最後の『映像』

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東京四谷に丸梅という伝説の旗亭があった
日に一組しかとらない客のため
前日から準備万端を整え
精魂込めて持て成す店だった

江國滋氏に言わせると
「一流は誰でも知ってるが
超の字がつくと知るひとは稀になる
丸梅の女将井上梅女は・・その
知る人のみが知る超一流の女将だった」
ということになる

日に一組
だから・・予約するのも大変だが
ひきもきらず女将は持て成しに多忙だった

1960年代の終い頃だったろうか
当時私が作っていた評論家の犬養智子さんが冠の
テレビ番組で取材することになったのが
四谷丸梅であり・・井上梅女さんだった


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1883年・・明治16年生まれ
当時でも既に古希を越えていた筈だが
かくしゃくとしてお元気な老婦人だった

自ら厨房に立ち
娘にあたる後の二代目女将紀子さんを助手にして
全ての調理を手がけていた

この時の取材は
和食の基本・・飯・汁・香に限り
ご飯の炊き方・・味噌汁の作り方
そして香の物の漬け方
この三つに絞って・・手本を示された

着物姿にたすきをかけて
凛として清しい風情を漂わせながら

ハジメチョロチョロナカパッパ
アカゴナクトモフタトルナ
まさしくあれで
自分の手で割った薪も
割り箸サイズから太目まで
チョロチョロパッパの順に
キチンと揃え・・頃合いで変えながら
へっついを乗せたかまどの前を動かなかった

「シジミはね・・驚かせちゃだめ
シジミをいれたカメの中に別のビンをいれ
蛇口はビンを通して微かに水を流すの
流れてるけど・・静かな水
これならびっくりしないで
泥を吐いてくれるわよ」

「漬物は・・いつ漬けるかが大事
食事の開始時間を推し量って
それなら朝の何時に漬け込むと決まるわけ
季節やお野菜によっても変わりますよ」

ここらへんが見事に徹底していて
美味しいとは・・そうした気遣いあってのこと
誰が見てようと見てまいと
夕刻の一組のために・・全てがきれいな
流れの中で整えられてゆくのだった

素材に尽くすも贅だが
気遣いに尽くす贅は
ともすると見損なわれがちだが
これなくして何の素材かな・・でもある

取材の日
言うまでもなく客人が予定されているわけでなく
「あなたたちで召し上がれ!」
女将のひとことで
惣菜はなしだが・・飯と味噌汁と漬物で
馳走していただいた

今でもあの日の食感に覚えがあるが
こんな美味い飯と汁と香を頂いたことはない
他に何がなくても・・それで至福なのだった

後に・・犬養さんの肝いりで
5~6人で正式に会食したが
それはもう・・こと食べるでは
生涯の贅沢だったと思う

初代総理大臣伊藤博文の膝の上で
「大きくなったらわしの嫁になれ!」って
言われたり
岩崎久弥の引きで三菱銀行の小切手が使えたり
とんでもない元勲たちが
無造作にそもそもおでん屋の女将を
超一流にまで育ててゆく
その成り行きを耳にしながらの会食は
上流が贅なのではなく
迸るような時代の熱気にこそと
明治の面白さ相伴にしてくれてのことだった


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1973年・・異郷にたたれたが
暫らくは若女将の紀子さんが継いだ
多分亡くなられて一周忌のころでもあったろうか

犬養さんからの連絡で
「丸梅の女将さんは写真嫌いでね
滅多に撮らせなかったんだけど
あの番組だけは許してくれたの

だから・・今になるとあれが遺影
近々偲ぶ会を開くけど
そこで上映してくれる?」

その会でお目にかかったのが最後で
丸梅とのご縁も切れた
遺影を皆さんにご覧に入れたうえで
祭壇に献上したのを思い出す

多分・・
今では四谷に丸梅の建物はないのかもしれない
その後の消息を・・私は知らないのだが
ネットの世界で
幾つか伝説は生き続けているようだ

アマゾンに在庫されていたので
この「運鈍根」・・取り寄せた
持ってた筈だが・・転居でまぎれた

大ぜいの方が・・丸梅を懐かしく書かれている
「知る人ぞ知る」・・難しい生き方だ
超一流・・誤解を招きかねない要素もあって
願ってなれるものではない

実は・・私が制作した番組がはからずも
遺影になってしまった方がもうひとりおられる
作家の獅子文六氏なのだ
1969年のことだが
触れるのは・・いずれの日にかにしよう

ただ・・獅子文六氏と梅女女将は
生前昵懇の間だったと・・運鈍根で知った
そこにもご縁を感じるが
全ては・・夢まぼろしのごとくなりである



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by touseigama696 | 2017-04-21 11:13 | ●エッセイ | Comments(2)
Commented by BBpinevalley at 2017-04-21 19:36
楽しく読ませていただきました。
その番組を拝見したかったものです。
何にでも精魂込めてベストを尽くせば、一流を目指せるのですね。
超が付くかどうかは別として。

獅子文六の本は1冊しか読んだことがありません。
NHKの朝ドラの最初となった「娘と私」です。
予想外に感銘を受けて、ブログでも紹介したことがあります。
他の本も読んでみたいと思いつつ、まだかなっていません。
Commented by touseigama696 at 2017-04-22 18:13
BBpinevalleyさん
ありがとうございます
実はこの話に触れようかなと思ったのは
あなたのブログを読んだのがきっかけです
同時に丸梅のことも思い出していましたので
そちらから書き始めたら・・長くなって
別項に譲ってしまいました
当時の取材メモも処分してしまい
思い出せることも少なくなりました
全てが・・遠くなってゆきます(苦笑)
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