50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・
by touseigama696
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2019年 10月 07日
1989年に描いたコロッセオサインペン一本の遊びでした
「40年前にニューヨークの街を歩いてたらアメリカ人に道を尋ねられたことがあるの私はどう見たってアジア系の顔だしその私にアメリカ人が道を聞くなんてと思ったりしたけどそうかそこに居合わせればもう同じアメリカ人だと思うこのアメリカってそういう国なんだと改めて気づいたことを思い出します」 今朝のテレビで評論家の大宅映子さんがそう言ってた ラグビーの日本代表が大活躍の話題でだった昔風にいえば生粋の日本人はチーム30人の中の半分ほどそれでも日本代表チームってことに違和感がなくなってきたそういう時代になりつつある 英語ペラペラ日本語ヨチヨチの大坂なおみさんだってとっくに同胞としてその活躍にわくわくするが私にはもう少しも違和感はない 私も大宅さんより古く50数年前上の点画で描いたローマのコロッセオの近くで車に乗ったアメリカ人に道を訊かれたことがある「フォロロマーノはどう行けばいい?」知ってるはずもないがそれでも傍にいたイタリア人の老人に「フォロロマーノはどっち?」英語で訪ねてみた フォロロマーノでわかったのかなイタリア語でペラペラ説明してくれるがこっちがさっぱりである それでも説明の最後にらしき方角を指さしたのをいいことに「あっちだって!」と英語でアメリカ人に伝えた そしたら彼は「ならさ 一緒に乗ってって道案内してもらえないかな?そう聞いてみてよ?」だとてっきり私とイタリア人は親しい間柄とでも思ったようだ 自分で訊けばいいだろ?と思いながらもついついこちらもお人好しの日本人そう伝えてみたらうろ覚えだが「si!si!」と言ったようだったこれって多分yesのことだろうから「いいってよ!」そう伝えたら二人は車に乗ってそのあっちの方に走って行ってしまった 私が二人の間に入る必要は全くなかったのに何故かそうなったのは顔立ちや皮膚の色や言葉の違いではなさそうだ「そばにいた」それだけでその場所ではきっとみんな同胞みたいなもんだったに違いないあの頃でもそうした予感がなくはなかった 国境が作った異種の感覚はどんどん失われてゆく「一緒に暮らす」そこが全ての内側になる時代がきてるのだ そんなことを考えてみると世界中の人々が今そこにいる場所での互いの思いやりさえ忘れなきゃ案外仲良く暮らせそうな気がするのだ グラウンドでも観客席でも互いの善戦に興奮しながら隣り同士がみなハグする様子を眺めていてそこに居合わせる場所こそわが母国 それでいいのではないかな 最近のスポーツは他に率先して「国境なき母国」の意味を教えてくれているように思えるのである
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by touseigama696
| 2019-10-07 01:29
| ●世相あれこれ
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Comments(2)
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