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桃青窯696

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50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・

2016年 06月 17日 ( 1 )

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ジャーナリストの竹田圭吾氏が
亡くなっていることに気づいてなかった

そういえば・・でもあるが
それにしても地上波のテレビを見てないせいだ
そうとしか思えない

竹田さんの・・メディアへの進出が
最初にアメリカンフットボールの記者で
後に・・ニューズウィーク日本版の編集長
日本語のルールブックさえ手に入らなかった
日本での黎明期のアメフトのファンだった私は
月刊タッチダウンが
唯一の専門情報紙だったと思う
ニューズウィークも定期購読してた時代がある

おや?・・と思って意識した竹田さんだったが
テレビ番組のコメンテーターになって
しばしばコメントを聞くにつれ
彼のコメントが好きになった

穏やかで奇をてらうこともなく
多分・・それが正論だろな
しばしば・・そう思ったものだ

亡くなったのに気づき・・今頃になって
ネットで読み返してみて
なるほど・・と気づくことがある

彼が・・テレビでコメントするとき
意識の根底に置いたのは
「何を言おうかではなく・・何は言うまい」
だったそうだ・・そこがなるほどなのだ

世論の歪みを正そうとすれば
時に持論を制し・・対論を足場に話すことも大事
持論だけをヒステリックにわめき散らす
多くのコメンテータの中で
彼が冷静を保っていたのは
それが言わずもがなと承知して
言うまいの領域に封鎖したからなのだ

持論が・・
いつでも正論であるとは限らない
とりわけ・・職業としてのコメンテーターは
世論に欠けているものを指摘するのが使命
持論を強要すれば
欠けているものを強調するだけの場合もある

弁証法を使えば・・正→反→合
誰かが「正」を言えば・・誰かが「反」を言い
結果として世論が「合」になればいい
コメンテータは
その場面で正を言うのか反を言うのか
立つべき足場を決める
それが
言うべきと言わざるべきの稜線なのだ

竹田さんのコメントは
多くの場合議論の核心を突くための提言で
自分が正なら誰かに反をゆだね
誰かが正を言えば・・彼の持論を制しても反を言う

彼が
「コメンテーターは・・番組のパーツ」
と言ったのは・・その意味なのだ
パーツどころか全部になりたがって
ヒステリックに持論を吠えまくる
大抵のコメンテータの中で
彼の穏やかで静かな物言いは
究極の格闘技と言われるアメフトで
途轍もなく複雑にメッシュ化された
頭脳的ゲームプランを駆使して
選手とボールを制御するQバックの冷静さを
体現してるようで・・一目置いていたのだった

どんなにクレバーでタフでも
「Qバックも・・チームのパーツ」
彼の声が聞こえてきそうだ
今の世の中に欠けてるのは・・きっとそれだ

残念だが・・冥福を祈るばかりである




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by touseigama696 | 2016-06-17 05:35 | ●エッセイ | Comments(0)