「ほっ」と。キャンペーン
どちらも同じ信楽の赤土を使って轆轤挽きしたもの
20~25cm径ほどの中鉢です 還元焼成
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                                         沓形鉢
時々 教室の生徒さんが
思いがけないことを言い出す

「センセイ! わら灰マット釉の上から石灰透明釉重ねちゃっていいですかぁ?」
「??」
「どうなるんだろ・・?」
「やってごら~~ん!」

私が作った作品だけど
これがその成果
「いっただき~~い!」
何でもやってみなきゃわからんもんです

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                                          輪花鉢
上の沓形鉢は・・ 
二つの釉薬をきちんと区分けして
併せ掛けしたもの

下の輪花鉢は・・
先にわら灰釉を全体に掛けておいて
その後に石灰釉を柄杓で
むらと斑を狙って
ぶつけるように掛けたもの

同じ併せ掛けでも
やり方で・・随分と違うでしょ
そこらへんも・・面白いもんです

そそ・・それjに
還元焼成のほうが効果的・・
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萩の窯元で断られて・・7年ほどたった
陶芸家として人生の
終章を過ごすようになるもうひとつの偶然

以下は 2003年5月28日の
「折々の折り」に書いた一文を
少し修正しての転載である








彼女はとても酒の好きな女性だった
よく飲み よく喋った
とてもチャ-ミングな女医でもあった。 
そして 何より良き仲間だった 
 
1995年春、突然彼女は死んだ 
急性心不全 自身医師だった彼女が
先端の医術の恩恵を受けるまでもなく幽明異境に旅立った
一緒に陶芸をしていた期間は三ヶ月でしかなかったが
彼女がくれた一本の電話がなかったら
陶芸家の私はないかもしれない 
 
1994年の暮れ 突然彼女から電話が入った。 
「先輩!(彼女は私をいつもこう呼んだ)
あのぉ・・陶芸って興味ありません?」 
「あるよ・・だけどどうして?」 
 
「実は 私今通ってるんですけど 
それが水曜日の昼間なの
午後から半休とってるんだけど
やっぱり昼間は患者さんの都合があったりして難しくて・・・ 
それで先生に聞いたら
何人かやりたいひとがいるなら
木曜日の夜に新しい講座を開いてもいい・・
って言われたんです 
それでね 先輩も如何かと思って電話しました
一緒にやりません?」

「それ何処?」 
「教室はN市・・車ならそう遠くないから」 
「もしかして、その先生ってTさん?」 
「ええ 先輩ご存じなんですか?」 
 
「うん・・何年か前に紹介されて・・
実は私はとっても興味があったから
すぐにも稽古したかったんだけど
昼間の教室だけって言うんで実現してなかったんだよ。 
昼間じゃさ
君と同じで病院(私はそのころ病院の事務長だったので)空けにくいよね
夜ならできるから参加するよ。」 
 
その陶芸が始まったのは
阪神淡路大震災の正月
春にはサリン事件もあって忘れられない
あの1995年の幕開けと重なる 

事務長時代に
妻と連れだって萩 津和野の旅に出た折り
萩で見たロクロ職人の見事な手さばきに見ほれて
いつかあれをやりたいと思ってから7年ほど経っていた 
 
いろはのいの字から手ほどきを受けて
手捻りの茶碗を作ったりしていたその春 
ある稽古日に彼女は現れなかった
気にした先生が電話をすると
その電話が妙に長話になっていた

話し終えて先生は、 
「彼女体調が悪いみたい・・だから今夜は休むって
でもね・・何か気弱になっていて
それでちょっと励ましたりしてたら長話になっちゃったの」
 
職業柄もあるが 気丈で活発な彼女のこと
その気弱というのがちょっとひっかかったが
それも直ぐに忘れて作陶に夢中になっていた 
 
数時間後その稽古からの帰り道
車の中でふと思いだして 
彼女の自宅に電話をかけてみた。 
何度かコ-ルしても受話器を取る様子がない
具合が悪いって判ってることだし
寝ているのを起こしてまではとそのまま切った 
医師でもある彼女のことだから
それなりに手当はするだろうぐらいに思って帰宅したのだった 
 
翌朝 仲間のひとりから電話が入った 
「・・・実は K君が昨晩亡くなりました」 
「まさかっ・・昨夜って?」 
「今朝彼女の母親が 
定時に起きてこない彼女を不審に思って部屋をのぞいたら
亡くなっていたんだそうです・・
詳しくはわかりませんが心不全らしいとか」 
 
後にわかったことだが
自分で病院から点滴の用意までして帰宅していた 
余程の不調で それで弱気にもなっていたに違いない
 
自分が医師でなければ 救急車を呼んだだろう
皮肉な運命だった
40歳になるかならないか・・若すぎた 
 
この事故の少し前
誘われて彼女の自宅で麻雀をしたことがあった 
今思えばまだ未熟な器だったが
自分の作品に料理を盛って夜食を振る舞ってもくれた 
病院の小児科を任されていた中堅の医師だったのに
我々の仲間の集まりでは
拘りもせず酌をしてまわる気易さに人柄がにじんでた 
 
「医者の君は酌されることはあっても酌するなんて・・ごめんよ」と言うと 
「でも楽しいですよ・・こういうのって・・」 
と屈託なく笑って返す美人の医師だった 
 
亡くなったあの晩 もっとしつこく電話して
薄れてゆく意識の中で
かろうじてでも「助けて」と言えるチャンスはなかったものかと
暫くはひどく気になった 
 
一緒にロクロを廻した期間は数ケ月でしかない 
しかし
「先輩も一緒にやりません?」というあの電話がなかったら
かなりな確率で私は陶芸家にはなれてないだろう
いくら晩学といっても
52歳のあの時を更に後ろにずらしたら
趣味の陶芸で終わるしかなかった筈だ
 
その時にはそうは思わなかったが
あの一本の電話が私の人生に大きく関わったのは
紛れもない事実なのだ 
今好きなロクロを好きなだけ廻していられるのも
考えてみれば彼女のお陰である 
 
もし彼女が生きていたら
きっとこの工房にも顔をだして 
「病院も忙しいので 気儘に挽かせてもらってもいいですか?」 
と言うだろう 
 
「存分に・・やりたいようにやれよ・・」 
いつでもそう応える用意はあるのだが・・・ 
 
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ブログの良さは・・
プレート・ランチ・・みたいなもので
一枚に何でも盛りつけられる

その分・・料理が入り混じって
何が何やら・・ってことも
今は記事が少ないからいいけど
段々に・・紛らわしくなるにちがいない

そこで・・ここでは
ワン・プレートの上で
料理がつながるように
カテゴリーの記事ごとにナンバーをつけてみた

例えば
 「ギャラリー」というカテゴリーをクリックすれば
ずらりと(1)からつながって現れるってわけ
読み物記事も・・こうすれば連載で読めるからね


時系列よりも・・テーマ別(カテゴリー)優先
そんなつもりで眺めてくださいね
それと・・
コメントをいただく場合も
時系列にこだわらず
気になる記事に書いてくださって結構ですよ

できるだけ記事管理でチェックして
もらさず拝見し・・お返事をするようにします
でもあまりに古くなってたら・・
最新の記事に・・ギャラリーに(3)に書いたよ~~・・とでも

まあそんなつもりで始めてみます
 
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                信楽粗め白土 轆轤挽き 25cm径 土灰釉 還元焼成

轆轤で挽くと 手指が痛いほどのはぜ石の入った粗め土
あっさりと挽いて櫛目で加飾
それに土灰釉を掛けて 還元で焼いたもの
使い勝手はよさそうである

土灰釉・・というと
「土が灰になるんですか?」って聞かれることがある
それがちゃうんだな・・・

灰という原料には二種類ある

単味の灰・・      例えば栗の木とか 梨の木とか 
              一種類の樹木だけを燃した灰のことだが・・いす灰ともいう 
              松灰釉と言ったら・・松の木だけで作った灰を使った釉薬のこと

複数の樹木の灰・・  囲炉裏の灰のように 
              色々な樹木を混ぜて燃した灰のことを土灰(どばい)という 
              どんな色に発色するかの再現性が不確かだが 
              灰というのはもともとは土灰として残ってるほうが多い 
              手に入りやすい灰ともいえる
              概ねは緑色の濃淡で発色することが多いな
              土を燃して灰にするわけじゃないよ・・笑
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大学卒業してから40年ほど
大雑把には三つの仕事をしてきた・・


① テレビの番組制作者時代・・(20代~30代)
   いわゆるプロデューサーってやつで 今風には格好いい仕事らしいが
   当時はそれほど目立つわけじゃなく 虚業より実業の雰囲気があったよ
   歴代長寿番組にタイトルが記録されてるだろうけど
   「世界の結婚式」・・30年以上続いた番組の最初の数年は私が作ったのでした
   この時代に・・いろいろな分野の専門家に出会う機会があったから
   人生のかなり大事なことを学んだかなぁ・・貴重な時代でした

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② 病院事務長時代・・(40代~50代)
   大病してリタイアしたテレビの世界・・身体の再起のために随分と回り道したな
   偶然のように関わった病院建設の計画に テレビの世界でだったら当たり前みたいな
   情報伝達 コミュニケーション・ツールを使って患者本位の待たせない病院を作ろう・・って
   まだパソコンが普及してなかった時代だったから・・結構画期的だったかな
   そんなことから新設の病院の初代の事務長に就任することになったのでした

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③ 陶芸家時代・・(50代~現在~将来)   
   新設の病院だったから・・仕事は幾らでもあって ご前様帰りの日々だった
   どうやら軌道に乗って落ち着いたら7年ほどが経っていましたね
   陶芸に出会ったのはこのころのこと・・

   病院を終の棲家にして引退してもいいと思っていたんだけど
   仮にそうしても・・・その後の人生も短くはなさそう
   濡れ落ち葉にはなりたくなかったから 自立することも考えねば・・と

   そこで早めに事務長を引退して 陶芸に転じることにしたのです
   子どもたちが巣立った後だったから・・できたことかも
   独立して3年目に「日本陶芸展」に初出品初入選を果たして
   どうやらプロとしての自覚が芽生えたかな・・

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こうして人生を三つの仕事で生きてきたわけだけど
ご覧になって判るとおり・・全くもって脈絡がない
大学を卒業する日に・・・
この人生を計画したり 予定したりなんて
到底無理なほどに・・見事に無関係な仕事だった

周囲にはハラハラさせたかもしれないが
これはこれで・・楽しい人生だったとも
「この道一筋」に一目は置くが・・
だからといって私には無理だったかもしれない
こんなに面白そうなことに溢れている世の中
たったひとつで終われそうにないのだ

でも陶芸家・・これが最後だと思っている
縄文からなら1万年以上 安土桃山からだって400年
連綿として代を重ねて 誰も行き着くことのなかった
この道の奥深さ・・ほかのことをする余裕などありはしない

「窯だ!徹夜」・・Kamada Tetsuya
このハンドルネームが気に入ってる

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「窯だ行進曲」・・陶芸ビギナーへ心をこめて送る応援歌!!


随分昔のことになっちゃったが・・
「蒲田行進曲」・・面白い映画だった
あのころの映画界・・少し知ってたから
余計そう思ったのかも・・

極くひとにぎりの大スターはともかく
どんな世界も・・・大部屋の悲喜劇で
人生さまざまに彩られるものさ・・
ほんとんとこ・・面白いのは
絶対大部屋暮らしだと・・思うな

それはともかく
「窯だ行進曲」・・取り説が必要だ
要するに・・陶芸賛歌・・
もしかしたらこれからどっかで
陶芸を始めようかな・・のあなた

既に始めちゃったんだけど
もひとつ乗り切れないでいるあなた

更にさらに・・定年になったら・・
何か打ち込めるもの探すさ・・なんて
大見得切っても
そうは簡単に見つからないあなた

そういう迷える子羊を集めて
一緒に行進しようじゃないか・・っていう
行進曲ってわけだ
どこへ向かうかって・・?
そりゃ歩いてみなきゃわからんが

ここで一緒に行進した奴は
何故か陶芸教室に入会してみたら
やたら・・上手くできちゃうんで
「どして・・?」って
そう言われてみたいじゃん・・笑

だから・・ここでは・・
メイッパイみんなをそそのかして
たらしこんで まるめこんで
その気にさせて行進するぞ~~ぉ!

でもさ・・
みんなの癖も知ってるよ・・・
長いのがダメ・・長文 冗舌に弱いんだよね

だから本日は「取り説」だけってことで・・苦笑

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我が工房の最年少陶芸家・・雄ちゃん
何てったって小学校5年生
でもさ・・もうロクロうまいんだぜ・・

「どう?・・やってみるぅ~~?」
じゃさ次回からしっかり読んでみてね・・笑
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                     直径が25センチほど 高さが5センチ程度の平鉢

最近好んで作る器のひとつ
笠間の鉄分の多い赤土を使って 轆轤挽き
口縁部は少し内側に曲げ
釉薬を掛け分けたときにアクセントにしてる

内側見込みは・・わら灰のマット釉(不透明ってこと)
外側は・・黒のマット釉を筆で塗ったもの

ほとんどわざとらしいことをせず
あっさり・・すっきりの釉掛け
白黒のシンプルが取り得かな・・
盛りつけた料理が映えるように

酸化焼成で焼いてるから
なおのこと優しげに焼きあがる

酸化と還元・・
対照的に違う焼き方である
いずれちゃんと書いてみようとおもうけど

簡単に言うと
酸化焼成は・・窯の中の器にたっぷり酸素を供給して焼くこと
         だから気持ちよく焼ける・・ってことかな
         軟らかく優し気に焼ける・・

還元焼成は・・窯の中に供給する酸素を制限してしまう
         そうすると酸素なしには火は燃えないから
         詰まっている器から酸素を奪って燃えようとする
         器は苦しげに火に反応して変化するというわけだ
         窯変・・というのはその変化のこと
         焼きあがった器の変化は・・神の仕種とでも・・

どこか窯元を訪ねたりしたら・・
「これって還元ですかぁ・・?」なんて聞いちゃうと
「うぅ~~っ・・少し値引きしとかなあかんかも・・」と
思わせられるかもよ~~~
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公募展に応募し始めたころ・・
この天目釉を使った組み鉢の出品が多かった
随分とレシピに手を加え
僅かにではあるが個性的な色合いを求めて苦心した

伝統的な中国伝来の天目は
鉄分を含んだ赤土の器胎に掛けるから
釉が流れて薄みになった口縁部などは
茶褐色になることが多い

私は
逆に殆ど鉄分のない磁土に近いものを使う
釉薬の極く一部の隠し味みたいな成分を加減すると
深いワインレッドに似たため色に発色する
この色が好きである

黒天目・・と書けば
伝統に縛られもするから
出品の場合には
あまり赤くならないように焼くが

小さな食器ならこの赤がいい
深めの飴釉のようでもある
しかし これも火加減で変わる
思うほどに発色してくれないこともあって
火の気まぐれに翻弄されもするのである

見込みの部分に結晶も見える
このまま追い込めば
油滴天目にも変化してゆくかもしれない
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我が家の近くには・・梨園が点在する
梨が名産の地でもあるからだ

年が明けると
梨園は枝の剪定をする
落とされた枝が山のように集められ
燃されて灰になる
梨の木の根に撒かれ
新芽を促す肥料になる

そうした梨園さんと仲良くなって
この灰の一部を頂戴してきたのは数年前
タップリいただいたこの灰を
水で灰汁抜きして
細かい篩で漉して乾かす
これで立派な釉材になる

他の材料を混ぜて作った梨灰釉で焼いた小皿がこれである
このレンガ色の赤が好きだ

薄めにかけると赤くて
濃い目のところが
伊羅保のように黄色味を帯びる

窯から出したときは
ややイライラした肌合いだが
使い込むと滑らかになって
赤味が深くなる

目下研究中ではあるが
私の大事なライフワークになりそうな釉薬である
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                        日本陶芸展
                        第16回展(2001)  第三部  黒天目組鉢  入選
                        第17回展(2003)  第一部  波状紋大皿
                                      第三部  黒天目組鉢  入選
                        第18回展(2005)  第一部  波状紋大皿
                                      第三部  黒天目組鉢  入選

2年に一度開催されるものをビエンナーレというが 
近頃では珍しいかもしれない
この「日本陶芸展」は
その珍しいビエンナーレである
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2年に一度というのは
毎年開催に比べると準備期間が長いから
出品が楽だろうと思われがちだが
・・実は違う

しのぎを削る精進の
僅かな優劣がものをいうプロの展覧会で
2年の時間は恐いものがある
1年では果たせない驚異的な進歩
2年はそれを可能にするからである

初入選を期して
不眠不休の努力を厭わない新人は
雲霞のごとく攻め立ててくるのだ

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                      第一部伝統部門 糸抜き波状紋大皿
5年前の第16回展で
私は初出品初入選を果たすことができた
陶歴最大のエポックメイキングなできごとだった
プロの自覚を与えてくれた最大の試練だった

それから2年ごとに
第17回展 第18回展と・・
入選が続いている

17回展 18回展では
一部の伝統部門と
三部の実用陶器部門の
二部門同時入選という
なんとも贅沢なご褒美がついた
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                     第三部実用陶器部門 黒天目組鉢
                        
1000人のプロたちが応募して
生き残れるのは200人足らず
「日本伝統工芸展」「日展」「日本現代工芸美術展」それに
この「日本陶芸展」の四つは
東京発信の代表的なメジャーコンペ
狭き門は似たようなものである

三度続いたことが四度目も・・
というのは至難のことだと思っている
結果は神のみぞ・・だが
挑戦は・・私次第のことなのだ
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                     日本陶芸展 図録 2003
                     表紙の作品は大賞受賞作
完成度をあげる・・
それをかなえるのは
いつでも厳しい挑戦でしかないと
覚悟はしているのだが・・
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# by touseigama696 | 2006-08-29 20:27 | ●陶歴 | Comments(2)