2013年 10月 15日
古き良き時代と旅・・ |
亡父のファイル・キャビネットを整理していて・・
これを発見・・びっくりした
こんなものまで・・残している
どこまでも几帳面な学者だった
この旅程表にまつわる懐かしくも・・今は亡き父母の旅
一度だけ書いてみようと・・思う
若いころ・・私はテレビの番組制作者だった
それも・・後半は海外取材番組担当となって
仕事の殆どは・・海の向こう
今とはおよそ時代が違っていて
海外に出ることは・・とんでもなく面倒な準備が要った
1ドルが360円・・日本は未だ弱い国だったのだ
年中・・誰かしかスタッフを送りだすために
パスポートやビザの手配は・・容易じゃなかった
それも・・来月 再来月の話じゃない
数日後には出発させたいので・・何とかビザを!
数次旅券ができたり・・ビザ不要になったり
予防注射は特殊な地域だけとか・・
それは・・みんなもっと後の話
だから渡航手続きは・・
腕の良い代理店が味方してくれないと困る
その腕の良さも・・半端じゃ無理だ
それまでに・・何社かの代理店に断られたりもしてた
数日で旅券とビザと注射・・この無理難題を・・
軽々とこなす辣腕のエージェントに出会った
それが・・〇辺〇太郎さんだった
彼は・・元は外務省のお役人さんだったが
どういうわけか・・代理店業務に転向したのだ
顔もきくが・・手続業務は熟知してる
大きな代理店を辞めて・・
ほとんど個人的な自分の会社を作った
「お前さんみたいなさ・・
厄介な注文つけてくるやつの方が面白いもんな!」
組織を辞めたとき・・それとなく訊いた私に
〇辺さんは・・そう言って笑った
一回りも二まわりも若輩の私が・・
恐縮しつつも・・そうスケジュールするしかない緊急を
「そんな無茶なぁ!」って言いながら・・叶えてくれたのだ
〇辺さんがいてくれなかったら・・
間に合わなかった番組も・・きっとあった
そういう時代が何年も続き
何と・・私が病に倒れて仕事をリタイアした
少し落ち着いたころ・・親父が私にこう言った
偶然だが親父も同じ時期・・大学を引退していた
「あのな・・母さんとヨーロッパを旅することにした
実は・・俺の胸部には腫瘍があって・・
もしそれが悪性だったら・・多分致命傷だ
そして・・母さんはかなりひどい白内障
もしもオペが上手くゆかなかったら・・
ことによると失明を免れまい
そういうわけで・・ふたりで旅できるのは最後かも
帰国したら・・ふたりともオペするつもりでいる
できるだけ早く行きたいから・・
旅の日程作りに協力してくれないか」
親父59歳・・お袋52歳だったはずだ
何でもなければ・・旅程くらい自分でやるだろうに
腫瘍を抱えて少し気弱にもなってたろうし
出発を急ぎたいせいもあった
そこで・・私は〇辺さんに事情を話して頼んだ
そこからは・・早かった
どうなったかと言うと・・とりあえず6月29日・・
全ての日程ができてるわけじゃないが
先ず二人をロンドンに向けて出発させたのだ
親父にとって・・数年前長期に滞在したロンドンは
旅の始まりには・・うってつけだったからだ
そこからは・・一週間か10日ごとに
〇辺さんから・・次の日程を手紙で送ったのだ
どこそこのホテルに予約してあるとか
〇〇航空の何便で移動してください・・とか
次々に・・希望を埋めていったことになる
2ヶ月にわたる旅の全てを・・
二人が望むところに予約していったわけだ
今なら・・大したことじゃないだろうが
携帯もメールもなかったあの時代
〇辺さんならではの・・離れ業だった
1971年AUG・・とあるこの写真
この海岸私にも覚えがあるが・・南仏ニース
そこに立つ・・母である
日程で見ると・・8月12日
トリノからニースに入り数日の滞在を予定してる
キャプションはついてないが
同じ南仏だろうか・・
もしかしたら・・旧知の友人と一緒?
懐かしい再会だったのかもしれないが
前列に座る・・親父夫婦である
丁寧に手配してくれた〇辺さんからの手紙に従って
ロンドンから始まって・・
数年前の一年近くひとりで滞在したイギリス
住み慣れたあちこちを妻に見せたかったのだろう
バーミンガム・マンチェスター・グラスゴー・エジンバラなどで
半月を過ごして・・北欧へ
オスロー・ストクホルム・コペンハーゲン・からドイツへ
ハンブルグ・フランクフルト・ハイデルベルグ・
旅は続いた・・手紙一通が先々を告げるままに
それでも・・彼らの希望は全て叶えられていた
結局・・スイス・イタリア・フランスへと歩き
その間・・〇辺さんが予約したホテルからの
コンファームの手紙を受け取りながら
無事に・・2ヶ月は過ぎて行った
英語なら不自由なく使えてた親父だから
ホテルと飛行機だけを用意すれば・・
生活と観光は問題なくこなし・・8月の終わりころ
ふたりとも・・特段体調を崩すことなく帰ってきた
今どきのツアー旅行と比べると
手間のかかる旅行だったが・・思えば
あの不自由な時代だったからこそできた
実に贅沢な旅でもあったのだ
帰国後の後日談だが・・
二人は・・ほどなく入院して手術を受けた
今でこそ白内障の手術は日常化したが
当時は・・まだリスクを伴った
片目づつ時間を置いて実施された
やがて・・眼帯を外されて帰宅した母が
最初に言った一言は・・
「どうして家は・・こんなに汚れてるの?」
すっかり見えるようになったのだった
一方・・親父の腫瘍の手術結果は
これまた運よく・・良性と判断された
〇辺さんに無理言って・・忙しい思いをさせたのも
これが最初で最後の親孝行?だったからだが
それはそれ・・幸運な肩透かしで終わった
あの日から35年・・94歳まで親父は長生きした
更に5~6年・・お袋は90歳で逝った
〇辺さんが今どうしておいでか・・判らない
お元気でいてくださると・・いいのだが
ふたりのための・・あの時の旅の手配
どう感謝してもしきれない・・
有り難いご好意だった
応援してくださる方・・クリックしてネ!
by touseigama696
| 2013-10-15 22:57
| ●畏友交遊
|
Comments(4)
Commented
at 2013-10-16 17:51
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
touseigama696 at 2013-10-16 21:33
鍵コメさん
ありがとうございます
お役に立ったのなら・・それはそれで
これからもどうぞよろしく・・です
ありがとうございます
お役に立ったのなら・・それはそれで
これからもどうぞよろしく・・です
0
Commented
by
HarukoB1 at 2013-10-19 13:40
Commented
by
touseigama696 at 2013-10-19 23:36