2016年 01月 17日
21年目の『朝』 |

目が覚めたら・・
テレビがこの特集を放映してました
言うまでもなく・・あれから21年目の朝です
「阪神淡路大震災」・・ひどい災害でした
高速道路の崩壊・・繁華街の大火災
忘れようもありませんが・・21年経ったんですね
もし忘れることができたら・・少しは楽なのに
そういう人々の胸の中は・・あの日のままで
どんなことあっても忘れるなよ・・!
そう言いたい為政者たちが・・忘れがちなこと
記憶って厄介なものです・・だから
こうした特集番組は・・被害者のためと言うより
為政者たちに記憶を蘇らせよ・・でもあります
私にとっては・・別の意味もあって
この年は・・忘れようもありません
毎年・・1/17の報道を見る度に
その年月が・・私の陶歴と重なるからです
病院事務長の傍ら・・52歳の新年に
生まれて初めて・・粘土に触れたのが
1995年1月5日・・地震の2週間前でした
ですから・・自分の陶歴を振り返れば
必ず・・この大震災を思い出します
実はこの年の春・・地下鉄サリン事件もあったので
これも忘れ難く・・記憶に蘇ってきます

1995年1月5日に・・初めて触れた粘土で
最初に作ったのが・・このぐい呑みふたつ
どう見ても・・下手くその限りですが
晩年の趣味のつもりの・・初日だったのでした
初心忘る勿れ・・書架に置いてるのはその意味です

これは・・21年後の昨日
工房で手掛けていた作品のひとつです
両者の間に・・21年が流れました
少しは努力の跡が見られるとして
今率直に思うことは・・
あの日の大震災は・・大勢の命を奪いましたが
奪った命に秘められていたのは・・計りようのない
個人の可能性だった・・ということです
6、437人の方々に止まってしまったもの
つまり・・もし私に置き換えるなら
上の写真で止まったまま終わってしまう人生
どんなにか無念だったに違いないと・・実感します
どこでどんな運命で・・災害に出会うのか
知りようもないことですが・・あれから21年を
無事に生きながらえて・・こうして呑気にも
陶歴に歳月を加算できる晩年は・・やはり
その幸運に感謝すべきことだと・・生きてるかぎり
毎年・・この日の朝思うのです

by touseigama696
| 2016-01-17 05:06
| ●エッセイ
|
Comments(2)
桃青釜さん、
本当ですね、いつも心を大きく開いて初心のままで、そして謙虚でいられることが、すなわち心の平静につながりますね。
21年前のこの日、私の父母は神戸に居りましたから、アメリカでニュースを聞いた時には凍りつきました。
橋の上を運転中、ラジオで聞いたのを覚えています。
なかなか電話も繋がらず、ずいぶん心配しました。
幸い被害は少なかったものの、怪我をしたり家を失った知人も何人かありました。
あのあと、かなり長い間、父母の家の近くには特設ホームのバラックが建ったままでした。
サリン事件も同じ年でしたっけ。
世にも怪奇な事件でした。
あれから21年、今はその父母も亡くなり、私の人生も変わりました。
本当ですね、いつも心を大きく開いて初心のままで、そして謙虚でいられることが、すなわち心の平静につながりますね。
21年前のこの日、私の父母は神戸に居りましたから、アメリカでニュースを聞いた時には凍りつきました。
橋の上を運転中、ラジオで聞いたのを覚えています。
なかなか電話も繋がらず、ずいぶん心配しました。
幸い被害は少なかったものの、怪我をしたり家を失った知人も何人かありました。
あのあと、かなり長い間、父母の家の近くには特設ホームのバラックが建ったままでした。
サリン事件も同じ年でしたっけ。
世にも怪奇な事件でした。
あれから21年、今はその父母も亡くなり、私の人生も変わりました。
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BBpinevalleyさん
ありがとうございます
家族の安否を外国で案ずる・・って
不安の極致・・大変なことでしたね
まだ四人の方が行方不明・・解決されてませんね
家族の想い・・如何ばかりかです
寿命を全う出来たら幸運・・色々な意味で
世界は不安だらけですね
一度みんなで静かになる・・って
無理なんだろうか・・
古代オリンピックの復活・・
東京でやれないもんかな・・ねぇ安部さん!
いつも広々とした世界を見せていただいて
少し心も広がります・・多謝です!
ありがとうございます
家族の安否を外国で案ずる・・って
不安の極致・・大変なことでしたね
まだ四人の方が行方不明・・解決されてませんね
家族の想い・・如何ばかりかです
寿命を全う出来たら幸運・・色々な意味で
世界は不安だらけですね
一度みんなで静かになる・・って
無理なんだろうか・・
古代オリンピックの復活・・
東京でやれないもんかな・・ねぇ安部さん!
いつも広々とした世界を見せていただいて
少し心も広がります・・多謝です!