カテゴリ:○折々の折り( 28 )

d0085887_00111984.jpg
昨日削った・・五本の花器


10年前
私は・・自分のエッセイ「折々の折り」に
以下の一文を書いている

陶芸を始めて10年目ころのことだ
そして
それから更に10年が過ぎて
10年という時間が
様々な思いをかきたてる

職業としての陶芸を・・強く意識し始めたのは
65歳の日本伝統工芸展に通り始めた頃のこと
74歳の今思うと・・あっという間の10年だが
その間を年譜で見れば・・色々している
結構充実した時間に思えもするのだ

たかが10年・・されど10年
読み返して感慨深いものがある

今・・往時の私の年輩におられる方に
ささやかなメッセージのつもりで
再掲してみることにした


伝聞だから正確ではないが・・堺屋太一さんの話

「人間は昔から人生の六割を働いてきた
人生50年の時代の六割は30年
15歳から45歳までだった
寿命が80年になって・・その六割は48年
22歳くらいで大学を出たとして48年働くと70歳
60歳あたりで定年ってことになっても
能力的にはあと10年は働けるわけだ

だから・・引退してからの老後ではなく
たった今・・何か自分のやりたいことに
一所懸命になってみたらいい」
こんなことのようだ

「やりたいことを一所懸命に・・」を
「専門家になるつもりで・・」と言ったらしい
このあたり・・私も大賛成である。

大橋巨泉氏の「セミ・リタイア」とも似ている
本格的なリタイアではなく・・一度区切りをつけて
一番興味をもっていることに夢中になってみる時代を
セミ・リタイアと言ったようだ

50歳を過ぎたあたりから
人生は徐々に変わってくる
まぁ住宅ローンを組み込んだりもあって
一概には言えないが・・仕事にもゴールが見え
子どもは自立しはじめる
時間の進み方に僅かなゆるみを感じはじめる年代である。

多忙であっても
ただ闇雲に働くばかりが人生でもなかろうと
趣味を見つけて余暇を割くようにもなる
これは実に良いことだと思うが・・どうせなら
堺屋さんが言うように「専門家になるつもりで・・」
をこころの隅に置いてみたらいい

専門家というと
特殊な技術の必要な難しさを想像してしまうが
職業ばかりが専門家ではない
例えば
「鶏肉料理のレシピを世界中から集めてみよう
その上で自分のオリジナルなレシピを作り出してみる」
長年仕事のように料理してきた主婦にとって
週末料理人をめざす男たちの料理好きにとっても
ただの楽しみの料理ではなくなる
もし・・この研究が実を結べば
鶏肉料理の専門家といっても差し支えあるまい

「薔薇の花の写真を撮る」のも
「毎朝の散歩を俳句つくりの吟行のつもり」だっていい
単なる遊びと思わないで本気で取り組んだら
10年というのは結構なことができる時間だと思う

私が陶芸の手ほどきを受けたときから
今年で丁度10年になる
あっという間の時間だったようにも思えるが
その間の出来事をひとつひとつ思い出すと
それらは随分と遠い日のことでもある
10年という年月の持つ意味が
近頃やっとわかってきた。
言い古された言い方だが
「たかが10年、されど10年」
  本当にそう思えるのである   
                  2005/08



人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!   

[PR]
d0085887_02422603.jpg
2005. 10. 16. Sun

50歳(944/1001)

11年前の昨日
2005年の10月16日
1001夜の成就を間近にした
私のエッセイ「折々の折り」に
「50歳」と題して・・こんなこと書いてる
1001夜の944夜である


『10数年前、50歳の誕生日を迎えた私は、

いささか憂鬱な思いにとらわれた。
人並みに老いを意識せざるを得ない気がしたからだった。

確かに50歳ともなると、
仕事だって半ばゴールが見えてくるし、
子どももあらかた巣立つ頃合いではある。
男も女も大きな節目にさしかかる年齢には違いない。
しかし、
役目を負った時代だけが人生ではない。
役割からの解放をどう受け取るか、
それが象徴としての50歳じゃなかろうか。

一升瓶に丁度半分の酒があるとして、
ひとは二通りの見方をする。
「もう半分・・」と「まだ半分・・」である。
事実なら「二分の一」だが、
真実ということになると、
ひとそれぞれに受け取り方は違う。

「まだ」も「もう」も、
目に見える事実に主観が加わったそのひとの真実なのである。
事実は争いようがないが、真実なら思いは分かれる。

50歳は、誰にでも否応なしにやってくる。
そのとき、
目に見える事実にどう主観を加えることができるか・・、
それが「夢」じゃなかろうか。
役目を果たすことに全力を費やしている時代には見えない「夢」、
50歳はそれを見つけるチャンス、
おぼろげだったが、そんなことを考えたのを思い出す。

人生の殆どは偶然のようにめぐりゆく時間である。
思い通りになることなど滅多にない。
にもかかわらず、
僅かでも得心のゆく時間がもてるとすれば、
それは「夢」を描いて、そこに向かうことでしかない。

陶芸に出会ったのは52歳のとき。
かねてやってみたいこととして温めていたとはいえ、
その始まりはやはり偶然みたいなものだった。
しかし、やがて私の人生の終章を支える夢となった。

見知らぬどなたかの許に旅立つ器に箱書きしながら、
それはまるでメッセージ・インナ・ボトルでもある。
夢を託して・・と書いたら、
あまりに青臭いと言われるだろうか・・。 』


50歳の日からなら
既に四半世紀に近い日々が過ぎた
52歳の年に出会った陶芸を
晩学の夢として・・夢中で始めたころだ

夢ではあったが・・やがて
それを仕事にすると決めた
「プロ」・・この言葉の響きにも
夢を感じていた
組織で生きてきた人間には
独っきりで全てを賄う物づくりは
ひとつの憧れだったような気がする
だから・・プロという言葉に惹かれた

あれから25年・・夢で始めた陶芸も
仕事にしてから・・20年

趣味なら楽しいだけで済んだことも
仕事となれば・・そうもゆかない
僅かながらもしていることに社会性が生まれ
緊張と忍耐も必要だからだ

70歳を超えて・・明らかに劣化してゆく体と頭
今までにない不安を感じる日々だが
できるだけ工房に籠って作ることが
一番の精神安定になるようだ





人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!

[PR]
d0085887_22595169.jpg
焼けば・・これとは全く違った色になるはず
さて・・どうなることか?です


いつだったか
踊りの名手が・・楽屋で着物をたたむのを見た
見るだに・・その手つきは見事なもので
着物は・・スルスルと納まるべき形に納まった
慣れと言えばそれまでだが
漫然と繰り返すだけでは・・こうも
形が決まるものでもなかろう

教えられてに始まって・・更に自分の工夫を加え
短い時間に美しくたためるには
手順への細かい気遣いが必要だ
言ってみれば・・それが所作である

「芸」とは・人に見せるものではあるが
芸の本質は・・見えてるものだけじゃない
「見せる前」も・・「見せた後」も
芸のうちである
ものの姿は・・所作の流れの中のひとこま
だから・・美しい形は美しい所作の中で生まれる
近頃・・このことがとても気になる

ひとつの器の制作にかかると
どうにかしていい流れを作りたいと思う
慌てたり焦ったり・・気を散らしたりで
気に入った作品になった試しはない

土を練ることから始め・・作品が窯から出るまで
如何に私自身の所作をスムーズに出来るか
とても気になる

だから
使う道具の過不足も・・それをきれいに洗って
出したり仕舞ったりも
並べて置く位置さえ気にする
腕の良い板前さんの調理場みたいに
必要なものはあるが・・不要は置かない
そうしたいと・・いつも思う

とりわけ作品が大物になると
尚更に段取りの良し悪しが大事になる
ボリュームは・・それだけでもリスクである
僅かな手順の狂いが・・致命的にもなる

「でっかい車の運転操作は・・案外
細かい神経を要求してくるもんです」
大型特殊車両の運転手さんが
そう言ってたことを思い出す

段取り~手順~所作
心地好いリズム感を作るのは
きっとここの三つである
------------------------------------------

10年ほど前
私のエッセイ集「折々の折り」に
こんなことを書いた

読み返してみると
やはり10年の歳月を感じる
この当時・・心がけていた注意深さの
何がしは・・今では失ってるかもしれない

準備はともかく
片づけと掃除が・・億劫になる
どっちらかった工房コックピットで
大いに反省しながら・・今日も
教室と加飾に明け暮れた



人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!


[PR]
2005. 2. 24. Thu
お隣り(739/1001)
「光速で一年かかる距離が1光年
9兆5千億キロだそうだ
肉眼で見える星は3000光年までとか
月は1秒 太陽は8分で届く

この広大無辺を考えれば
今日歩けなかった距離なんて
悲観することないな

すぐ隣りの銀河はアンドロメダ・・
200万光年・・それで隣りなんだ」 
                 てつ語録 NO25


あるひとがロシアの片田舎を旅した。
泊まるところも見当たらず、
やっと見つけた農家らしき家に飛び込んだ
「今夜一晩泊めてもらえませんか?」。
「いいとも、さあ暖炉のそばにおいで、
温かい食事をあげよう」。
それはもう快く迎えてくれた。

翌朝のこと。
「客人! 折角の出会いだ、
ここらじゃこんなこと滅多にない。
よかったらわしと一緒に
近くにいるおっかさんに会ってくれんか、
きっと喜ぶと思うんだ・・・」。
「昨夜の恩返しに、
そんなことでいいなら、喜んで・・・」。

二人は近くの母親の家を目指した。
それは、汽車で三日の旅だったのだそうだ。
広大なロシア大陸、これくらいは
近所のうちだというわけである。

このエピソード、好きな話である。
アンドロメダは、到底三日の旅ではない。
時々、こんなことを考えると、
たった今に思い惑うことなど、
何とちっぽけなことかと、
少しこころ穏やかになれる・・・。

 
------------------------------------
11年前の今頃・・折々の折りに
こんなこと書いてる・・

どんなに頑張っても
一日で歩ける距離なんて・・大したことない
分っていても・・焦れたりもする
とりわけ・・体に不足がみえてくると
捗らないことが・・大きな不安になるものだ

そういうときの合言葉が・・アンドロメダ
200万光年のお隣りさん
簡単に歩き通せるものじゃない・・だから
今日一日を思い煩うことなかれ・・なのである



人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!


[PR]
d0085887_22501899.jpg

2005年12月12日・・今から10年前の今夜
それまで書き続けてきたエッセイ「折々の折り」
その千一夜を完結して・・終わりにしたのだった

毎晩一所懸命書いたから・・達成感はあったが
ふと気が抜ける思いだったのを・・覚えている
あれから10年経ったことになる

今書いてるこのブログは・・その翌年からだ
それも10年目に入り・・2、218本書いた
よくも書きつるものよと思うが・・そもそも
近づく老いに備え・・少しでも頭の劣化を防ぐため
一日にひとつくらいは・・しっかりと物思い
それを書くことで・・一助になればが契機だった

今夜・・そんなことを書こうと思ったら
5年前に・・既に触れて書いてある
今でも思いは同じ・・読んでいただけたらと
引用することにした
折々の折り2010/03/10

これもまたひとつの日課だが
根気が続く限り・・続けてゆきたいものである



人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
[PR]
d0085887_439643.jpg

日課の・・4㌔歩行を中止して3週間
原因不明の足首の腫れ・浮腫み・痛みは
少しづつ改善しつつも・・まだ全快ではない

足もとに注意して・・転ばないようにである
だから・・無理に歩くつもりはない
自分の代謝や免疫を信じて・・自然治癒待ちなのだ
来週の外来受診で・・多少変化が判るかも

いつから日課を復活できるか・・気にはなる
こんなことになるとは予想もしなかったが
今までの2年間・・歩くことを軸に
自分の体調は・・記録にとってきた

累積歩行距離・体重・体脂肪・血圧・血糖値・食事内容
面倒でも・・データが効果の根拠である以上
記録することが・・継続そのものだと思うのだ

当然だが・・3週間も中断したら
データがどう変わってしまうのか
それも記録から読み取れるわけで
「歩かず」と書きながら・・その結果は?

幸いなことに・・全てのチェックで
中断前と何も変わっていない
リバウンドと言われるような数値はでてこない

歩き続けてる間は・・3週間休んだら?は
想定外で試すつもりもなかったから
足の異変のお蔭で・・実行したようなもの
やってみれば・・これもひとつの自信になった

2年ほど積み上げれば・・簡単には戻らない
それが習慣の力・・と言えそうだ
これからは・・記録を続けながら
でも・・年齢や体力に合わせて
無理せずに・・ゆったり続けようと
そう考えるようになったのだ
転んだらただでは起きるな!・・である

昨日は・・ご注文を窯に詰めたり
手狭解消になるならと・・
私のロクロを向き合わせに位置替えしたり
歩かないでカロリー消費に努めたのだった




人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
[PR]
d0085887_0103973.jpg

山のあなたの空遠く08/08/31

幸運を手にすることだって・・
本当は・・幸運なことなんだろうに
まして・・
その幸運を活かして・・幸福になる
簡単じゃなさそうだ

大臣になるのは・・幸運
国民のために何かができてこそ・・
国民から感謝されてこそ・・
それが・・政治家の幸福なんじゃないかな

幸運を・・幸福と取り違えてしまったツケを
最近は・・目にすることが多くて
山のあなたが・・立て込んでるみたいだ
本当は・・足元にあるかもしれないのにね・・




人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
[PR]
d0085887_23431752.jpg

亡父の書斎の整理に追われている
今となっては紙ゴミと化した膨大な書類の山から
この一冊が出てきた

1990年に私が書いたもの・・父に進呈したのだろう
講演を依頼された際に・・記念に配ったもの
ある機関紙での連載を・・
その日のために・・手作りで製本したのを覚えている

2005/12/12の千夜一夜達成を機に休筆したが
後に・・ブログに「折々の折り」を書き始めたきっかけ
それが・・この小冊子だったのだ

d0085887_2343243.jpg

読み返してみたら・・幾つか今でも思いは同じ
ここに紹介してみよう・・ご一読願えればである


「人として生きる上で・・大切なことがふたつある

ひとつは・・自分を活かしてくれる人を見出して
この人を大切にすることである・・そして

もうひとつは・・自分もまた人を活かさねばならない
だから・・活かすべき人を見出すことである」・・1978 T.M. 



「人は多くの場合・・どんな職業を選ぶにせよ
専門家への道を歩む・・そのための修行を積む

しかし・・ひとたび専門家になった時
より優れた専門家でい続けるためには
素人に戻らねばならない

強固に擁壁された専門領域の壁を打破するきっかけは
大抵の場合・・素人のこだわらない大胆な思いつきの中に
発見することが多いからである」・・1984 T.M.



「孤独な時間を愛することは・・ひとを嫌うことではない

孤独が淋しいものであることを知って
ひとを愛しくも思えるのである

いつもひとと一緒にいることを好むのは
結局・・ひとを大切にしているのではなく
自分本位に過ごしているだけなのだ」・・1988 T.M.



人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
[PR]
d0085887_23584052.jpg

    8年前・・桃次郎とマロンのこどもたち・・

喧嘩を忘れた子どもたちが・・真っ直ぐ育っているだろうか 
喧嘩をしない子どもたちは・・やさしい子どもになれているだろうか 
喧嘩をしない子どもたちが・・何が正しくて何が間違いかを解っているだろうか 
そして・・
喧嘩をしない子どもたちが・・一生喧嘩をしないで済む世の中だろうか・・? 
 
歩けば転ぶこともある・・走ればもっと転ぶだろう
だからと言って歩かないで済むだろうか
以前にも書いたことがあるが・・
この世の中に安全という言葉はあっても・・安全というものはない 
安全を定義しろというなら・・
「危険の少ない場所」としか言いようがないのである
だから・・安全は危険を体験して覚えるしかないものなのだ
 
子どもの喧嘩は・・子どもが歩くことを覚えるのと似てる
危険ではあっても・・体験せずに済ませていいものではない 
ならば・・できるだけ幼いころからさせた方がいい
スケートの練習と同じなのだ 
 
あの硬い氷の上で体を回転させながら飛躍できるのは
幼い頃から始めたからである・・同じことをしても
20歳の青年が初めて氷上で飛べば・・転倒の怪我は幼児の比ではない
だから恐い・・恐けりゃしないのが普通である 
 
しかし・・喧嘩となると恐くてしない者がしないままでは済まないから困る
鬱積した憤懣は・・結局のところ勝てそうな相手で代償させてしまうものだ
その相手が幼児であり・・老人であったりするのはしばしばニュースになっている 
 
「あの人は・・ほんとにやさしくて穏やかで・・」と
評判の人物がいたら・・それは二つのパターンに分かれる 

ひとつは・・自分の強さをよく知って自信をもって生きているひと 
例えば・・柔道やレスリングの世界チャンピオンなどは
畳やマットを下りれば・・実に温和である 

もうひとつは・・喧嘩したいが恐くてできずに我慢している人である 
穏やかなのは・・そうしたくではなくそうしかできない我慢の末のことなのだ 
 
近頃・・残酷な事件の犯人が逮捕されてみると
周囲のひとが・・「普段はまじめで静かなひとだったのに・・」
と言うのは・・後者だからなのだ 

本当の意味でやさしくて・・穏やかな人間に育ってほしいなら
小さいときから・・正当な喧嘩をするチャンスを与えねばならない 
 
昔を引き合いにだせばいいとは思わぬが 
「さあ、おまえたち おれの前で取っ組み合いで喧嘩しろ! 
但しだ、オレが止め!と言ったら止めろ」・・
こういう先生もいたし・・年かさのガキ大将もいた
暴力を乱用しないためのワクチンみたいなものだったのである 
 
大きな病院には「無菌室」というのがある
僅かな感染が命取りになりかねない患者さんのために用意されている
病気に必要な安全のためだが
もし何でもないひとがここで暮らしたら・・それは実に危険な場所である
ここにいる限りはいいが・・一歩外に出たら直ちに感染してしまう 
だから子どもたちを・・そうした無菌室で育ててはいけない 
雑菌をものともせずに逞しく生きてゆく第一歩・・喧嘩もその一歩である

喧嘩を礼賛するつもりはない・・すべきものでもない
だからこそ・・幼い頃から小さな経験を通して喧嘩の免疫を身につけ・・
できてもしない賢い人間に育ってほしいと思う





人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
 
[PR]
d0085887_0305142.jpg
 
折々の折り753話/1001夜 『板谷波山』2005/03/10

明治以降・・日本を代表する陶芸家に板谷波山という巨匠がいた 
陶芸家として初めての文化勲章受賞者である
陶芸を工芸から芸術の域にまで高めた功労者だからである
この達人が生まれたのが茨城県だった
だから茨城工芸界にとって・・板谷波山は輝かしい巨星である 

県展の陶芸部門に「波山賞」という賞がある
最も名誉ある賞である・・「波山」その号の由来は筑波山なのだ
郷土への深い思いを自分の号にしたのである 
d0085887_0305818.jpg
 
荒川正明著「板谷波山の生涯」を読んでいて・・こんな一節に出会った
原文は長いのでやや意訳して書けば
 
「波山の長男菊男は・・一時期父の仕事を手伝い制作していたことがある
大正八年には父に代わって磁器花器を三点出品し・・入選している 
菊男は芸術的天分に恵まれていたが
結局父を継ぐことはなく・・早稲田の国文科を出て
開成学園で国語の教鞭をとっている・・」

 
そして、更に 
菊男は・・生前に一冊の短編集をだした
「天狗草紙」と題し・・平安時代の「古今著聞集」を倣った著作だが
出版に際して・・菊男は開成学園の教え子吉村昭氏に
原稿を見せて・・批評してほしいと頼んだ
 
師の著作の批評を教え子がするというのも気が重いとしながらも
実はこれが傑作だということがわかって
吉村氏は前書きにそのいきさつを書いた
・・・ともある 
 
昭和30年代初期・・この開成学園で
私もまた板谷菊男先生に国語を習った
「お化け」というのが先生のニックネームだった
 
それは古今著聞集が下敷きにあったからだ 
当時・・既に還暦間近だった先生の飄々とした話術は懐かしい 
130年を越える校史に燦然と名をなす名物先生だった
時折・・授業の合間に尊父波山の話をされたのを覚えているが
ご自身が作陶されたことは初めて知った 
 
在校時代・・何人かの恩師の自宅を訪ねたことがあるが
何故か学校からほど近い板谷先生を訪ねたことはなかった 
年賦によれば・・その頃波山さんも存命で工房で仕事もされていたことになる
もしお邪魔していれば・・名工の晩年に触れることができたかもしれない
今になれば誠に残念なことだが
当時の子ども心に陶芸は未だ芽生えていなかった

波山先生が亡くなったのは・・我々が卒業した二年後であり
恩師のお化け先生は・・昭和59年に85歳で逝かれた 
 
巡りめぐって今・・波谷ゆかりの茨城県展に毎年出品を繰り返し
厳しい審美の洗礼を受けている
その度に・・筑波山を左に眺めて走るのである 
恩師を通して・・今仰ぎ見る波山の姿は遥かに遠い 
そして「板谷波山の生涯」の冒頭の一節もまた心に銘じておこう 
d0085887_0311267.jpg
 
「良心の許さない作品は後世に残すべきではない・・だからこれは壊すのだ」
という波山に・・それなら是非私にくださいといって貰い受け
この作品に「命乞いの茶碗」と名づけて
大事に保存した
というエピソードである 
この名づけ親こそ・・出光興産の創始者出光佐三なのだそうだ
 
生涯に1000点ほどしか世にださなかった波山
おそらくその何倍も作ったに違いない
物原に壊して捨てられた無数の作品は
名工の芸術的良心によって愛しく弔われたのだ
そして・・その寡作の三分の一は出光美術館にある 
美とはそうした厳しさと優しさに彩られたものなのだろう
 



人気ブログランキングへ応援してくださる方・・クリックしてネ!
[PR]