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パニック障害

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昨日の話題でも触れた「機上でひっくり返ってアンカレッジで入院」
とあるのは実は後になって解るが
今なら 機内でパニック障害を起こしたと云えそうだ
当時は「パニック障害」という言葉も
更に関連する「エコノミー症候群」という言葉もなかった
だから専門医から
「あなたに起きたことはパニック障害だよ」とは
一度も診断されたことがない
しかし思い返してみると最も該当している病名に思える

昨夜NHKがその「パニック障害」を特集してた
嬉しい思い出ではないが思わず昔懐かしく見てしまった

なるほど6年ほどにわたって苦しんだ日々が
そっくり再現されていた
他人の三倍仕事のツケではあるが
今となれば無事に通り過ぎてこられてよかった

もうこの話題で書くこともないだろうが
昨日の放映によればこの病い 現代人の罹病は増えているとある
もし思い当たる節がおありだったら
ヒントになればと書いてみることにした
パニック障害からの脱出である

1969年 丁度50年前の今頃の季節
3ヵ月の予定で欧州の取材に向かう機内
羽田を出て4~5時間
飛行機は北太平洋をアラスカに向かって飛んでいた

出発前の1ヶ月 殆ど眠る暇もなく仕事して
流石に音をあげるほどヘトヘトだったが
不在の3ヵ月の放映予定番組の制作準備をあらかた済ませ
後をアシスタント・プロデューサーのKクンに任せ
パリに着いたら1日くらいゆっくりすれば回復と
離陸した飛行機で飯も断わって眠り込んだのだった

ひと眠りして目が覚めたら異変が起きた
やたら息苦しいのである
DC8という飛行機は後のジャンボと比べたら小さな飛行機で
狭い機内が満席ならそんなこともありかと
深呼吸を繰り返してみたがますます苦しくなった

たまりかねてスチュワーデスに
(当時はCAと云わなかった)助けを求めた
事情を話すとすぐに酸素ボンベを持ってきて
私の顔にマスクをかけた
勿論機長にも連絡が入り座席にやってきた
両隣りの乗客はCAの依頼で別の席に移動し
私は3席をつないで横になった

更にCAのドクター・コールがあって
夜中の機内が俄かに緊張した
横になったまま頭も上げられないほどに
全身が無力感に押しつぶされ
酸素マスクのひもを後頭部にまわすこともできなかった

「羽田・アンカレッジとも連絡を取りました
今この機は往路の丁度真ん中あたりにいます
戻るか行くか協議しましたが
アンカレッジでケアできることも分かったので
このまま行くことにしますがご了承ください」
機長がそう言った たまたま乗客にDr.もおらず
この時点では私に何が起きたのかまるで分らない
アンカレッジで医師の診察を受けるしかない

ここからはパニック障害に関わることに話を絞ろう

着陸するころには少し落ち着いてきたが
機長の要請でアンカレッジで降機し
空港JALの係員の世話で病院に向かい そのまま入院になった
担当してくれたDr.シュテルは
「心臓の血管に小さな血栓が詰まったんだろうが
血管の拡張剤を打ったから
血管が広がって血栓が流れれば問題ない」そんな診断だった
後のカテゴリーでは多分これが「エコノミー症候群」で
狭心症とか心筋梗塞とまでは深刻でなかったと想像できる

入院は一ヵ月続いた 息苦しさは取れたが
手術をして解決したという性質の病気でないから
何が起きて何をすればどうなるが明瞭ではなく
心理的な不安は解決したことにはならなかった
つまりこのあたりが当時の医療では明瞭に
「エコノミー症候群」「パニック障害」という
カテゴリーを持っていなかったからなんだろう
帰国して聞いたのは心臓神経症という病名
心臓ノイローゼつまり心の病いということだ

突然息苦しくなって 呼吸困難になる
幾ら息を吸っても肺に空気が入る感じがなくて
このまま死ぬのかなって不安に襲われる
救急車で運ばれても心臓や肺に異常は見つからない
原因不明のまままた突然同じことが起こる
だから毎日暮らしていても
苦しくなったらあそこに駆け込もうという病院を
メモしておかないと不安でたまらない
自然に外出もしたくなくなり鬱にもなりそう
自宅にこもれればまだしも
仕事に行けるだろうかと絶望的な気分になる

昨日の放映で特記されていたことは
当時の私そのままだった

仕事柄不規則な生活は日常のこと
事務所にいて済むことなんて殆どない
どこにいても忙しいし
病院があろうがなかろうが
行かなきゃならないならどこにでも行く
およそ病気対応の生活ではないのだ
更に決定的だったのは
私が海外番組を重点に担当するPだったことだ
飛行機に乗るのが嫌いでは済まない立場だが
飛行機は嫌いになっていた それも新しいストレスになった

復帰後に乗った最初の飛行機がこれまた皮肉にも
トラウマのアンカレッジ経由のパリ行き
その直前にグアム取材でテストして大丈夫だったのに
嫌な記憶がよみがえりアラスカからの8時間
この取材から無事戻れたら二度と飛行機には乗らないから
ここだけはどうか無事に済ませてくれと祈ったほどだった
それでも案の定パリで苦しんだ
多分これがパニック障害なのだ

寝ても覚めてもこの苦痛から逃げられず
仕事からも抜けずに頑張っていたが
(一応大マジ社員で頑張るつもりでしたからね)

決して家庭的な亭主でも親父でもないけれど
生まれたばかりの娘がいて
自分だけ乱暴に生きるのは如何にも身勝手
身体を徹底的に治すことを優先して退職リタイアしたのは
そうした挙句の決断だった

さてまた端折ろう 散々もがいた末に
私はパニック障害から脱出することができた

どうして? 何をしたから?
巣ごもりしてうずくまるような日々に
ある日突然光が射した

たまたま近所の同級生の家で
クラスメイト達が集って麻雀をすることになった
私は当てにならないメンバーだから
誘われたわけじゃなかったが
たまたまひとりが急用で帰ることになり
代わってくれと言ってきたのだ

昨日は麻雀はできないと書いたが
それは会社の人間はプロもどきばかり
手強すぎるからで 全く出来ないわけじゃなかった

決して嬉しいピンチヒッターではないが
 困れば救急車くらい呼んでくれるだろうと
出かける決心をしたのだった
ところが
気心知れた幼ななじみでもあれば
気を許して加わった麻雀
楽しくて気がついたら夜が明けていた

それでいて何も起きていない
気分もいいし苦しくもない
夜食も美味しかったし疲れてもいない
いつもなら夜の8時を過ぎれば
ベッドに潜り込む時間も
とっくに過ぎて朝だ 暫く考え込んだ

出た答えは 何かに夢中になって
不安を忘れていれば不安に襲われることはない
大事なことは不安から遠ざかることではなく
楽しいことに近づくことだと感じたのだ

誰かに
「病気の改善のために 麻雀でもしてみては?」
って言われたら
「冗談よしてよ苦しいんだから」きっと断る
詳しいことを知らない親友たちの思いがけない誘い
正面切った助言でもなかったから
たまには行ってみるかの決断だったが
そのさり気ない偶然が良かったのだろう

その日から地元の友人に頼んで
週末は我が家で徹夜麻雀を重ねた
麻雀が目的ではなく夜更かしが狙いだった
妻に頼んで豪勢な夜食を提供し
徹夜につき合ってもらったのだ
日に日に自信を回復し行動半径が広がった

楽しければ夜更かししても体は参ったりしないのも解った
私感ではあるが もっと極端なことをいうと
死にたくないという思いが強ければ不安も大きいが
いっそ死んでもいいさって開き直ると
不安は遠のいてくれそうな気がしたのだ

パニック障害からの復帰に最も大事なキーワードは
きっと「自信の回復」
それがどうしてもできずにいて苦しんだが
最後の最後に「開き直って」それを手にしたように思う

「あの苦しみが麻雀で? からかうなよ!」
深刻な患者さんから叱られそうだ
 しかし開き直るというのは
常套ではないところで大事なものを見つけるチャンスでもある
溺れれば藁でも助かることがあるのだ

36歳の干支までの6年を経て
パニック障害に関わる色々な恐怖からはすっかり遠のいた
既往のキャリアさえ忘れてる
先日来の「逆説的真理」に従えば

「死を恐れれば死は遠のくのか?」

77歳ともなればほっといても遠からずの「死」
何となく答えが判ってきてる

北太平洋上で経験したことは
半世紀も早く私に人生の究極にある命題に
答えを考えよだったのだろうか

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写真は退院の日の朝
アンカレッジ・コミュニティーホスピタルの前で撮ったもの
白い車の後部に立ってるのが私である 1969

ここに書いた私見
専門家に推敲してもらってるわけではない
断定できるものはないが
苦しみからやっと逃れる時に
正論はひとつとは限るまい
病いに立ち向かう勇気に少しでもヒントになればの
一文と思ってくだされば幸いである






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Commented by mother-of-pearl at 2019-02-09 17:30
記事を拝読し、若き日本の青年が一ヶ月も北の他国で病の床にあった、とはどんなにか不安だったことだろうとお察し致しました。
人の何倍もお仕事をなさる方だったのでしょうが、それでも身体がブレーキをかけてしまう事があるのですね。
偶々昨夜遅く再放送を見ました。近年罹患率が上がったのは以前は認識されていなかったから、とも言えますね。
実は私も新卒の頃、IBSつまり神経性大腸炎を患いましたが、病名も無く医者も知らず、手探りでした。

回復の途に巡り会いお元気になられ、本当に良かったですね。

今も、超人的な体力気力で数々の才能を発揮していらっしゃいますが、どうか、ご自分を甘やかして差し上げてください!
Commented at 2019-02-09 23:42
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by touseigama696 at 2019-02-10 05:58
mother-of-pearlさん
ありがとうございます
一カ月間 英語だけで痛いの痒いのを
説明しながら治療を受けるのは
さすがに難しいことでしたが
若かったんでしょうね
あまり不安はなくてすみました
初めての日本人入院患者ということで
看護婦さんたちから珍しがられて
親切にしてもらったのを思い出します
神経性大腸炎も大変でしょう
外出の恐怖があるでしょうからね
色々なことを乗り越えて生きているんですね
お互いに褒め合うことにしましょうか(笑)
Commented by touseigama696 at 2019-02-10 06:05
kotohajimenoさん
ありがとうございます
人前に立たれることのある仕事と拝見し
喘息との同居は楽ではなさそうです
今は治療も進んで制御できるから
救われますね
転機は確かにあって 
それを摑めることが大事です
あとになると思いがけないところに
それがあったことに気づいて
幸運に感謝です
Commented by 今青春です。 at 2019-02-10 20:59 x
昨日からまた寒くなったね。工房では、電気炉の熱’寒風の外気の寒暖差はとてつもないのでは・・
「アンカレジの緊急入院」おぼろげな記憶ですが、優しいCAさんに救われましたね。当時のボスが駆けつけてくれただったけ?
「パニック障害」・・・哲ちゃんには無縁と思ってました。
「徹麻」・・奥様の豪華な夜食は、白熱の熱も逃げちゃったかもね。
ココ最近、大病に脅迫されて、弱気になっちゃうかと、頑張ろうね。
https://www.youtube.com/watch?v=j8vLxt1wux4
命につく名前を「心」と呼ぶ
Commented by touseigama696 at 2019-02-11 06:25
今青春ですさん
ありがとうございます
今さんの記憶力の凄さに降参です
最近の私の記憶は実に情けないのでね
あっという間に時は流れてゆきますね
お互い体を大切にです・・多謝
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by touseigama696 | 2019-02-07 14:24 | 〇忘れ得ぬ「思い出」 | Comments(6)

50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・


by touseigama696