2010年 02月 18日
曾祖父の長崎 (28) |
明治の昔・・
この長崎湾のあたりには海賊が跋扈していたらしい
『・・本日抜刀の上・・船上にて七人を切り伏せり・・』
それが・・私の曽祖父・・明治のお巡りさんだった
血染めの捕縄とともに
曾祖父が書いた日記が残っていて・・
海賊退治の顛末を読んでは
子ども心に・・いさましい爺さんだと思ったものだ
その曾祖父道安の書いた履歴書が・・これで
明治5年ごろ・・邏卒(今の巡査)に任じられたところから始まる
やがて・・神奈川県警部だった道安爺さんは
明治26年・・長崎の警部に任じられ
その後・・あちこちで署長さんなどを務めている
海賊退治は・・このころで
守るのは日本人とは限らず
船で移動する中国人も庇護の対象で
だから・・
助けられた中国人からいただいた書が沢山あって
これが素晴らしい書なのだ
今でも何枚かは・・表装して残されている
明治33年・・警視にまで出世して退官したことになるが
ここで履歴も終わっている
内閣の承認で辞めてるところをみると・・
当時でも・・警視は・・
警察官としては立派な地位だったようだ
大正6年・・64歳で他界している
今の私よりも若くして異境に旅立ったが
警察官の盛装で撮ったあの写真は
到底・・そうは思えない老人であり
それ以上に・・堂々とした人生に見えたものだ
息子夫婦を伴って訪ねた長崎の旅・・
実は・・
この曾祖父のゆかりを感じる旅でもあった
だから・・この古い交番を見つけたとき
ふと・・時がたたずんだのを・・感じた
道安爺さんの連れ合い・・トクさんが
敬虔なクリスチャンだった
長崎だったことも手伝ってるのかもしれないが
やがて・・我が家の家系にクリスチャンが増える
死んだ親父も・・洗礼を受けていたのは
この道安爺さん夫婦の指図だったのかもしれない
修学旅行以来・・50年ぶりの長崎
嫁の手配で・・さまざまに楽しませてもらった
それも・・少しづつ触れよう・・
でも・・我が家の三代目道安爺さんのこと
七代目の息子にも伝えておきたいことでもある
それが六代目の私の・・仕事かも
そういう時代ではないのも知ってのこと・・ではあるが
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by touseigama696
| 2010-02-18 00:55
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