大学卒業してから40年ほど
大雑把には三つの仕事をしてきた・・


① テレビの番組制作者時代・・(20代~30代)
   いわゆるプロデューサーってやつで 今風には格好いい仕事らしいが
   当時はそれほど目立つわけじゃなく 虚業より実業の雰囲気があったよ
   歴代長寿番組にタイトルが記録されてるだろうけど
   「世界の結婚式」・・30年以上続いた番組の最初の数年は私が作ったのでした
   この時代に・・いろいろな分野の専門家に出会う機会があったから
   人生のかなり大事なことを学んだかなぁ・・貴重な時代でした

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② 病院事務長時代・・(40代~50代)
   大病してリタイアしたテレビの世界・・身体の再起のために随分と回り道したな
   偶然のように関わった病院建設の計画に テレビの世界でだったら当たり前みたいな
   情報伝達 コミュニケーション・ツールを使って患者本位の待たせない病院を作ろう・・って
   まだパソコンが普及してなかった時代だったから・・結構画期的だったかな
   そんなことから新設の病院の初代の事務長に就任することになったのでした

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③ 陶芸家時代・・(50代~現在~将来)   
   新設の病院だったから・・仕事は幾らでもあって ご前様帰りの日々だった
   どうやら軌道に乗って落ち着いたら7年ほどが経っていましたね
   陶芸に出会ったのはこのころのこと・・

   病院を終の棲家にして引退してもいいと思っていたんだけど
   仮にそうしても・・・その後の人生も短くはなさそう
   濡れ落ち葉にはなりたくなかったから 自立することも考えねば・・と

   そこで早めに事務長を引退して 陶芸に転じることにしたのです
   子どもたちが巣立った後だったから・・できたことかも
   独立して3年目に「日本陶芸展」に初出品初入選を果たして
   どうやらプロとしての自覚が芽生えたかな・・

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こうして人生を三つの仕事で生きてきたわけだけど
ご覧になって判るとおり・・全くもって脈絡がない
大学を卒業する日に・・・
この人生を計画したり 予定したりなんて
到底無理なほどに・・見事に無関係な仕事だった

周囲にはハラハラさせたかもしれないが
これはこれで・・楽しい人生だったとも
「この道一筋」に一目は置くが・・
だからといって私には無理だったかもしれない
こんなに面白そうなことに溢れている世の中
たったひとつで終われそうにないのだ

でも陶芸家・・これが最後だと思っている
縄文からなら1万年以上 安土桃山からだって400年
連綿として代を重ねて 誰も行き着くことのなかった
この道の奥深さ・・ほかのことをする余裕などありはしない

「窯だ!徹夜」・・Kamada Tetsuya
このハンドルネームが気に入ってる

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「窯だ行進曲」・・陶芸ビギナーへ心をこめて送る応援歌!!


随分昔のことになっちゃったが・・
「蒲田行進曲」・・面白い映画だった
あのころの映画界・・少し知ってたから
余計そう思ったのかも・・

極くひとにぎりの大スターはともかく
どんな世界も・・・大部屋の悲喜劇で
人生さまざまに彩られるものさ・・
ほんとんとこ・・面白いのは
絶対大部屋暮らしだと・・思うな

それはともかく
「窯だ行進曲」・・取り説が必要だ
要するに・・陶芸賛歌・・
もしかしたらこれからどっかで
陶芸を始めようかな・・のあなた

既に始めちゃったんだけど
もひとつ乗り切れないでいるあなた

更にさらに・・定年になったら・・
何か打ち込めるもの探すさ・・なんて
大見得切っても
そうは簡単に見つからないあなた

そういう迷える子羊を集めて
一緒に行進しようじゃないか・・っていう
行進曲ってわけだ
どこへ向かうかって・・?
そりゃ歩いてみなきゃわからんが

ここで一緒に行進した奴は
何故か陶芸教室に入会してみたら
やたら・・上手くできちゃうんで
「どして・・?」って
そう言われてみたいじゃん・・笑

だから・・ここでは・・
メイッパイみんなをそそのかして
たらしこんで まるめこんで
その気にさせて行進するぞ~~ぉ!

でもさ・・
みんなの癖も知ってるよ・・・
長いのがダメ・・長文 冗舌に弱いんだよね

だから本日は「取り説」だけってことで・・苦笑

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我が工房の最年少陶芸家・・雄ちゃん
何てったって小学校5年生
でもさ・・もうロクロうまいんだぜ・・

「どう?・・やってみるぅ~~?」
じゃさ次回からしっかり読んでみてね・・笑
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                     直径が25センチほど 高さが5センチ程度の平鉢

最近好んで作る器のひとつ
笠間の鉄分の多い赤土を使って 轆轤挽き
口縁部は少し内側に曲げ
釉薬を掛け分けたときにアクセントにしてる

内側見込みは・・わら灰のマット釉(不透明ってこと)
外側は・・黒のマット釉を筆で塗ったもの

ほとんどわざとらしいことをせず
あっさり・・すっきりの釉掛け
白黒のシンプルが取り得かな・・
盛りつけた料理が映えるように

酸化焼成で焼いてるから
なおのこと優しげに焼きあがる

酸化と還元・・
対照的に違う焼き方である
いずれちゃんと書いてみようとおもうけど

簡単に言うと
酸化焼成は・・窯の中の器にたっぷり酸素を供給して焼くこと
         だから気持ちよく焼ける・・ってことかな
         軟らかく優し気に焼ける・・

還元焼成は・・窯の中に供給する酸素を制限してしまう
         そうすると酸素なしには火は燃えないから
         詰まっている器から酸素を奪って燃えようとする
         器は苦しげに火に反応して変化するというわけだ
         窯変・・というのはその変化のこと
         焼きあがった器の変化は・・神の仕種とでも・・

どこか窯元を訪ねたりしたら・・
「これって還元ですかぁ・・?」なんて聞いちゃうと
「うぅ~~っ・・少し値引きしとかなあかんかも・・」と
思わせられるかもよ~~~
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公募展に応募し始めたころ・・
この天目釉を使った組み鉢の出品が多かった
随分とレシピに手を加え
僅かにではあるが個性的な色合いを求めて苦心した

伝統的な中国伝来の天目は
鉄分を含んだ赤土の器胎に掛けるから
釉が流れて薄みになった口縁部などは
茶褐色になることが多い

私は
逆に殆ど鉄分のない磁土に近いものを使う
釉薬の極く一部の隠し味みたいな成分を加減すると
深いワインレッドに似たため色に発色する
この色が好きである

黒天目・・と書けば
伝統に縛られもするから
出品の場合には
あまり赤くならないように焼くが

小さな食器ならこの赤がいい
深めの飴釉のようでもある
しかし これも火加減で変わる
思うほどに発色してくれないこともあって
火の気まぐれに翻弄されもするのである

見込みの部分に結晶も見える
このまま追い込めば
油滴天目にも変化してゆくかもしれない
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我が家の近くには・・梨園が点在する
梨が名産の地でもあるからだ

年が明けると
梨園は枝の剪定をする
落とされた枝が山のように集められ
燃されて灰になる
梨の木の根に撒かれ
新芽を促す肥料になる

そうした梨園さんと仲良くなって
この灰の一部を頂戴してきたのは数年前
タップリいただいたこの灰を
水で灰汁抜きして
細かい篩で漉して乾かす
これで立派な釉材になる

他の材料を混ぜて作った梨灰釉で焼いた小皿がこれである
このレンガ色の赤が好きだ

薄めにかけると赤くて
濃い目のところが
伊羅保のように黄色味を帯びる

窯から出したときは
ややイライラした肌合いだが
使い込むと滑らかになって
赤味が深くなる

目下研究中ではあるが
私の大事なライフワークになりそうな釉薬である
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                        日本陶芸展
                        第16回展(2001)  第三部  黒天目組鉢  入選
                        第17回展(2003)  第一部  波状紋大皿
                                      第三部  黒天目組鉢  入選
                        第18回展(2005)  第一部  波状紋大皿
                                      第三部  黒天目組鉢  入選

2年に一度開催されるものをビエンナーレというが 
近頃では珍しいかもしれない
この「日本陶芸展」は
その珍しいビエンナーレである
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2年に一度というのは
毎年開催に比べると準備期間が長いから
出品が楽だろうと思われがちだが
・・実は違う

しのぎを削る精進の
僅かな優劣がものをいうプロの展覧会で
2年の時間は恐いものがある
1年では果たせない驚異的な進歩
2年はそれを可能にするからである

初入選を期して
不眠不休の努力を厭わない新人は
雲霞のごとく攻め立ててくるのだ

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                      第一部伝統部門 糸抜き波状紋大皿
5年前の第16回展で
私は初出品初入選を果たすことができた
陶歴最大のエポックメイキングなできごとだった
プロの自覚を与えてくれた最大の試練だった

それから2年ごとに
第17回展 第18回展と・・
入選が続いている

17回展 18回展では
一部の伝統部門と
三部の実用陶器部門の
二部門同時入選という
なんとも贅沢なご褒美がついた
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                     第三部実用陶器部門 黒天目組鉢
                        
1000人のプロたちが応募して
生き残れるのは200人足らず
「日本伝統工芸展」「日展」「日本現代工芸美術展」それに
この「日本陶芸展」の四つは
東京発信の代表的なメジャーコンペ
狭き門は似たようなものである

三度続いたことが四度目も・・
というのは至難のことだと思っている
結果は神のみぞ・・だが
挑戦は・・私次第のことなのだ
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                     日本陶芸展 図録 2003
                     表紙の作品は大賞受賞作
完成度をあげる・・
それをかなえるのは
いつでも厳しい挑戦でしかないと
覚悟はしているのだが・・
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# by touseigama696 | 2006-08-29 20:27 | ●陶歴 | Comments(2)
これから書こうとすることの全てに先駆けて
あるひとつの情景が心に浮かぶ

「何となく貯めてた500円玉が結構溜まったから
旅行でもしようか  萩・津和野の旅って・・どう?」
妻の一言でその旅行が決まった 
病院の事務長だった時代・・20年も前のことである

特段にやきものが狙いの旅というわけではなかったが
それでも萩は萩 それ抜きの旅にはならない
作ることはともかく 見たり買ったりなら
妻のほうがやきもの好きだった

お定まりの観光ルートで窯元を訪ねて歩いた。
その何軒目かの工房で 
ロクロ職人が器を挽くのが見えた
窓越しだったような気がするが 
しばらくは身じろぎもせずに見つめた

ロクロの上に据えられた大きな土塊を
回転に合わせて包む込むように上げ下げすると
土はまるで生き物のように職人に従順になる

やがて静かになった土塊に指が入って 
あっという間に挽き上がり
内側の指と外を支える指が重なって丸みを描くと
それで湯呑みができていた 
10秒足らずのことだ

全く同じ手つきが繰り返され
全く同じ湯呑みが並んだ
それはもう見事なリズムであり
僅かの無駄さえ入り込む余地はなかった

「あのぅ・・ロクロを体験させてもらえますか・・?」
実は この問いの答えが・・
私の人生を変えたかもしれない
「う~ん・・うちは体験させてないんだよね」
断られたのだ

もし このとき・・「どうぞ!」って言われたら
私の陶芸は始まったかどうか判らない
後になって理解できることなのだが
ロクロはとても難しい
数時間の体験で思い通りになどなるはずもないのだ

だから やらせてもらったら
「こりゃだめだ・・」だったような気がしないでもない
職人の技があまりに美しかったから
できない自分との落差は大きい
きっと諦めてそれっきりだったかもしれない

断られたから・・思いが残った
いつか・・どこかで
やらずにおけるものか・・
それが全ての出発点だった

「どうぞ!」って言ってもらえるのも幸運だろうが
「だめだよ!」と断られるのも
時にそれ以上の幸運である

不思議なことだが
趣味を越えてプロの道を歩くことになったきっかけは
今でもあのときに断られたからだと・・思っている

器もひとつ・・more

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