恩師の彫像

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工房から車で7~8分のところに・・大きな運動公園がある
その入り口近くに・・この彫像が立っている

日展理事だった地元の彫刻家・藤野天光さんの作品
戦後初参加の1952年・ヘルシンキ・オリンピックで
金メダルの石井庄八(レスリング)
銀メダルの上迫忠夫(体操)・・のふたりを
顕彰しての彫像である

実は・・上迫忠夫選手は私の恩師である
にもかかわらず・・迂闊なことに・・
この彫像のことを今まで知らなかった
今日の午後・・雨が止んだのを見計らって訪ねた
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私が中学に入学したのが・・昭和30年(1955年)
ヘルシンキ・オリンピックから3年後

オリンピック当時31歳だった先生の雄姿
筋骨隆々として・・小柄だがバネのようなアスリートだった

「おい!・・三崎
お前の身体はテニス向きじゃない
バレー部に転部しろ!」

まさに鶴の一声・・翌日からはバレー部
中学3年で183cm・・先生の目にとまったらしい

入学したときからの・・体育の教師だった先生
授業の度に・・鉄棒だのあん馬・平行棒・つり輪
なす術のない生徒を前に・・最後はいつも
先生の模範演技・・まだ現役だった演技を
それこそ・・タダで見学させてもらったのだった

オリンピック体操競技強化コーチを兼任するようになって
多忙な先生は・・部活の面倒を後輩の先生に譲って
学校を留守にすることが増えたが
バレーコートで・・
「おい!ミサキ・・もっと飛べよ」
今でも・・先生の声が耳に残っている

私より20cm近く背の低い先生が
私の頭上で・・アタックしてみせるジャンプは
さすがに・・オリンピック選手だと実感したものだった

補導教官でもあった先生がとった生活指導方針は
ひとつのエピソードとして・・ここに書けば
実に示唆に富んだものだが
今時のモンスターママには・・絶好のえじき
時効とはいえ・・先生の名誉のために伏せておこう

1986年・・65歳で亡くなった先生の葬儀の日
大袈裟ではなく・・果てしなく延々と続く弔問の列が
先生がどんな教師だったかを・・証明していた

先生より長い人生を・・生きている教え子たち
その教え子たちが・・それぞれにひとかどの人生を
あとに続く者たちに・・示すことができるとすれば
それが・・「上迫忠夫の教え」・・だったのだろう

久しぶりに・・現役時代の先生に再会した
精悍だが・・静かで穏やかな先生だった
厳しかったが・・優しい先生だった

異郷に旅立って・・すでに四半世紀
とても・・そうは思えない
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外出から戻って・・
先日の水指6個・・最後の削りとj研磨を済ませた



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by touseigama696 | 2012-05-05 03:44 | ●エッセイ | Comments(2)
Commented by はるこ at 2012-05-06 00:05 x
ずいぶん大きいんですね、先生は、
バレーボール!
スポーツマンでもあったんですね!
きっとスポーツ魂のような何かも、
人生に加えられているのでしょうね、、根性のようなもの、、
Commented by touseigama696 at 2012-05-06 00:30
はるこさん
ありがとうございます
つい何年か前までは183cmあったはずですが
今は・・180cmくらいに縮みました・・笑
その分・・根性も3cmは減ったかも・・笑
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