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カテゴリ:○折々の折り( 33 )

愚者のことば

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1988年(昭和63年) まさに昭和が終るあの年
ある機関紙のために色々書いた中に
この「愚者のことば」がある

400字にしたら10枚弱のエッセイが50数編
その中の一篇が「愚者のことば」である

「普段口にする耳慣れた言葉を わたし風に定義してみたのだが
似たようなことは芥川龍之介が「侏儒の言葉」で
アンブローズ・ピアスは「悪魔の辞典」で試みている
興味のある方は読んでみては如何・・」

誠に不遜の限りの前書きは 今にして心底恥じる思いだが
そこを曲げて一部を再掲してみることにした

言葉を 自分なりに定義してみる行為は
不遜とばかりはいえず 有効な学習
そんなつもりで書いたものだった


----------------------------------------------------------


『愛』
本当のことを知って冷めれば それは恋
本当のことを知って深まれば それが愛
事実はひとつでも 真実はふたつある


『死』
誰でも一回しか体験できないもので
多少これに似た体験としては「眠る」がある
但し
決定的に違うのは 死には目覚めがない
従って体験はできても体験談はできない


『嘘』
もしこれだけで生きたとしたら
その人生は惨憺たるものだが
さりとて
全くこれなくしての人生も
些か興に欠ける 上手に使えば
「思いやり」とか「温かさ」といった
称賛を受けることがある


『自由』
一日中何もすることがなく
暇を持て余してる人間には全然見えないが
寸暇を惜しんで忙しくしてる人が
ふと出来た時間の隙間に感じる開放感のこと


『友情』
適当に持ってるときは人生で最も価値あるものだが
深間にはまると 言うべきことが言えなくて
お互いの人生を台無しにしてしまいかねないもの


『親子』
母親には疑いのない実感で 一方
父親は深く考えずに信ずべき人間関係のこと
「もしかしたら」がその違いを分けるのかも


『恐怖』
生理的には不快なものだが
実害のない範囲ではちょっと覗いてみたいもの
自分で味わうのは真っ平だが
他人になら快感を感じるひともいる
「権力」などは
こうした人間にとっては合法的な手段として
魅力的に映るようだ


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『幸福』
他人を蹴飛ばしても手にしたいと思いながら
結局 他人を蹴飛ばした奴には
決して手にすることができないもの
金で買える安物もあるが
質の良いものは決して金では買えない


『言葉』
剣を用いて人を刺せば罪になるが
寸鉄で人を刺しても罪にはならない
時に言葉は剣よりも鋭いけれど
人を刺せるほどに使いこなせば
人を生かすこともできる


『夢』
バラ色をしてると言われるが 証明できる写真はない
バクが食べるとも言うが 目撃したひともいない
怠け者が怠けながら自分の限界を越えたいと願うなら
これに頼るしかない


『人生』
量的には浜の真砂ほどありながら
質的には同じものはふたつとない奇妙な時の流れ
自分のものに関しては殆ど何も解っていないのに
他人のそれにはとかくのことを言ってみたい欲望に駆られる
そして これを失う時
自ら為したこと為さなかったことの全てを
正当化しようとして用いる言い訳のことば


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糸抜き採泥茶碗 さくら 自作




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by touseigama696 | 2019-03-27 21:32 | ○折々の折り | Comments(2)

For example・・

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この「折々の折り」に触れて書いた一昨日
さて次はと更新するつもりになった途端
私のPCは気絶してしまった
何が悪くてだか 電脳音痴の私に分かる由もない
昨日の晩 それこそ119番の電話で駆けつけてくれた
ここではお馴染みのPC家庭教師shuちゃんのお陰で
あっという間に息を吹き返した

勿論shuちゃんが凄いのは判っているが
同じ程度に・・私の電脳音痴もひどいもんだと
いささか自虐に苛まれもしたのだった
その顛末は 近々に別項で書かねばである
だから今は触れずに本題に戻ろう 
=閑話休題=

数日前にアップしたこの写真は
折々の折りの目次である
2004年3月4日に「ファスナー」と題して書いた

この「折々の折り」でどんなこと書いてたのか
チラッとプレイバックしてみたくて読んだ
案外真面目にと書いたからには
ほんとにそうか検証してみようと思ったのだ

私にしては大いに真面目な一文だと
密かに納得してここに再掲してみたくなった
時々使う「使いまわし戦法」 困ったたら「折々」である
For example・・例えばと思っていただければだ

原文は少々長いので端折ってリライトしてみた

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『ファスナー』 2004/3/4 「折々の折り」より

テレビで陸上競技大会などを眺めていると 選手は
自分の番が来るまでジャージーなどを着用して
一回の試技のために何度も着脱するのを見るが
幾つもあるファスナーがサラッと走る
いつもあれには感心して実にアスリーらしいリズム感に見える

というのは
私の場合部屋着に使うフリースベストの類ですら
ファスナーはその度に悪戦苦闘で挙句に脇の縫い目を噛んで
にっちもサッチもいかなくなるのだ
ジャージーが脱げなくてスタートで失格
私に限っていえばそれもありだと思う

身体が硬い 体が痛い
だからファスナーが真っすぐ走らない
あっという間に脱線して回りの草を噛むわけだ
相性が悪いと言えばそれまでだが
だから基本的にファスナーは好きじゃない


ところでファスナーといえば妙な事を思い出す
大分昔のことだが夏の暑い日の電車の中
中年のオッサンがいい気持ちで居眠りしてた
その隣に座っていたのが私だ

目の前に若い女性が立っていた 暑い日だったから
つり革が汗で濡れて気持ち悪かったんだろう
白いハンカチを巻いて握っていた

やがて電車が揺れた途端思わず手が離れ 
白いハンカチはオッサンの膝の上に舞った
居眠りしてるオッサンは気づかない
ところが落ちたとことがどうも具合が悪い
ふと見ると間の悪いことにファスナーが半開きなのだ

女性は拾い上げるのに躊躇った 無理もない
なら私がと手を出そうとした瞬間オッサンの目が覚めた
気づいたらモジモジした若い女性が目の前に立っている
唐突に寝ぼけまなこが何やら異常を感じたはずだ
半開きになった自分の股間に白いものが見えて更に大慌てだ
あっという間にそのハンカチはファスナーの中にしまい込まれた
ワイシャツが飛び出してるとでも思ったに違いない

事情を説明するにもどうもバツが悪い
判ったところでもう一度ファスナーを下ろして
取り出して返すわけにもゆくまいし
そうしたところで女性を戸惑わせるばかりだ
黙ってることにした 女性も何も言わなかった
だからそれはそこで一応終わったことになる

しかしよく考えるとあのオッサン帰宅してズボンを脱ぐとき
傍にカミさんがいなけりゃいいがと老婆心がもたげた
真夏のことだ もしかしたら香水が振りかけてあったやも
あるいはいイニシャルが刺繍してなかったろうか

股間から舞いでた白いハンカチ
後日談はそのオッサンしか知らない
ご無事を祈るばかりだった




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by touseigama696 | 2019-01-11 13:43 | ○折々の折り | Comments(0)

人間の傲慢

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以下は
2004年にエッセイで書いたものの再掲
15年ほどの時が流れて
でもあの頃に感じた深い不安は・・今も同じだ
しかし・・それでいて
この地球に・・まだ終末が見えてるわけじゃない

杞憂であればいいのだが
そう思える間に
人間が・・あるいは人類が
しなければならないことが幾つかある
そのひとつは・・傲慢に目覚めることだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            折々の折り 2004/02

詳しいことは知らないが
鳥インフルエンザの恐怖が巷間騒がれている
最悪のシナリオが書かれると
地球上で5億10億の人間の死を
招きかねない恐怖なのだそうだ

去年はSARSだった
その前を遡れば・・エイズがありエボラ熱もある
聞くところによれば
人間が・・今まで人跡未踏だったジャングルの
奥深くに踏み込むことでおびき出してしまった
自然の人間への反逆の可能性もあるらしい

考えてみれば・・人間は
大自然の未知の前では・・ひ弱な存在でしかない
住み分けを犯して傍若無人に振る舞えば
しっぺ返しに遭っても不思議じゃない

この数十年の科学の進歩が・・限りなく
マクロもミクロも人間の視野に映像化してはきたが
その科学とて
大自然の厚みの全てを解明したわけじゃない

人間が人間らしく生きるというのは
樹木が樹木らしく生きるのと・・同じこと
どの道・・人間とて環境の一部でしかないのだ

そこに一本の木があって・・そこに人間が一人いる
地を伝う水を吸い上げて木の芽が吹くように
身近なものを食して・・寿命を全うすればいいのだ

まるで温室栽培かブロイラーのごとく
露地の地味を忘れた生き方をして
それで何年生きるかを計ってみたところで
何の長生きなんだろう

以前にも書いたことがあるが
長生きは手段でこそあれ・・人生の目的ではない

「あぁ~あの長生きした〇〇さんね」
これは・・果たして〇〇さんへの賛辞だろうか
死ぬまで・・したいことがあって
そのためになら命も惜しまず
それでもなお思いを残して死んでゆく
何歳であれ・・それこそが寿命なのだと思う

眠ることを忘れるのは・・忘れるほどの興奮があるからだし
食べる暇を惜しむほどのモチベーションは
それだけで人間を死なせはしない
生きてることの充実感は・・長さではない輝くことだ

科学は・・体に良いことは教えてくれる
しかし
生きることの素晴らしさは・・その埒外に違いない
一人の人間の傲慢は
たかだか周囲の数人で矯正することもできるが

人間の・・人類の傲慢を制するのは
人知の及ばざる自然の脅威だけだろう

生きていてこその妙味は
この大自然の中にしかない
自然との共存は
住み分けに対して謙虚になることでしか叶わない
様々な未知のウィルスは・・人間への人類への警鐘
そう思うべきなのだ





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by touseigama696 | 2018-04-27 00:00 | ○折々の折り | Comments(0)

コタンの袋小路


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 コタンの袋小路  ユトリロ画


今夜は・・2005年9月に書いた
エッセイ「折々の折り」からの転載
時系列は当時のままなので
更に12年経ったことになる

書架にユトリロの画集を探してみたが
転居の断捨離で処分してしまったようだ
惜しいことをした・・珍しく悔いた


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                             2005/9 折々の折りより

少し古い話・・1970年の晩秋のこと
取材旅行の途中だったが
体調を崩し仕事を中断してパリでウロウロしていた

三島由紀夫が異様な割腹自決を遂げたあの日の前後だ
パリ在住の女流カメラマンのHさんが
気晴らしにと食事に誘ってくれた


モンマルトルの丘に登った・・そして
どこからでもサクレクール寺院が見える
坂の多い道を・・ふたりで歩き回った
どうしても一度訪ねてみたい場所があった
それがコタンの袋小路だった

この道をユトリロが描いている・・どんづまりの
急な階段を尼僧のような女性が登ってゆく
きっちりした遠近法を示す直線的な絵だ
木立と昇る人間だけが・・どんよりとした静けさに
音を吹き込んでいるようだ

精神はことのほか屈折したユトリロだが
積み木のように真っ直ぐなこの絵が好きだ
自分の足音がこだましそうで・・一度行ってみたかった
そして
行ってみて・・絵のほうがもっと好きなのもわかった
絵は写真とは違う・・当たり前だがそのことを痛感した

初めてパリに行ったとき
世界中の画家がこの街に来たがるのがよくわかった
どこに立っても・・目に映るもの総てが画題のようだ
しかし
それでいてこれを絵にするのは多分容易じゃない
絵以上に美しく絵画的だからだ

そうしてみると・・コタンの袋小路に立って
なお絵のほうが好きだと思えるユトリロの
豊かな表現力に改めて感銘した

今夜のNHKが、ユトリロを取り上げていた
その最後に・・晩年のユトリロがモンマルトルで
絵筆をとっている実写のフィルムを紹介した
実際にはこうして写生することはなかったそうだが
このときから3週間後に死んだというから
まさに遺影・・私が中学生の頃のことだ

私が実際にコタンの袋小路に立ったのは29歳
ユトリロの没後15年ほどしか経っていない
到底そうは思えないほどに
遠い画家のような気がしてならないのだが・・

久しぶりに
ユトリロの画集を眺めながらこれを書いている
コタンの袋小路・・やっぱり好きな絵だ
 
               


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by touseigama696 | 2017-10-11 21:50 | ○折々の折り | Comments(0)

モンパルナスの灯

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妻ジャンヌを描いたモディリアーニの作品


少し落ち着いた日々が戻って来て
かつて書き綴った「折々の折り」を
読み返したりする余裕もできてきた

懐古ではあっても・・今もそう思う
そうした記述をみつけ・・少し推敲を加えて
改めてふれてみた


モンパルナスの灯   

趣味の遊びで油絵を描いていた頃
人並みに人間の顔のデッサンを試みたことがある
最初のうち何枚描いても
妙に間延びした顔になってしまった
生身の人間がモデルになってくれよう筈もなく
手当たり次第に写真の顔を写しとってみたが
どうあがいても似ても似つかぬ顔なのだ

やがてある錯覚に気づいた つまり
左右の目じりを結ぶ線の長さと鼻の長さは
実際には目と目の方が長いのだが
描いてるデッサンは鼻の方が長くなってしまう
そのせいで間延びした面長になるのだ

しかし
自分で描いたデッサンを見て吹き出した
「これってモディリア-ニじゃないか!」
モディリア-ニの描く顔は大抵鼻が長い
それもかなりデフォルメして長い
一寸見には下手糞な顔である しかし惹きつける
瞳のない面長な顔は限りなく哀愁に満ちて
彼の人生そのものでもあるようだ

「モンパルナスの灯」を見た・・何度目だろ
昔の映画には手練手管はないが
見る者のこころを真っすぐに貫く力がある
画家の人生は 
どの道色彩と無縁には語れないものの筈だが
モノクロの陰影が色彩を捨象して
モディリアーニの悲しみを浮かびあがらせる
時代に早すぎた画家の感性と苦悩の末のこと
後世の人間が気づくボタンの掛け違いなのだ
そうしてみれば
あの時代に彼の才能を信じ切ったジャンヌの純愛は
決してひ弱なものではない

「お金より、励ましが必要なのです・・・」
非情なまでにモディリアーニの死を待って
作品を買い占めようとした画商モレルに向けた
この一言はジャンヌの存在そのものでもある

描くことも作ることも
時に時代の実益そのものとは限らない
才能が花開くというが
その才能はやがて作品の上では開いても
作者の実人生の上ではないことが多いのは
皮肉なことだ
「お金より、励ましが必要なのです・・・」
ものづくりに・・ジャンヌの言葉は今も生きている

没後百年・・落札価格の天文額に比べて
存命のころの窮乏は・・落差があり過ぎる
でも言い換えれば
画家の(画家に限らないが)の
時代を先取りする慧眼の凄さでもあろう

ジャンヌはモディリアーニの死後
日ならずして自ら命を絶った
ふたつの命の代償に
今もモディリアーニは燦然と輝いている
切ないが以って瞑すべしでもある
 
                              2003/11 折々の折り


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1995年ころの習作のデッサン

寸法の比率が解って
モディリアーニから脱出?(笑)
でも才能があるとは・・思えなかった

少し乱暴な言い方だが
陶芸は稽古次第で
ある程度まではゆけそうだが
絵となると
最初から才能のあるなしで
決まってしまいそうだ
そんな気がして
3年ほど趣味の油彩を描いて
陶芸に転向したのだった



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by touseigama696 | 2017-09-21 05:09 | ○折々の折り | Comments(2)

10年

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昨日削った・・五本の花器


10年前
私は・・自分のエッセイ「折々の折り」に
以下の一文を書いている

陶芸を始めて10年目ころのことだ
そして
それから更に10年が過ぎて
10年という時間が
様々な思いをかきたてる

職業としての陶芸を・・強く意識し始めたのは
65歳の日本伝統工芸展に通り始めた頃のこと
74歳の今思うと・・あっという間の10年だが
その間を年譜で見れば・・色々している
結構充実した時間に思えもするのだ

たかが10年・・されど10年
読み返して感慨深いものがある

今・・往時の私の年輩におられる方に
ささやかなメッセージのつもりで
再掲してみることにした


伝聞だから正確ではないが・・堺屋太一さんの話

「人間は昔から人生の六割を働いてきた
人生50年の時代の六割は30年
15歳から45歳までだった
寿命が80年になって・・その六割は48年
22歳くらいで大学を出たとして48年働くと70歳
60歳あたりで定年ってことになっても
能力的にはあと10年は働けるわけだ

だから・・引退してからの老後ではなく
たった今・・何か自分のやりたいことに
一所懸命になってみたらいい」
こんなことのようだ

「やりたいことを一所懸命に・・」を
「専門家になるつもりで・・」と言ったらしい
このあたり・・私も大賛成である。

大橋巨泉氏の「セミ・リタイア」とも似ている
本格的なリタイアではなく・・一度区切りをつけて
一番興味をもっていることに夢中になってみる時代を
セミ・リタイアと言ったようだ

50歳を過ぎたあたりから
人生は徐々に変わってくる
まぁ住宅ローンを組み込んだりもあって
一概には言えないが・・仕事にもゴールが見え
子どもは自立しはじめる
時間の進み方に僅かなゆるみを感じはじめる年代である。

多忙であっても
ただ闇雲に働くばかりが人生でもなかろうと
趣味を見つけて余暇を割くようにもなる
これは実に良いことだと思うが・・どうせなら
堺屋さんが言うように「専門家になるつもりで・・」
をこころの隅に置いてみたらいい

専門家というと
特殊な技術の必要な難しさを想像してしまうが
職業ばかりが専門家ではない
例えば
「鶏肉料理のレシピを世界中から集めてみよう
その上で自分のオリジナルなレシピを作り出してみる」
長年仕事のように料理してきた主婦にとって
週末料理人をめざす男たちの料理好きにとっても
ただの楽しみの料理ではなくなる
もし・・この研究が実を結べば
鶏肉料理の専門家といっても差し支えあるまい

「薔薇の花の写真を撮る」のも
「毎朝の散歩を俳句つくりの吟行のつもり」だっていい
単なる遊びと思わないで本気で取り組んだら
10年というのは結構なことができる時間だと思う

私が陶芸の手ほどきを受けたときから
今年で丁度10年になる
あっという間の時間だったようにも思えるが
その間の出来事をひとつひとつ思い出すと
それらは随分と遠い日のことでもある
10年という年月の持つ意味が
近頃やっとわかってきた。
言い古された言い方だが
「たかが10年、されど10年」
  本当にそう思えるのである   
                  2005/08



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by touseigama696 | 2016-11-20 07:54 | ○折々の折り | Comments(0)

11年前の昨日の私

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2005. 10. 16. Sun

50歳(944/1001)

11年前の昨日
2005年の10月16日
1001夜の成就を間近にした
私のエッセイ「折々の折り」に
「50歳」と題して・・こんなこと書いてる
1001夜の944夜である


『10数年前、50歳の誕生日を迎えた私は、
いささか憂鬱な思いにとらわれた。
人並みに老いを意識せざるを得ない気がしたからだった。

確かに50歳ともなると、
仕事だって半ばゴールが見えてくるし、
子どももあらかた巣立つ頃合いではある。
男も女も大きな節目にさしかかる年齢には違いない。
しかし、
役目を負った時代だけが人生ではない。
役割からの解放をどう受け取るか、
それが象徴としての50歳じゃなかろうか。

一升瓶に丁度半分の酒があるとして、
ひとは二通りの見方をする。
「もう半分・・」と「まだ半分・・」である。
事実なら「二分の一」だが、
真実ということになると、
ひとそれぞれに受け取り方は違う。

「まだ」も「もう」も、
目に見える事実に主観が加わったそのひとの真実なのである。
事実は争いようがないが、真実なら思いは分かれる。

50歳は、誰にでも否応なしにやってくる。
そのとき、
目に見える事実にどう主観を加えることができるか・・、
それが「夢」じゃなかろうか。
役目を果たすことに全力を費やしている時代には見えない「夢」、
50歳はそれを見つけるチャンス、
おぼろげだったが、そんなことを考えたのを思い出す。

人生の殆どは偶然のようにめぐりゆく時間である。
思い通りになることなど滅多にない。
にもかかわらず、
僅かでも得心のゆく時間がもてるとすれば、
それは「夢」を描いて、そこに向かうことでしかない。

陶芸に出会ったのは52歳のとき。
かねてやってみたいこととして温めていたとはいえ、
その始まりはやはり偶然みたいなものだった。
しかし、やがて私の人生の終章を支える夢となった。

見知らぬどなたかの許に旅立つ器に箱書きしながら、
それはまるでメッセージ・インナ・ボトルでもある。
夢を託して・・と書いたら、
あまりに青臭いと言われるだろうか・・。 』


50歳の日からなら
既に四半世紀に近い日々が過ぎた
52歳の年に出会った陶芸を
晩学の夢として・・夢中で始めたころだ

夢ではあったが・・やがて
それを仕事にすると決めた
「プロ」・・この言葉の響きにも
夢を感じていた
組織で生きてきた人間には
独っきりで全てを賄う物づくりは
ひとつの憧れだったような気がする
だから・・プロという言葉に惹かれた

あれから25年・・夢で始めた陶芸も
仕事にしてから・・20年

趣味なら楽しいだけで済んだことも
仕事となれば・・そうもゆかない
僅かながらもしていることに社会性が生まれ
緊張と忍耐も必要だからだ

70歳を超えて・・明らかに劣化してゆく体と頭
今までにない不安を感じる日々だが
できるだけ工房に籠って作ることが
一番の精神安定になるようだ





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by touseigama696 | 2016-10-17 03:38 | ○折々の折り | Comments(2)

所作

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焼けば・・これとは全く違った色になるはず
さて・・どうなることか?です


いつだったか
踊りの名手が・・楽屋で着物をたたむのを見た
見るだに・・その手つきは見事なもので
着物は・・スルスルと納まるべき形に納まった
慣れと言えばそれまでだが
漫然と繰り返すだけでは・・こうも
形が決まるものでもなかろう

教えられてに始まって・・更に自分の工夫を加え
短い時間に美しくたためるには
手順への細かい気遣いが必要だ
言ってみれば・・それが所作である

「芸」とは・人に見せるものではあるが
芸の本質は・・見えてるものだけじゃない
「見せる前」も・・「見せた後」も
芸のうちである
ものの姿は・・所作の流れの中のひとこま
だから・・美しい形は美しい所作の中で生まれる
近頃・・このことがとても気になる

ひとつの器の制作にかかると
どうにかしていい流れを作りたいと思う
慌てたり焦ったり・・気を散らしたりで
気に入った作品になった試しはない

土を練ることから始め・・作品が窯から出るまで
如何に私自身の所作をスムーズに出来るか
とても気になる

だから
使う道具の過不足も・・それをきれいに洗って
出したり仕舞ったりも
並べて置く位置さえ気にする
腕の良い板前さんの調理場みたいに
必要なものはあるが・・不要は置かない
そうしたいと・・いつも思う

とりわけ作品が大物になると
尚更に段取りの良し悪しが大事になる
ボリュームは・・それだけでもリスクである
僅かな手順の狂いが・・致命的にもなる

「でっかい車の運転操作は・・案外
細かい神経を要求してくるもんです」
大型特殊車両の運転手さんが
そう言ってたことを思い出す

段取り~手順~所作
心地好いリズム感を作るのは
きっとここの三つである
------------------------------------------

10年ほど前
私のエッセイ集「折々の折り」に
こんなことを書いた

読み返してみると
やはり10年の歳月を感じる
この当時・・心がけていた注意深さの
何がしは・・今では失ってるかもしれない

準備はともかく
片づけと掃除が・・億劫になる
どっちらかった工房コックピットで
大いに反省しながら・・今日も
教室と加飾に明け暮れた



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by touseigama696 | 2016-03-09 23:48 | ○折々の折り | Comments(0)

お隣りさん

2005. 2. 24. Thu
お隣り(739/1001)
「光速で一年かかる距離が1光年
9兆5千億キロだそうだ
肉眼で見える星は3000光年までとか
月は1秒 太陽は8分で届く

この広大無辺を考えれば
今日歩けなかった距離なんて
悲観することないな

すぐ隣りの銀河はアンドロメダ・・
200万光年・・それで隣りなんだ」 
                 てつ語録 NO25


あるひとがロシアの片田舎を旅した。
泊まるところも見当たらず、
やっと見つけた農家らしき家に飛び込んだ
「今夜一晩泊めてもらえませんか?」。
「いいとも、さあ暖炉のそばにおいで、
温かい食事をあげよう」。
それはもう快く迎えてくれた。

翌朝のこと。
「客人! 折角の出会いだ、
ここらじゃこんなこと滅多にない。
よかったらわしと一緒に
近くにいるおっかさんに会ってくれんか、
きっと喜ぶと思うんだ・・・」。
「昨夜の恩返しに、
そんなことでいいなら、喜んで・・・」。

二人は近くの母親の家を目指した。
それは、汽車で三日の旅だったのだそうだ。
広大なロシア大陸、これくらいは
近所のうちだというわけである。

このエピソード、好きな話である。
アンドロメダは、到底三日の旅ではない。
時々、こんなことを考えると、
たった今に思い惑うことなど、
何とちっぽけなことかと、
少しこころ穏やかになれる・・・。

 
------------------------------------
11年前の今頃・・折々の折りに
こんなこと書いてる・・

どんなに頑張っても
一日で歩ける距離なんて・・大したことない
分っていても・・焦れたりもする
とりわけ・・体に不足がみえてくると
捗らないことが・・大きな不安になるものだ

そういうときの合言葉が・・アンドロメダ
200万光年のお隣りさん
簡単に歩き通せるものじゃない・・だから
今日一日を思い煩うことなかれ・・なのである



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by touseigama696 | 2016-02-10 05:15 | ○折々の折り | Comments(0)

10年前の今夜

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2005年12月12日・・今から10年前の今夜
それまで書き続けてきたエッセイ「折々の折り」
その千一夜を完結して・・終わりにしたのだった

毎晩一所懸命書いたから・・達成感はあったが
ふと気が抜ける思いだったのを・・覚えている
あれから10年経ったことになる

今書いてるこのブログは・・その翌年からだ
それも10年目に入り・・2、218本書いた
よくも書きつるものよと思うが・・そもそも
近づく老いに備え・・少しでも頭の劣化を防ぐため
一日にひとつくらいは・・しっかりと物思い
それを書くことで・・一助になればが契機だった

今夜・・そんなことを書こうと思ったら
5年前に・・既に触れて書いてある
今でも思いは同じ・・読んでいただけたらと
引用することにした
折々の折り2010/03/10

これもまたひとつの日課だが
根気が続く限り・・続けてゆきたいものである



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by touseigama696 | 2015-12-12 23:31 | ○折々の折り | Comments(0)

50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・


by touseigama696