2010年 08月 14日
広瀬裕子さんのこと |
テーブルの下に潜り込んで逃げ回る桃次郎を追いかけて
かがみこんだ目の前の書架の下段に
この二冊を・・発見した
かねてから探してて・・見つからなかった二冊
思いがけず桃次郎逃走劇のご利益だった
1971年出版の「九つの空」
1973年の「僕のハローグッドバイ」
どちらも團伊玖磨さんの著書だが
共通しているのが・・
カメラマンの広瀬裕子さんである
前者では・・一緒に組んでフォアグラの取材をしている
後者は・・広瀬裕子さんのパリの店が舞台だ
團さんは・・広瀬さんをとても可愛がって
パリでなら・・カメラは広瀬さんにしか任せない
そう聞いたこともあった
この広瀬裕子(コタンの袋小路)さん
私にも忘れ難い思い出のひとである
この一文にある・・1970年
体調を崩してパリでひっそりしていた私を
あちこち誘いだして元気にしてくれた
カメラマンのHさんとあるのは
広瀬裕子さんのことなのである
團さんの文中に・・
「じゃ カメラの広瀬裕子さんのやってる
凱旋門に近い『エトワール』に行こう
あのバーなら安全だし ちょっと用もあるから・・」
そう・・この店こそ私たちも・・
ヨーロッパを取材しようとするとき
60s 70sの貧乏時代だったが
限りなく居心地のよいアジトの趣き
それを味あわせてもらえたBarだった
交代要員が来るまで
体調を取り戻したくてウロウロしていた私を
まだ知る者の少なかったヴィトンの店に連れてってくれたのも・・彼女
同じカメラマン仲間の
ルリ子さんエミ子さん姉妹のアパートで
みんなであじの塩焼きや
いかピーマンの炒め物で
慰めてくれた夜
モンマルトルのシャンソニエに
連れていってもらったりもした
ペリエと言ったかな・・
黄色い色をした酒の
ツンとした匂いを・・思いだす
(調べてみたら・・ペリエは酒じゃなくて
炭酸水のことらしい・・??
周囲のみんなが飲んでいたあの黄色い酒は
何と言ったのだろう・・?)
異境の地での・・同胞
そういえば・・そうだが
今でも・・忘れ難い思い出である
私とは・・似たような年輩だったから
きっと元気でおられることだと・・思う
詳しい消息は判らないのだが
今でも・・もしそこにBar-Etoileがあるなら
54Rue des Acacias, Paris 17e・・に手紙すれば
判るとでもいうのだろうか・・
追記 この住所で・・グーグル・アースで探してみたら
この通り・・見覚えがあります
こんな感じだったのです
そして・・左のピザハウスが
どうやら54Rue des acaciasで
ここが・・
バー・エトワールだったのかもしれません
変わっていても不思議じゃない・・40年
私には・・ついこの間のことだけど
やはり・・長い時間が過ぎたようです
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by touseigama696
| 2010-08-14 21:12
| ●畏友交遊
|
Comments(2)
Commented
at 2010-08-15 09:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
touseigama696 at 2010-08-15 11:36
mFramboise さん
ありがとうございます
酒が苦手なので・・名前を覚えません・・苦笑
なるほど・・アブサン・・ってありましたね
そうかもしれません
「今ね・・これ使ってるの岸恵子さんとデビ夫人だけ
でも・・来年はきっと日本人に人気がでるわよ・・」
そう勧めてくれて三つほどバッグを
買って帰ったのがルイ・ヴィトン
広瀬さんに連れられて入った
シャンゼリーゼのヴィトンの店
静かで・・丁寧で・・高くもなく
その来年以降の沸騰ぶりは
想像できませんでしたね・・笑
懐かしい思いでです
そのときのバッグ・・
妻がまだ持ってるけど
やっぱり・・ちと雑でヤボ
ヴィトンも変わってきたのですね・・笑
馬車に乗せることもなくなったわけだもん
あたりまえかぁ・・笑
ありがとうございます
酒が苦手なので・・名前を覚えません・・苦笑
なるほど・・アブサン・・ってありましたね
そうかもしれません
「今ね・・これ使ってるの岸恵子さんとデビ夫人だけ
でも・・来年はきっと日本人に人気がでるわよ・・」
そう勧めてくれて三つほどバッグを
買って帰ったのがルイ・ヴィトン
広瀬さんに連れられて入った
シャンゼリーゼのヴィトンの店
静かで・・丁寧で・・高くもなく
その来年以降の沸騰ぶりは
想像できませんでしたね・・笑
懐かしい思いでです
そのときのバッグ・・
妻がまだ持ってるけど
やっぱり・・ちと雑でヤボ
ヴィトンも変わってきたのですね・・笑
馬車に乗せることもなくなったわけだもん
あたりまえかぁ・・笑
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