはね私へのテストなんだろね」

しかし一見嫌がらせにみえて 必ずしもそうとばかりは言えない
このテストを通過しさえすれば
メンバーはちゃんと指揮者の要求を聞いてくれるようになる
いじめが目的ではない
大事なのは誤音探しではなく曲想の解釈だから
どんな音楽にしたいのか協力的になるには
確かな耳を持った指揮者が
指の腹を僅かにずらしただけの誤音を
聞き逃さない集中力で音を把握してるか
指揮者のセンスにメンバーは重大な関心があるのだ
オーケストラの音楽は
奏者だけでも指揮者だけでも作ることはできない
音は奏者が作り 音楽は指揮者が作る
両者の信頼が全てと言ってもいいのだろう

佐渡さんのベルリン・デビュー
聴衆のスタンディング・オベイと
舞台裏でのメンバーの祝意は
信頼が10分で終わらず 次の招聘を予感させる
温かさに包まれていた

最初の10分 オーケストラだけのことではない
出会いの10分が将来を運命づけるのはどこでもきっと同じ
そこにお互いが信じるに足るだけの誠実さがあれば
実りの多い絆が生まれるに違いない

ファーストコンタクト
少し老いればそのチャンスは多くはない
何事につけ始りの10分を大事にしたいものである

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盆栽とのファースト・コンタクト
とても新鮮だった 目下進行中である




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by touseigama696 | 2019-03-03 06:22 | ●エッセイ | Comments(6)

自尊心と羞恥心

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この海はヌーディスト・ビーチじゃありません
房総九十九里浜です

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既に逝ってしまった友人だが
ここでも旧友のカメラマンSさんの話
若い頃頼まれてアメリカのフロリダ辺りで
ヌーディスト・ビーチの取材をしたことがあったらしい

今でもあるのか詳しいことは知らないが
「ヌーディスト・ビーチ」「ヌーディスト・キャンプ」
日本人にはあまりリアリティーのある素材じゃない
でも当時は多少興味もあって出かけたとか
その時の話がこうだ

「オレはヌーディストじゃないから
スウィム・パンツ着用したよ
オレ以外は勿論スッポンポン

当たり前だけど
誰も恥ずかしそうになんてしてないさ
だけど1時間ほどして何か妙な気分に襲われた
オレの方が恥ずかしくなった
パンツ履いてるオレがだよ・・解ってきたんだ
つまり周りの大勢が裸なのに
オレ一人がパンツ履いてると
恥ずかしいのはオレの方になっちゃうってことさ
でね・・脱いだよオレも
誰も冷やかしたりもしない・・どうってことないのさ
そこから先はオレもスッポンポンだから
何の遠慮もなしに近づいてアップで迫った
オレも会員になれる・・羞恥心の本質が分かったからね

ひとことで言えば
銀座4丁目を水着で歩けって言われたら
大抵の人間は恥ずかしい
周りはみんな背広やワンピースだもんね
なのに鎌倉の海岸でスーツでネクタイしてたら
恥ずかしいのは・・どうやらこっちになる

そういうことなんだよ・・ヌードもね
つまり人間が持ってる羞恥心を含めたこだわりは
状況を変えれば真反対になり得るってことさ
「今まで何でこんなことにこだわったんだろ?」

幾つか思い当たることがある
若い頃同級生の友達と一緒にさる結婚式に招かれた
一般的には常識だろうが
黒のフォーマルかせめてセミフォーマル位は
着用の義務ありだなって言ったら
「ヤダよおれ そんな目立った格好
普通の背広で行くさ」
そんなわけで彼は会社に出勤するみたいな
ビジネススーツでやってきた
まぁそれなりの家格の結婚式だったから
案の定全員がフォーマルで出席してた
良し悪しは別にして結局一番目立ったのは
一番目立ちたくなかった彼だった

もう一つある
もう10年になるだろか
胆石が暴れて手術の羽目になった
メチャ痛い激痛から解放されたものの
ベッドで安静を強いられていた術後のある日
何人かの看護師さんが束になってベッドサイドに来た

「誕生日おめでとうございま~す!」と言われた
そんな気分にはなれそうにない日々だったが
言われてみれば誕生日その日のこと
「ありがとう!!」礼を言った

看護婦のひとりが花を置いてこう言った
「お誕生日の」お祝いにもうひとつ・・
何だか判りますか?」
「???」
「あのねお祝いに三人で体を清拭しながら
お尻も洗ってあげますね!(笑)」だった

還暦は過ぎていたはずだが
それでも一応羞恥心くらいは残ってるから
「いよいよ!」と言ったものの許されはしなかった

手慣れた仕種であっという間に裸にされ
清拭とお尻洗いは終わった
そしてこの瞬間
私は長年の自尊心を失い羞恥心も消えていた

あの日以降二度目のお尻洗いの刑はないが
あっても多分「ありがとうね!」でにっこりしそうだ
人間のこだわりなんてきっとそんなもん
かたくなに体を緊張させて自尊心や羞恥心を守ってみても
殆ど大したことではない
するがまま されるがままがいいことに気づいてはいる

それはそれなりに老いの収穫だとは思うが
もう一つだけやたら背の高い壁が見える
「しもの世話」って奴だ

こいつのことを考えるのはもう暫く後ってことにしたいな


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糸抜き那須紺麦藁手鉢 自作





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by touseigama696 | 2019-02-28 04:53 | ●エッセイ | Comments(2)

権威と権力

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昨日は仕事しながら国会中継を聴くともなく聞いてたが
総理大臣の田んぼも閣僚の田んぼも あるいは
各省庁の田んぼも結構たっぷり水が張ってあるようだ
それぞれの我田引水ポンプの性能がいいらしい
収穫の時期がくれば幹事長の蔵に新米が積み上げられそうだ
いささか心細いのは どうやら国民の田んぼだけ

どうしてそうなるのか? 私見だがこう見る
ここでは政治だけの例で言うが
議事堂内で仕事してるあらかたの人々に
国民に対する礼節が殆ど欠落してそうだからだ

オリンピック憲章を読んでない担当大臣を非難するのもいいが
そういうあなたは憲法の前文を読んだか?と問われて如何にである

・・そもそも国政は 国民の厳粛な信託によるものであって
その権威は国民に由来し その権力は国民の代表者がこれを行使し
その福利は国民がこれを享受する これは人類普遍の原理であり
この憲法は かかる原理に基づくものである
われらは これに反する一切の憲法 法令及び詔勅を排除する・・」 とある

ここで大事なことは権威と権力という言葉で どちらも使われている
本文上でその力関係を洞察すると
権威は国民に由来し 権力はその国民の代表者が行使するとあるから
権力者といえども国民のひとりであって国民を越える存在ではない
ゆえに権力が権威の上位に立つ根拠はないことになる

つまり総理大臣と言えども国民のひとりであることを越えず
一時的に国民の代表者に選ばれるが 与えられた権力を行使して
国民に福利を提供する義務があると言ってるのだ

しかも最後の一行で
「われらは これに反する一切の憲法 法令及び詔勅を排除する」
と宣言もしている


そうした視点で
総理大臣に限らず閣僚も議員もはたまた高級官僚たちも
つまり国会議事堂ご一行さまが
誠実に義務を果たしているように見えたか?となると
少なくとも私には到底そうは思えないのだ
それが国民に対する礼節が殆ど欠落してるように感じた根拠である

国会議事堂ご一行さまに何より大事な資質は
「国民への畏敬と礼節」である

「ノブレス・オブリッジ」地位ある者の特別な義務と責任 
この言葉が世界中に必要な時代のように思える


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糸抜き麦藁手多角皿 自作




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by touseigama696 | 2019-02-27 05:56 | ●エッセイ | Comments(4)

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一昨年の個展の折り
柿傳ギャラリーが用意してくださったDM写真
自作の黑器でまとめた一枚だが
とても好きで 今も残った分を大事にしている

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ある人物や出来事の
その本質からは少しずれていながら
しかし だからこそ
その人や出来事の真髄を浮き彫りにする
ちょっとした挿話・逸話というのがある
エピソードとはそういう意味だ

例えば 戦後間もない頃
ワンマン宰相の名をほしいままにした
吉田茂という総理大臣がいた
東大法学部卒・高級官僚・外交官・政治家
エリート中のエリート政治家だった
カメラマンにコップの水をかけてみたり
バカヤローと怒鳴って解散したり
逸話の多い総理だったが マッカーサーと渡り合って
日本復興の道をつけた実績は
戦後の歴代総理大臣の中では
出色の存在感を持った政治家だった

この総理をご存じない若い世代には
麻生太郎副総理大臣の祖父と添えておこう

そう前置きしての・・エピソードをひとつ
携帯もPCもなかったころの通信手段は
殆どがアナログ電話だった

用事の多い総理大臣のこと
日に何度も電話するが 吉田さんは秘書官に
「誰それさんにつないでくれ!」
と命じてダイヤルはさせるが
先方が出るまでの間に
秘書官から受話器を受け取って待ったのだそうだ
知らずに先方が電話にでると いきなり
「𠮷田ですが○○さん? おはようございます」
先方はびっくりして慌てたらしい
「実はお願いしたいことがあって電話しました・・」
直々でもあれば滅多なことじゃ断れない
受け手もついそう思うもんだ

普通の総理大臣は
(総理でなくても偉そうなのが好きなひとなら)
先ずは秘書官が出て
「○○さん!総理秘書官の△△ですが
ただいま総理と代わります お待ちください」
そして暫く間があって「あぁ!吉田だが・・」
多分相場ならこんな感じかな

この相場をはずして自分から先に電話にでる𠮷田方式は
人間の礼としてもそれが望ましいし
受けた側も同様に失礼するまいという気にもなるから
結果として「お願いしたいこと」も
スムーズに受けて貰えそうだ

「偉い」と「偉そう」は全く別のもの
「偉そうを嫌うほうが偉くみえる・・カモ?」
この仮説どうだろう?




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by touseigama696 | 2019-02-15 08:30 | ●エッセイ | Comments(2)

50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・


by touseigama696