50歳からのプロ・・・ここでは陶芸家らしく・・
by touseigama696
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2016年 07月 23日
つい先日・・永六輔さんが逝きまるで誘い合わせたみたいに・・巨泉さんも逝ったまた・・昭和の名物男たちが消え丁度弟世代みたいな私にはヒタヒタとした足音が聞こえてくる 「死」を-・縁起で語るのは若いからで次第に縁起で言えるのは・・「死に方」になってくるほどほどに病んで・・ほどほどに闘いそして・・ほどほどで逝く 決して容易ではなかろうが最初のガンで・・死んでたひと昔前に比べれば今は・・二つ三つはしのげる医療ほどほどの領域は・・広がってもいるおふたりとも・・見事な死に方だったと言えまいか
大橋巨泉のすべてが好きだったわけじゃないがこのひとの言ったりしたりしたことは鮮烈な言い出しっぺとして・・忘れがたいものがある「遊びも本気で」・・もそうだが一番魅かれたのは・・「セミリタイア」だったそれは・・別の機会に書いてみたいが 今日は・・巨泉さんの死からふと思い出す方がいてネットで調べてたら・・長い時間が紐解けたのだったそのことを書いてみたい 巨泉さんが・・OKギフトショップを開店したのは1973年ころだとある・・カナダのバンクーバーでのことだ遡ること5年・・1968年に私は取材でバンクーバーに降り立った 「世界の結婚式」の最初の取材・・今と違ってインターネットもなければ携帯もない日本を発つ前には殆ど情報もとれず出たとこ勝負みたいな時代だった たまたま紹介されて出会ったエージェントがゴードン門田さんOKギフトは・・大橋巨泉のイニシャルでもあるが大橋と門田のイニシャルという説もあるふたりで組んで始めた事業だった そのゴードン門田氏が・・最初のカップルをみつけ映像にする端緒をつけてくれたのだったその手際の良さ・・交渉の見事さまだ新米だったプロデューサーの私には目の覚めるような鮮やかさで映った たった数日で・・カナディアン航空のパイロットとスチュワーデスの結婚式予定を見つけて撮影許可を取ってくれたのだ絵になるカップルだった 西海岸を南下して続けた二本目以降 私ひとりで段取りしたが押さえるべきポイントは・・門田流を真似た最初に・・良き師匠に恵まれた幸運だったに違いない バンクーバー滞在中・・食事を一緒にする機会もあった今夜の話題は・・そのときのことである 「・・日本にいる親せきがね季節になると・・懐かしいだろうって高価なマツタケを送ってくれるんだよ恐縮するんだけどどうしてもホントのことが言えないわけがあってねというのは・・カナダじゃマツタケが沢山採れるのさだから決して高価なもんじゃないいつか逆に日本に輸出して・・安く食べられるようにしてあげたい・・って思ってるんだよ」 今では・・カナダ産のマツタケ入っているゴードン門田氏が始めたのかどうかは定かでないが彼が言ってた通りになっていた そこでふと思ったのは・・あの時「なるほど・・そうなんですかぁ!」で終わらせず「それいいですね・・私日本に戻ったらそのマツタケ売りますよルート作りますから・・マツタケ送ってください!」 そんな話になれば・・今頃「MKマツタケ・ショップ」が大成功して私は大金持ちになれてた・・かも?何しろ巨泉さんが彼と組む5年も前の話なのだから悠々自適は・・私だったかもしれない 巨泉逝くの一報の傍ら・・こんなニュースも発見したゴードン門田さんは今なおお元気で日本とカナダ交流の重鎮として存分に活躍され去年も来日して講演されているようだ 写真で拝見すると・・あの時代の若さが際立つもっとも私だって20代後半だった半世紀も昔のことなのである
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by touseigama696
| 2016-07-23 01:35
| ●エッセイ
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