50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・
by touseigama696
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2022年 04月 01日

この建物はかつて私が15年ほど在籍した病院である 開設のため設計から準備に携わった縁で1985年春の開院時の初代事務長に就任したが爾来40年近くを経て往時に比べれば随分と大きくなった今も先端の整形外科専門病院として日々多忙な病院である 今週は4日間にわたって妻同行で通院し診察を受けた夫婦で別々の疾患で痛みMRI検査の上で診断を仰いだ5日連続通院は現職時代以来のことだ
幸いにも妻も私も致命的なダメージは避けられたが多少の痛みと同居することになりそうである「この段階での手術はリスクも増えるむしろ痛みを制御しながらつきあって行く方が穏やかかな・・」在籍時の院長・副院長の診断かつて一緒に仕事した仲でもあり 妻も私も信頼度は言うまでもない折々に痛みを制御する指導を受けながらベッドに寝込まない日常を大事にすることしたのだ この病院に一週間近く通い詰めて懐かしく思い起こすある一日の記憶滅多に経験しない一日なのでちょっと書いてみたくなった 病院という名称は医院とは別のカテゴリーで区別される入院ベッドがあるかないかそれも大きな違いである 従って大抵の場合不慮の事情がなければ病院は開院すると同時に 病院に人の出入りがゼロという日はないまた建物に明かりが点かない日も夜もない創設10年でも100年でも昼夜を問わず人が動き厳しい生命の戦場となるのが普通なのだ ひと時代私もその不夜城で朝晩を過したがこの病院に勤務したことのある延べ数百人或いは千人かもしれないがその全ての人々の中で私だけが知る或る一日があった それは明日が開院初日の前夜スターティングスタッフの数十名が日中それぞれの持ち場で準備を整え明朝に備え帰宅していった夜の10時過ぎのこと 私は最後まで残って院内点検を済ませ職員出入口の明かりを消した瞬間田んぼのど真ん中に建ったこの病院が無灯火の真っ暗なのに気づいた ついさっきまでの不夜城は真っ暗闇の中に佇んでいた 「明日から先この真っ暗闇は一秒たりともあるまいひとの命 生き物の心臓と同じで死ぬまで消えることのない灯火なのだ その瞬間病院を開設させることの大きな責任をひしと感じたのを思い出す ソフトで病院を守る医療スタッフと並んでハードな病院を安全に維持させることは私を含む事務スタッフの大事な責任なのだと実感したのだった 出発直前の真っ暗な病院見たことのある人は決して多くはあるまいまた意識してそれを実感するタイミングもそうしばしばあるとは思えない この病院でたったひとりたまたまそこに居合わせたことは運命的としか言いようもない
あれから37年を経た数日前の帰路日暮れた不夜城の夜景をちらっと見上げながらあの夜を思い出したのだった 今日もこれからもう一度病院に出向く別件だが特別な関わりが間にあってのこと明日書いてみたいと思う
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by touseigama696
| 2022-04-01 09:51
| ●エッセイ
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