2015年 06月 09日
晩学が・・強みであるために |

私の陶芸は・・52歳から始まった
言うまでもなく・・晩学の陶芸である
今年で丁度20年になるが
この世界では・・たった20年でもある
先週・・全仏のテニスをテレビで見ていて
ふと・・気づいたことがある
晩学につながるヒントかもしれない
このブログにおいで下さる方にも
晩学の陶芸は・・きっと多いはずだ
もしかして・・お役にたてばと書くことにした

錦織もジョコビッチも・・結局負けてしまったが
このふたりの負け方に・・共通するものがあった
勿論私見だから・・異論があるかもしれないが
まぁ・・書いてみようと思う
錦織が負けたのは・・ベスト8からベスト4への戦い
相手はツォンガ・・ランキングは僅かだ錦織が上
一方・・ジョコビッチはファイナルで負けた
相手はワウリンカ・・強い選手だが勿論格下だ
まず・・負け方の共通点だが
ふたりとも・・勝った時の試合に比べたら
びっくりするほど・・消極的な試合運びだった
長く続くラリーを見ていると・・
つなぎから攻めに転じるショットが・・2~3打遅い
ポイントを取りにゆくというより
つないでいて・・相手のミスを待ってた
そして・・その2~3打の間に逆襲されたのだ
このふたりに限ったことではないが
こうした負け方の原因は・・そこが共通なのだが
俗に言う「勝ちにゆく」・・であって
ある限られた条件のもとでは
誰もが陥りやすい負け方なのだ
つまり勝ちにゆくとは・・守りにゆくことで
戦って勝つのではなく・・勝つために戦う
これは似て非なるもの
前者が攻勢なら・・後者は守勢なのだ
錦織とジョコビッチに共通した条件は
錦織の場合は・・ベスト8までは自分が格上で
勝たねばならぬというプレッシャーがかかる
3回戦まではそれでも格上のテニスができた
そして・・格上で戦う最後がベスト8戦
これに勝って・・ベスト4からは
相手が格上だから・・挑戦者になれる
プレッシャーが減って
大胆な攻めに徹することができるわけだ
この挑戦者になる・・が錦織の強さの源で
力以上の戦いが出来る可能性がある
ベスト4に残るためにどうしても勝ちたかった
相手が格下である以上・・勝つために守りにいった
ランク5位の・・自負であり矜持だったかもしれない
それが裏目に出た・・そんな気がしたのだった

一方・・ジョコビッチの場合
言うまでもなく・・たったひとつとれていない全仏
是非にも勝ちたい・・その気持ちは
ナダル戦に充分現れていた
ナダルに勝つことが・・全仏に勝つことであって
過去に二度・・苦い水を飲んできたのだ
だから・・セミファイナルのナダル戦が
事実上の優勝戦みたいなもので
きっと・・「今年こそ優勝できる!」と思った筈だ
そこで・・格下のワウリンカ戦を守りにいった
守っていれば・・ワウリンカが自滅してくれる
もし・・ちょっとでもそう思ったとしたら
それが敗因だと思う・・ジョコビッチをしてもなお
悲願の初優勝に向かってなら・・なおのこと
攻めに徹する挑戦者でなければならなかったのだ
錦織もジョコビッチも・・その「攻め」の勇気に欠け
安全を狙って打つショットに・・いつもの鋭さはない
守っていては取れない・・取りたければ攻めろなのだ
逆に言えば・・勝ったふたりツォンガとワウリンカは
攻めて失うものはないの・・思いきりの良さが
望外の勝ちにつながったのだと思うのだ
注目を浴びたジョコビッチと錦織
しかしこのふたりにしてまだ・・勝ち続けることは難しい
つまり・・輝かしい長いキャリアを得ても・・なお
挑戦者としてのハングリー精神を・・持ち続けること
それは・・決して誰にでもできることじゃない
腹一杯のライオンは・・腹が減るまでは走らないものだ
優勝者とは・・いつでも挑戦者でいられる
強靭な精神の持ち主のことなのだ

晩学の陶芸の強みは・・長いキャリアがないこと
だから人間としては成熟してるはずの年配だが
芸に向かっては・・まだまだ挑戦者の気持ちがもてる
平たく言えば・・したり顔せずにひたむきに
もっと上手くなりたい・・そう言い切ることができる
それが・・晩学の強さなのじゃなかろうか
攻めても失うものはない・・若い人々に伍して
悠久に向かって挑戦する日々にこそ
晩学の面白さがある・・私はそう思う

by touseigama696
| 2015-06-09 06:43
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